11.東亜特殊電機 『天井埋め込み式スピーカー PC-35R』
俺がうどん自販機に貼り付けたポップを目にして、アユミはボソリとつぶやいた。
「……おもっくそズレとんな」
「うん……」
ここに来て、昼に寝なかったツケがしっかり回ってきたようだ。
いよいよ手元が覚束なくなってきたようで、何度貼り直してもポップは真っ直ぐにはならなかった。
多少カフェインを摂取したくらいでは、この眠気を覆すことはどうやらできないらしい。
「すまん、今日はもう作業やめとこか。俺が明日、残りやっとくわ……」
「別にシュンが寝とる間に、残りやったってもええのに」
「そうもいかんねん。俺も仕事で店番しとるんやし、寝るわけにはいかん。貼り付け作業で戦力外なら、せめて監視はしとかな」
「……真面目ちゃんか」
考えるまでもなく、このポップ貼りは今日中に急いでやるべき作業でもない。
アユミはなぜか、作業をやたらと早く進めたがっているようだが。
ポップ貼りと宣伝はあくまで、やらないよりはマシな作業に過ぎない。
ここが生き永らえるには、どのみちもっと抜本的な何かが必要となる。
なにも、いま無理をする必要はないだろう。
「それに、なんやかんやもう2時やで。アユミもぼちぼち帰って寝なアカン」
アユミがここに来たのは、確か22:00くらいだったか。
なんだか、段々と来店が早くなっているような……。
いずれにせよ、ふにゃふにゃなハンバーガーと安い缶コーヒーだけで、これ以上手伝ってもらうのは些か忍びない。
「……いや、やっぱりウチだけでもやるわ」
「だからアカンって。朝からまた仕事なんやろ、それやったら無理は…」
「――ウチ。帰ったところで、普段から寝てへんし」
「……は?」
不意に聞こえたその一言は、さっき口にした薄い缶コーヒーよりよっぽど、眼前のポップの『バチクソぬくい』という一文を鮮明なものにした。
「寝てへんて……どういうことやねん」
アユミの方を振り返って言葉をかけても、彼女は目を合わせようとはしなかった。
「あの工場では……寝られてへんってことか。なんでや、なんか嫌なことでもあるんか?」
「……その質問に答える気はあらへん」
「っ……」
こうもはっきりと、回答を拒否されたのは初めてだった。
ここは『そういう場所』ってことなのだろうが……しかし。
「いや、でも……さすがにこればっかりは、聞かんかったことにできひんで。そんな状態で作業続けるつもりでいて、運転して帰って、また仕事するんやろ」
「……」
「そんなん、下手したら死んで……」
「――うっさい」
突然、アユミは突き放すように言葉を放った。
同時に、さっきまでお洒落だと思っていた彼女の揺れる金髪が、今はやけに刺々しく感じられた。
「……心配される謂れはあらへん。寝れそうなときに勝手に寝とるわ」
「……」
かけようとした言葉の続きが散逸して、なりそこないのお節介の心が、俺の口をギュッとつぐませた。
外の国道から、カーブを曲がった車のヘッドライトがスナックコーナーの一帯を照らして、やがて音とともに流れていく。
アユミは微かな咳払いとともに、手に持ったカラー用紙を束ね、テーブルでトントンと叩いて揃えてから、そのまま置いた。
「……けったくそ悪い。そんなに帰ってほしかったら帰るわ」
「……」
彼女は踵を返し、ポケットから車の鍵を乱暴に取り出した。
きっとこれ以上詮索すべきではないのだろう。
そんなことくらい、俺にも分かる。
アユミの二年間の空白に踏み込むには、今の俺は彼女を取り巻く状況を知らなさすぎる。
「――ち、ちょっと待ってくれ!」
彼女がドアノブを手にかけた瞬間、俺はたまらず叫んだ。
客入りのないドライブインから、ふっと喧騒が消えた。
「なん――」
「さ、三十秒! いや二十秒で戻るさかい、ちょっとだけ待って!」
アユミの動きが止まり、俺は彼女が振り返るのを待たずに走り出した。
スイングドアを押し開け、二階へ全力で駆け上がる。
そして、階段でよろめきそうになりながらも、俺はそれを持ってアユミの元へ全力疾走で戻った。
「……シュン、なんやそれ」
「なんやって、毛布や」
「……は?」
「俺がいつも使ってるやつで申し訳ないけど……」
雑に畳んだ煉瓦色の毛布をアユミに渡そうとしたが、彼女はそれを細めた目で見つめたまま受け取ろうとはしなかった。
「シュン、これはどういうことやねん」
「いや……せめてここでもいいから寝てってもらわんと、怖すぎて運転させられへんわ」
「……だから、ウチは寝ぇへんて」
「頼むわ。車の中でもええし、なんなら寝たふりでもええさかい、目瞑ってくれ。そしたら黙る」
俺は大真面目やった。
どんなに突き放されようが、無理しとる人間をこのまま返すわけにはいかん。
腕を組み、精一杯の強がりでふんぞり返ってみせる。
アユミはそんな俺に細めた目で視線を送りながら、俺の手からひったくるようにして毛布を取り上げた。
そして、そのままドアから離れて白い椅子に腰かけると、毛布を背中からすっぽりと羽織って、くるまりはじめた。
「……どっか行きや、シュン」
俺も向かいの椅子に座ると、アユミはいつも以上にしゃがれた声を零した。
「大丈夫、ちゃんと見張っとくから」
「……何をやねん……」
その憎まれ口に、言葉を返そうとは思わなかった。
観念したのか、アユミは毛布に包まれながら腕をテーブルの上に置いて、顔を見えないように突っ伏した。
ユーザーのいない、クレーンゲームの陽気な待機音。
オトンがナウい感性で焼き増ししたCDから、天井のスピーカーを伝い流れる、かつてイケイケだった平成ソングたち。
不意に光とともに流れ込む、国道を車が通過する音。
時おり大きく響く、自販機たちの鈍い駆動音。
「……す……ぅ」
そこにアユミの寝息が入り交じるようになったのは存外――俺が船を漕ぐよりも前のことだった。
ひと通りの音を聞き届け、一度は貼り付けを諦めたポップとワッポンを手にする。
「……うぃー……しゃあっ」
この夜、既に何度目か分からない張り手を自身に食らわせ、どう考えてもフラフラな自分を奮い立たせる。
そして、テーブルに突っ伏したアユミをもう一度振り返る。
俺は今になって、彼女がこの“やらないよりはましな作業”にすがろうとした気持ちが、少しだけ分かった気がした。
まったく、世話が焼けるで。




