9.ダットサン 『ブルーバード410型』
窓の外の陽は、とうとう傾きはじめている。
ハンバーガー自販機の修理が終わってから今に至るまで、俺はずっと、い草の香りと共に自室に閉じこもっていた。
俺の左手には、一冊の日に焼けてインクが青くなった、古いドライブ雑誌があった。
オトン曰く、これは俺の亡き爺ちゃんがマイカー元年と呼ばれた時代から、家族サービスでドライブに出かけるたびに持ち出していたものらしい。
その中でも『ドライブイン大全』と銘打たれた特集にはかなりのページが割かれており、結びには『ドライブインは今や、ガソリンスタンドの数をも超える』とすら記されていた。
爺ちゃんの代からドライブインの経営が始まっていたのだから、おそらく敵情視察の側面もあったのだと思う。
それぞれのドライブインの紹介欄には、爺ちゃんのものと思わしき達筆な字と、少年時代のオトンのものと思わしき汚い字が入り混じったメモ書きが残されている。
『漬物がすっぱくてハズレ。競合危うからず』『ジャイアントババがおった』『関西随一のオートレストラン。資本に負けるなエイエイオ』など、当時の印象が赤裸々に綴られる中、俺の視線はある一文の前で止まった。
『かんとうはベンダーがぎょうさん。 すごいミライが、目のまえまでやってきた』
オトンの字で綴られたその一文は、関東旅行のときに記されたもののようだ。
ずらりと並んだ食品自販機を写した紹介写真の中には、うちのものと同じ型のピカピカなハンバーガー自販機の姿も。
毛量の多いモジャモジャな髪型をした若者たちが、角ばったBMWやらブルーバードやらの脇で、楽しそうに食事を取っている。
そして、俺の右手にはスマホがあった。
煌々と光る、平たく固い画面には『ドライブイン減少 歯止め効かず』と書かれた記事の一面が映し出されている。
俺は普段、インターネットの情報だけで結論を出すことを忌避している。
10年前にジャーナリストを志して以降、自分で見聞きすらしていないものに、確信は持てない性質になってしまっていた。
しかし今回ばかりは、それが疑いようもない事実だと結論付けた。
『道の駅、コンビニの発展』『全盛期の百分の一にも満たない』等といったワードが、取材をしなくとも普段の実生活の肌感覚だけでも“真実”だと断言できたからだ。
「ヤバイ、昼から仮眠してへん……」
寝とかなあかん、そう思い続けているのに。
俺は畳の上で横になったまま目をこすり、あてのない探求を続けた。
◆
ここ最近、毎晩聞こえるようになったシビックのエンジンとスキール音が、今日も今日とて飛び込んできた。
その瞬間、俺は階段を駆け下り始めていた。
「頼むアユミ……か、貸してくれ……!」
いつものように、スナックコーナーでうどん自販機の前に立ち、キティちゃん財布を取り出していたアユミに向かって――俺は手を合わせ、勢いよく頭を下げた。
「……え、いくらや」
「金ちゃう、手や手、手を貸してほしい! そんな簡単に人にお金貸したらアカン!」
主語を抜かしたのは俺なのに、何故か説教をくらったアユミは無表情のままぽかんとしている。
「ハンバーガー奢ったるさかい、アユミもなんかフレーズ書いてくれ!」
そう言って俺がアユミに見せつけたのは、たくさんのA4カラー用紙と、何本かのペンだった。
「……え、何書くんそれで」
「俺、よう調べたんやけどな。今も生き残ってるドライブインはな、外から来る若い人にも親しんでもらえるよう、自分とこの自販機に“ポップ”を貼ってるんやって」
これもインターネットだけで知り得た情報だが、どうやらマストらしい。
実家だったからこそ見落としていた知見だったが、今も稼働してる全国の食品自販機は、もっぱらマニアやそれを目的にやってくるようないわば“観光スポット”の役割を果たしているとのことだった。
しかし、そこに付随する不便さや、使い方の分かりにくさ、ドライブインの雰囲気の怖さなど、若い世代に敬遠される要素は思いのほか多い。
「ここの自販機、ずっとオトンに任せっきりやったから、そういう飾り気とか一切ないねん。せやから……」
そして、それを解消するための手段こそが、温かみのある親しみやすい“手書きポップ”というわけだ。
『ひよしドライブイン』のような場所が形を保ち続けるには、やはり町の外からの導線が必要なのである。
「ふぅん。別にええけど」
「おお、二つ返事おおきに! さっそく報酬払うわ、どれがいい? チーズバーガーしかあらへんけどな、ガハハ」
「……」
自分でも分かっとる。
ろくに寝てへんせいか、俺いまめっちゃ変なテンションになっとる。
俺が3枚の100円硬貨を自販機にチャリンと投入し、三つあるボタンの一つを押すと、昼と同じように赤色のランプが点灯した。
表示の時間数が刻一刻と減っていくなか、アユミは口を開く。
「シュンは書けへんの」
「あぁ……実は、さっきまでずっと書いてたんや。でも、なかなかしっくりこうへんくてな」
俺がテーブルの上に置いた、何枚かの紙を手で示す。
『火傷にご注意ください』『割箸が無ければお申し付けください』『温かいうちにお召し上がりください』と黒一色のペンで書かれたポップのなり損ないたちが、コチラを見つめていた。
「……なんか、かったいなぁ」
「せやろ、俺もそう思ってん。なんというか、こう……俺の東京で培った、都会感に満ち溢れ洗練されたジャーナリストとしての矜持ってやつ? なかなか抑えきれんくてさぁ、半端なゆるいこと書けへんねん」
「なぁ、しばいていい?」
アユミが何かを呟いた気がしたが、ちょうど出来上がったハンバーガーが大きな音を立てて取り出し口に落ちてきたことで、よく聞こえなかった。
おそらく相槌を打っただけだろう。
「――せやから、俺は女の子のアユミに手伝ってほしいと思ったんよ」
「お……」
アユミの方を振り返ると、彼女はなぜか手を振り上げたポーズのまま固まって、「お……おんな……のこ」等とボソボソと零していた。
「ど、どしたアユミ?」
「……が、がんばるわ」
さっきから、アユミの様子が少し変だ。
いつもの気だるげな態度は崩さないのに、そのくせあからさまに目を逸らしながら、手に持った二本のペンをすりすりと擦り合わせている。
しかし、せっかく彼女が頑張ると言ってくれているんだ。
俺がこの先、どんな道に進むことになったとしても――このドライブインにだってまだまだ頑張ってもらわなきゃいけない。
だから今、二人でできることはやってみようと思った。




