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東亰PRISON  作者: 天野地人
《新八洲特区》動乱編Ⅳ
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第3話 《ピャーニッツァ》①

 集会所の外に出ると、コリアタウンは相変わらず活気に満ちていた。


 しかし、先ほどひどく怯えていたハンウンソの姿を思い出すと、以前のように呑気に「開放的でいい街だ」と口にすることはできない。


 表面的には平和でも、水面下では大きな脅威に晒されている。この街も《監獄都市》の中にある他の街と同じなのだ。


 ただ、街の人々の努力によって、それが可視化されていないだけにすぎない。


「ハンウンソさんは、かなり《レッド=ドラゴン》を恐れていたね」


 深雪は東日暮里のコリアタウンの中を歩きながら口にした。オリヴィエも厳しい表情をして相槌を打つ。


「そうですね。おそらく、あれは彼女個人の考えというより、東日暮里コリアタウンの人々の総意だという事でしょう」


 つまり、ハンウンソ以外のコリアタウンの住人に聞き込みをしたとしても、結果は変わらないという事だ。オリヴィエは表情を曇らせたまま、深雪たちに説明をする。


「実は、ベトナム人やフィリピン人などの他の信者の皆さんにも同様の質問をしてみたのです。けれど結果はほとんど変わりませんでした。《スケアクロウ》と思しき人物を知る者は皆無である一方、《東京中華街》のことに関してはひどく怯えた様子で、決して口を割らなかったのです。どうやら《レッド=ドラゴン》は《外国人街》の人々に対し、非常に強行的な態度を取っているようですね」


「……」


 深雪は新しい六華主人となった(ホアン)雷龍(レイロン)のことを思い出していた。


 黄雷龍とは何度か顔を合わせているし、彼の人物像はそれなりに掴んでいるつもりだ。黄家の元当主、(ホアン)鋼炎(ガンエン)の甥でもあった黄雷龍は、その境遇もあって確かにプライドの高い性格ではあった。


 けれど、一方で筋の通らないことや曲がったこと、卑怯な行為を嫌う正義感の強いところもあった。もし彼が本当に六華主人として《東京中華街》を統治していたら、むやみに《外国人街》の人々を怖がらせるような方針を選ぶだろうか。


 むしろそれは、黄雷龍の最も嫌うやり方であるような気がするのだが。


(今の《東京中華街》の体制に関しては、黄雷龍はいわゆる『傀儡政権』で、実権は黒家が握っているのではないかという話もある。その話がいよいよ信憑性を帯びてきたな……)


 東日暮里コリアタウンの北西部には《外国人街》と《東京中華街》を隔てる分厚いバリケードが横たわっている。そのバリケードはかなりの高さがあるため、コリアタウンの中からもその姿がよく見えた。

 

 延々と続く白い壁の向こうで何が起こっているのか、こちら側からは何も分からない。《東京中華街》はすぐそばにあるのに、とても遠い場所になってしまった。


 深雪は目を細め、遠くに続く白いバリケードを見つめながら呟いた。


「《東京中華街》はコリアタウンや他の《外国人街》の人たちにとって命綱だ。この混乱が早く収まればいいんだろうけど……」


「そうですね」


「……。ハンウンソさん、何を言いかけたのかな?」


 その場にいる全員――オリヴィエは勿論、シロや奈落も何のことかと深雪の方を振り返る。


「あ、いや……《スケアクロウ》の話をしている途中、急に言葉を濁したから。『そんな奇妙な人物はいませんでしたよ。ただ……』って。あれって、ハンウンソさんは『奇妙な人物』に何か心当たりがあったという事だよね?」


 言うまでもないが、それと《スケアクロウ》に関係があるとは限らない。


 ハンウンソは《スケアクロウ》のことを知らないと明言していたし、嘘をついているようにも見えなかった。だから、深雪がただ気にしすぎているだけかもしれない。


 でも、あのように濁されるとどうしても気になる。


 すると、それまで黙っていた奈落が不意にニッと笑った。


「そいつに関しちゃ、次に向かう先で詳しい話が聞けるかもしれねえぞ」


 奈落はいやに自信たっぷりだ。そこで次は奈落の案内に従うことにする。


 向かった先は、ロシア系住民の多いロシア人街だった。そのせいか、街の看板や標識もほぼ全てロシア語で表記されている。ビルの外装も《中立地帯》とは違っており、まるで外国に迷い込んだみたいな感覚になる。


 深雪たち四人の組み合わせが珍しいのか、道端にたむろしている数人の若者グループがじろじろと不躾な視線を向けてきた。なかなかの迫力だ。奈落はその中を構わず進んでいく。


 たどり着いたのはロシア風の酒場、バールだった。


 入り口に掲げられている看板もロシア語で、文字は読めないが、翻訳アプリを使うと《ピャーニッツァ》と読むらしいということが分かった。『酔っ払い』という意味だ。


 まだ昼間であるせいか、準備中らしく店内に客はいない。店に入るとカウンターの向こうに店主らしき人物の姿が見えた。体格が良く、上背もある。毛深い性質なのか、口元からフェイスラインまでこげ茶色の髭で覆われている。


 彼の目が深雪たちへ向けられた。あまりのその眼光の鋭さに、一瞬ぎょっとしてしまう。明らかに一般人の気迫ではない。先ほどの若者たちなどとは比べるべくもなかった。


 しかし奈落は、やはり慣れた様子で店主へ近づいていき、二言三言、ロシア語で言葉を交わす。どうやら、この酒場の店主とかなり親しい様子だ。


 それから奈落は深雪たちの方を振り返り、日本語で店主を紹介する。


「こいつの名は、イゴール=ペトロフ。むかし海外の傭兵部隊にいた。対ゴースト専門のな」


「それじゃ、この人も《ヘルハウンド》の?」


 深雪の問いに、奈落は首を振る。


「いや、違う。別の部隊だ。イゴールに《ヘルハウンド》での在籍経験はない。似たような組織は数多くある。今やゴースト狩りは一大産業と化しているからな」


「そうなんだ……確かに体格がいいし、傭兵って感じがするな。軍人っぽいっていうか……」


 深雪はそう答えつつ、店内に視線を巡らせた。


 カウンターの奥にある酒棚(バック・バー)には、さまざまなデザインの洋酒の瓶が並んでおり、その種類と数は圧巻の一言だった。ただ、テーブル席はレストラン仕様となっており、食事も楽しめるようになっているようだ。どちらかというと、居酒屋に近いのかもしれない。


 そのせいか、バーカウンターにも様々なものが並んでいた。木製のトレイにはパンが所狭しと詰め込まれ、その隣ではいくつかの総菜がそれぞれ皿に盛られて並べられている。


 また、チョコレートの入った小さなかごもあった。銀紙に包まれたチョコレートだ。


(あれ、このチョコレートって……!)


 深雪はハッとして奈落に視線を向けた。


「以前、俺にくれたチョコレート、ひょっとしてこの人から……?」


「そういうことだ」


 頷くと、奈落はロシア語に戻ってイゴールに声をかける。


「イゴール、こいつらが例の奴らだ。この間の話を聞かせてやってくれ」


「ああ、分かった。いいだろう」


 深雪は腕輪型端末の翻訳アプリをロシア語通訳に設定しなおした。一方のイゴールは、一番近くにいたオリヴィエに手を差し出す。


「イゴール=ペトロフだ」


「オリヴィエ=ノアです。今日はお時間を取っていただき、ありがとうございます」


 オリヴィエもイゴールの手を握り返す。二人のやり取りはロシア語ではなく英語だ。オリヴィエは深雪と違って、ある程度、ロシア語を理解しているようだが、イゴールが気を利かせたのだろう。


 オリヴィエは端正な顔に微笑を浮かべ、仕草もいつも通り優雅さと上品さを漂わせている。すると、イゴールはオリヴィエをしげしげと見つめてからぽつりと呟いた。


「ふうん、あんたが例の神父さんか」


 英語はよく分からない深雪にも、妙に含みのある言い方だということは分かった。おそらくイゴールは、事前に奈落から深雪たちのことを説明されていたのだろう。


()()……?」


 オリヴィエもそれを察したらしい。上品な笑顔にピキッとひびが入る。


 それから、半眼で奈落に毒づいた。


「……事前に私のことを彼に話していたのですね。一体どのような説明をしたのですか?」


 先ほどとは一転して声音にかなりドスが効いている。絶対に気のせいではない。


「別に、ただありのままを教えただけだ」 


 奈落は涼しい顔をして煙草を取り出し、愛用のライターで火をつける。どうやらこの店は喫煙可であるようだ。


 しかし、オリヴィエはそれでは到底納得できなかったらしく、激怒して奈落を問い詰めた。


「それが信用ならないから、こうして聞き質しているのですよ!! どうせ、説教臭いだの小うるさい姑みたいだの、性格が悪いだのと余計なことを言ったのでしょう!?」


「どれもれっきとした事実じゃねえか。何の問題がある?」


「大ありですよ! 神父は信用と安心が大切なのに……もはや営業妨害です!!」


「安心しな。みな、お前の本性についてはだいぶ気付いてるからよ」


 二人のノリとスタンスは、いついかなる時も変わらない。《中立地帯》にいようと、コリアタウンにいようと、ロシア人街にいようと。


 その鋼のような一貫性は素直にすごいと思うが、《スケアクロウ》の情報収集をするという目的を忘れていやしないかと心配にもなる。深雪たちは慣れているから構わないが、イゴールは戸惑うのではないか、と。


 ところが、当のイゴールは特に奈落とオリヴィエのやり取りを気にした様子もなく、今度は深雪とシロに手を差し出した。かつて傭兵だったというだけあり、ちっとやそっとのことでは動じないらしい。


 深雪とシロは、順にその手を握る。


「俺は雨宮深雪です」


「東雲シロだよ!」


「イゴールだ。よろしく。……その耳、イカしてるな」


 イゴールはシロの獣耳を目で指して言った。シロは褒められたのが嬉しいらしく、獣耳をぴょこぴょこさせる。


「ホント? ありがとう!」


 シロは相手が誰であろうと――たとえ筋肉粒々で強面の髭面男性であっても、たちまち打ち解けて仲良くなってしまう。片や深雪は若干の緊張を覚えつつ、翻訳アプリを介してイゴールに話しかけた。


「あの……この間、奈落がこちらでチョコレートを入手したと思うんですが、覚えていますか?」


「ナラク……?」


 眉根を寄せるイゴールに、奈落がロシア語で説明する。


「こっちじゃ、そう名乗ってる。地獄という意味なんだそうだ」


「ハハハ、そいつはいい! マキシム、お前にゃぴったりだぜ!」


 イゴールは歯を見せて笑った。笑うと雰囲気が一転し、陽気な若者っぽさが顔をのぞかせる。


 ひょっとするとイゴールは深雪が想像しているよりずっと若いのかもしれない。最初は五十歳以上の年代かと思ったが、多分、実際は三十代くらいなのではないか。顔の輪郭を覆う濃い髭のせいで、実年齢よりずっと年上に見えるのだ。


 彼の豪快で朗らかな笑顔に好感を抱いた深雪は、緊張を緩めつつ言葉を続ける。


「あのチョコレートは、実は俺が頼んだものだったんです。元気のない友達に贈りたくて……入手するのが難しいというのは分かっていたんですけど、彼のために何かしたくて。おかげで、友達はだいぶ回復しました。ありがとうございました」


「……」


 イゴールはじっと深雪を見つめていた。彫りが深いせいか、そのアッシュグリーンの瞳から彼の思考や感情を読み取ることはできない。


 やがてイゴールは何かを納得したように幾度か頷くと、最後に肩を竦めた。


「あんたが次期《中立地帯の死神》ってワケか。……。……なるほどな」


 無言の間がやたら長く、しかも雰囲気も心なしか微妙だ。どことなくだが、深雪が次期《中立地帯の死神》だなんて、どうにも理解できないというニュアンスを感じる。


 こんな奴で本当に大丈夫なのか。おそらくイゴールはそう思っているのではないか。


 しかも彼は、深雪の人となりを事前にある程度、知らされている。だから肩を竦めつつも、どこか納得した様子を見せているのだろう。


 深雪も思わず半眼になりながら奈落に尋ねた。


「……俺のことは何て説明したの?」


「さあてな」


 奈落はそう言って、煙草の煙を吐き出しながらニヤリと笑うのだった。この様子だと、絶対にロクなことは言ってないな。深雪はオリヴィエが激怒した理由を何となく理解する。


「そういえば、さっきイゴールさんが奈落のことをマキシムって呼んでいたよね。マキシムっていうのが奈落の本名なんだ?」


 何となく気になって尋ねると、奈落は素っ気なく言った。


「いや、そいつも偽名だ。名前はその場その場で使い分ける。キリル、セルゲイ、ジョージ、、ヴラディスラフ……といった具合にな」


「ええと……それじゃ、奈落の本名は何なの?」


「俺に名はない」


「名が無い……? それ、どういうこと?」


「どうもこうも、そのまんまの意味だ。名前なんざ、どうだっていいだろう。個体の識別ができりゃそれで十分だ」


 奈落は大して興味も無さそうに言い終えると、それきり口を閉じてしまった。そういうものなのだろうか。どうにも腑に落ちないが、奈落がそれでいいなら深雪が口を挟む問題でもない気がする。奈落もこれ以上、この話を続けるつもりはないようだ。


 一方、この場にいる全員と挨拶し終わったイゴールは、親指でカウンター席を指す。


「おい、お前ら。せっかく来たんだ。こっちに来て座れよ。何でもとはいかねえが、ドリンクなら多少は出せる」


 確かにイゴールにはこれから情報を提供してもらうのだ。飲み物くらいは注文しないと申し訳ない。


 深雪たちは勧められた通りカウンター席に座ると、それぞれ注文をしていった。ただし、頼んだものがそのまま出てくるわけではないらしい。


 その結果、深雪にはカフェ・ラテ、シロには甘いミルクティ、オリヴィエにはコーヒー、そして奈落には何故かドイツビールが出てきた。


(いくら酒場だからって、それはどうなんだ……)


 それはともかく、何故ドイツビールなのか。ロシアというと、ウォッカというイメージなのに。そう思ってよく見ると、彼の後ろにある酒棚(バック・バー)に並んだ酒瓶は半分ほどしか満たされていない。残りの半分はどれも空っぽだ。


 オリヴィエもそれに気づいて。イゴールに話しかけた。


「《監獄都市》の物資不足はこの店にも大きく影響しているようですね」


「そうだな。ま、ウチはこれでも、他店(よそ)よりはだいぶマシだがね」


 イゴールは小さく肩を竦める。深雪はすかさず質問を重ねた。


「それは……ひょっとして《東京中華街》と取り引きをしているからですか?」


「そうだ」


「もしかして、奈落が持ってきてくれたチョコレートも?」


「そういうことだ」


「でも……それを俺たちに話してしまっていいんですか? 他の街では最近の《レッド=ドラゴン》はとても威圧的だと聞いたんですが」


 すると、イゴールは睨むように眉根を寄せ、口元にニヤリと不敵な笑みを浮かべて言った。


「だから何だ? こちらも長年、傭兵稼業で身を立て世界中で商売しまくってきたんだ。《東京中華街》の奴らが何か文句を言ってくるってんなら、まあ一応、話は聞いてやってもいい。だが、手を出せば容赦なく報復をする。ただで()られるつもりはねえってことだ」


 先ほど奈落が言っていた。イゴールは以前、ゴースト狩りを専門に扱う傭兵部隊に属していたと。そこから察するに、イゴール自身もまたゴーストであり、戦闘系の強力なアニムスを持っている可能性が高い。


(つまり、イゴールさんは戦闘経験が豊富で腕っぷしも強く、なおかつアニムス戦になっても勝つ自信がある。《レッド=ドラゴン》の諜報員にも負けないという自負があるんだ。だからこうして、いろいろ話してくれるというわけか)


 そういう事情なら、こちらもある意味、安心して話を聞くことができる。深雪たちに情報を明かしたせいでイゴールが《レッド=ドラゴン》から攻撃を受けることは無さそうだからだ。


 ただし、イゴールは見た目も厳つく、警戒心が強いのか表情も乏しい。正直なことを言うと、ハンウンソほど話しやすい相手ではない。そこで深雪は世間話を兼ね、まずは《東京中華街》のことから会話を広げていくことにした。


「因みに、《東京中華街》側の人間と取り引きをする際には、どういった方法を使うんですか?」


 そう尋ねると、イゴールは一瞬押し黙ったあと、顎髭に手をやりつつ慎重に口を開く。


「……場所はだいたい地下だな。この街は地下がやたらめったら深いだろう? 商業施設の跡や廃棄された地下鉄跡などがそのまま放置されている。相手からそういった人けのない場所を指定されるんだ」


「指定……《レッド=ドラゴン》と直接、連絡を取り合っているんですか?」


「まさか。そんな親切な連中じゃない。店に入って来るチラシなんかに紛れて取り引きの日時や場所が細かく指定された紙が入って来るんだ。あとはその場所へ行くだけさ」


「その取り引きには、あなたお一人で?」


「ああ。俺の場合は俺一人だな。もっとも《東京中華街》の方は、俺の他にも多くの顧客を抱えているようだが」


 そこから察するに、《レッド=ドラゴン》は思っていたより多くの《外国人街》の人々と接触しているようだ。にもかかわらず、彼らの情報は《中立地帯》まで流れて来ない。《レッド=ドラゴン》の敷いた『箝口令』はよほど厳しいと見える。


 深雪はさらに尋ねた。


「取り引きに来る《東京中華街》の方の人員とは親しいんですか? 彼らはどのような雰囲気ですか?」 



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