第2話 東日暮里コリアタウン②
さらにオリヴィエは念を押すように付け加えた。
「因みに、このコリアタウンでは独自の自警団が組織されています。強力なゴーストの戦闘集団です。彼らは普段は非常に寛容ですが、相手を敵と見るや容赦はしません。ですから、街の雰囲気は開放的だとはいえ、言動には十分注意してくださいね」
「何で俺の方を見ながら言うんだ?」
奈落は不機嫌そうに隻眼を眇める。なかなかの圧迫感だが、オリヴィエはお構いなしに奈落へと詰め寄った。
「この中であなたが一番、やらかしそうだからに決まっているではありませんか」
「いちいち人聞きの悪い奴だな。俺も慣れない場所で喧嘩を売って回るほど馬鹿じゃない」
「その言葉の一体どこに説得力を見出せと!? とにかく、何があっても銃を抜くのだけはやめてください、いいですね!? 私たちはあくまで情報収集をしに来たのですから!」
「へーへー」
「気の抜けた返事をしない!!」
オリヴィエの怒り方は、もはや完全に学校の先生だ。
「大丈夫だよ。奈落はちょっと顔が怖いだけだもん。ね、ユキ?」
シロはにこにこと笑って深雪の方を振り返る。
「そ……そうだね」
確かにオリヴィエの言う通り、シロと二人だけでこの街に来た時より、若干、周囲の人々の視線を感じる気がする。おそらく警戒されているのだろう。しかしそのことは、今は黙っておくことにする。
「まったく……!」オリヴィエは小さく溜息をつくと、教会施設を指し、「それはさておき、まずは挨拶がてらにあの教会に行ってみましょう」とみなに提案した。
すると、奈落は途端に嫌そうな顔をする。それに気づいたオリヴィエは半眼になって言った。
「……何ですか、その顔は?」
「人間、誰しも憂鬱になる場所ってのはあるものだろ。歯医者しかり飛行機しかり、高所にかかった吊り橋しかり……な。俺にとっては宗教施設がそうだというだけだ」
「そうですか。それは残念でしたね。ですが歯医者を嫌がる子供よろしく大暴れするのだけはやめてください。もちろん、煙草も禁止です! 教会内は、全・面・禁・煙! ですので!!」
「ちっ……面倒くせーな」
まるで反抗期の中学生みたいな憎たらしい口振りだ。オリヴィエもその態度にはカチンときたらしく、語気を強める。
「いいですか? 繰り返しますが、私たちの目的は敵の殲滅ではなく情報収集です! 大事なのはあなた自らが口にした言葉の説得力ですよ、説得力!!」
「分かった、分かった。しかし、煙草もおちおち吸えねえとなると、キムチが食いたくなってくるな」
「どうぞお好きに!」
奈落とオリヴィエのやり取りを着ていると、深雪も無性にキムチが食べたくなってきた。甘みや調味料で味を誤魔化していない本格的なキムチは、《中立地帯》ではなかなか手に入らない。
「みんなのおみやげに少し買っていこうか」
深雪の案に、シロも大喜びだ。
「やったー! シロ、キムチ大好き! 真っ白なご飯にのせて食べるの!!」
そんな話をしながら四人で教会の門を潜る。
ちょうどミサを行っていない時間帯であったらしく、教会の敷地内は閑散としていた。教会の建物の入り口で掃き掃除をしている女性が一人、いるだけだ。もっとも、オリヴィエはその女性と顔見知りのようで、さっそく近づいて行って彼女に声をかける。ちなみに言語は韓国語だ。
「ハンウンソさん、こんにちは。お疲れ様です」
「あら、ノア神父さま! いらしてたんですか」
顔を上げる女性。
その顔を見て、深雪はあっと声を上げた。彼女が以前、あれこれと深雪に教えてくれた食料品店の女性店主だったからだ。
深雪は装着した腕輪型端末を操作し、以前、マリアがインストールしてくれた翻訳アプリを起動した。これがあれば、オリヴィエとハンウンソという女性の会話を日本語に同時翻訳してくれる。
「いつも教会の中を綺麗にしていただいてありがとうございます」
オリヴィエが丁寧に感謝の言葉を口にすると、ハンウンソは手にしていた箒と塵取りを脇によけ、からからと笑った。
「いえいえ、当番ですから。どうぞお気になさらず。それよりノア神父さま、この子たちの知り合いだったんですか! それならそうと早く言ってくだされば……」
ハンウンソの視線が深雪とシロに向いた瞬間をとらえ、深雪は二人の会話に割って入った。深雪の話す言葉は日本語だが、翻訳アプリが自動で韓国語に通訳してくれる。
「すみません、先日はお騒がせしてしまって。俺たちもオリヴィエにはこの街に来ていることを知らせていなかったので……教会の存在とかついさっき知ったんです」
「ああ、そうだったの。神父さまの知り合いなら安心だし、こっちも大歓迎さ。またいつでもおいで。もっとも、街を壊されるのは困るけどね」
ハンウンソの反応は思ったより大らかで、からりとしていた。もっとも、そういった対応をされると、却ってますます申し訳なさが募る。
シロもしょんぼりとして獣耳の垂れた頭を下げた。
「本当にごめんなさい……」
「いいよ、気にしなくて。だってあんたたち二人は私らに被害が及ぶのを懸念して、すぐに街から移動してくれただろ? それに、あんた達も被害者だってことは分かってるから。その代わりと言っちゃなんだけど、神父さまのことをよろしくね」
女性店主はそう言って相好を崩した。彼女がこれほど寛大な態度で接してくれるのは、オリヴィエが同行しているからだ。深雪はすぐにそう気づいた。
ハンウンソにとってオリヴィエはただの外国人ではない。自分の信奉する宗教の司祭であり、いわば身内であるも同然なのだ。もしこの場にオリヴィエがいなければ、深雪たちは即座に追い返されていただろう。これが彼の言う宗教の力というものなのかもしれない。
ところが、それまでにこやかだったハンウンソは、シロの後ろに立つ奈落にふと目を留めた途端、俄かに表情を引き攣らせる。
「ええと……こちらの方も神父さまのお知り合いで……?」
想定内の質問だったのか、オリヴィエはにっこりと笑い、何食わぬ顔で答えた。
「彼のことは気にしないでください。その辺に生えている、ちょっと大きめのズッキーニくらいに思っていただければ」
(そ……それはかなり無理があるのでは……)
深雪はそう思いつつも、またもや黙っておくことにした。奈落の風貌は明らかに一般人ではない。コリアタウンの人間でなくたって警戒するだろう。
ズッキーニ扱いをされた奈落もさすがに不服そうだが、話をややこしくするだけだと分かっているのか口を挟まない。
まずはハンウンソから情報を聞き出さねば。
その空気を察したのか、オリヴィエが彼女に切り出す。
「……ところでハンウンソさん、今日は少しお伺いしたいことがあるのです。お時間を少しいただいても構いませんか?」
「え……ええ、いいですよ。隣の集会所へ行きましょうか」
ハンウンソの言う通り、教会の隣には集会所が設けられていた。集会所へと移動する途中で、深雪はオリヴィエからハンウンソについて教えてもらった。
ハンウンソはコリアタウンの自治会運営メンバーの一人らしい。年齢は四十二。街の中でそれなりに決定権を持つ人物のようだ。
集会所は二階建てで、集会室はもちろんのこと、会議室や事務室、倉庫なども兼ねているらしい。このコリアタウンにとって重要な拠点の一つであるらしく、飾り気はないもののがっしりとした造りをしている。
深雪たちが通されたのは、その集会所の一階にある会議室の一つだった。
部屋には折りたためるタイプの長い会議テーブルが一つと、その両脇にパイプ椅子が三つずつ。
ハンウンソが片方の側の席に着き、それに対面する形でオリヴィエと深雪、シロの三人が並んで椅子に座る。それに加わるつもりはないのか、奈落は立ったまま、入り口近くの壁に背をもたれている。
ハンウンソは一度、席を立つと集会所の給湯室に向かい、深雪たちに茶を出してくれた。香ばしい香りを漂わせているトウモロコシ茶だ。
「……それで、お話とは何でしょう?」
そう口にしつつ椅子に座るハンウンソに、さっそくオリヴィエが尋ねた。
「実は、私たちはある人物を探しています。《スケアクロウ》と呼ばれている情報屋です。聞いたことはありませんか?」
「《スケアクロウ》……ですか。いえ、聞いたことは無いですね。それはどういった人物なんですか?」
すると、今度はシロが頬を膨らませながら説明する。
「《スケアクロウ》は事実無根の噂や嘘ばかり広めて、街のみんなを混乱させているの! 暴力は使わないけど、悪い奴なの!!」
「デマの拡散は良くないね、とっちめてやらなきゃ! 神父さま、その《スケアクロウ》とやらは何者ですか? 日本人ですか、それとも他の国の出身者とか?」
ハンウンソは息巻くが、オリヴィエは首を横に振る。
「詳しいことは分かりません。主に日本語を喋るそうなので、私たちは日本人ではないかと考えていますが、他の国の出身者である可能性も捨てきれません」
「はあ……謎の多い人物なんですね」
「その通りです。何しろ、本名のみならず性別や年齢すらも不明なのですから。しかし《スケアクロウ》は非常に特徴的な格好をしています。全身は黒づくめですが頭には真っ白なペストマスクを被っていて、声を変成器で変えているのです」
「ペストマスク……?」
「こういう感じの……鳥の嘴みたいなマスクです」
深雪はそう説明しつつ、腕輪型の携帯端末で《スケアクロウ》の画像を浮かび上がらせ、それをハンウンソに見せる。
ロングコートにパンツ、ブーツなど、身にまとう全てが漆黒で統一された中、顔面に装着したペストマスクだけが真っ白という異様な姿。マリアが防犯カメラでようやく捉えたもので、深雪たちが《スケアクロウ》に関して入手している唯一の画像だ。
「これがその《スケアクロウ》を捉えた唯一の画像なのですが」
ハンウンソはオリヴィエの言葉に頷きながら携帯端末の画像を覗き込む。しかし思い当たる人物はいないらしく、首を捻るばかりだった。
「いえ……やはり見たことも聞いたこともありません。これだけ奇妙な格好をしているんですもの、街の誰かが目にしていたら絶対に話題になっているはずです。けれど、誰一人そんな話はしていません」
「そうですか……」
オリヴィエのみならず深雪も肩を落とした。そんな簡単に手がかりが掴めるとは思っていなかったが、こう派手に空振りするとさすがに落胆を禁じえない。
ハンウンソはそれを気遣ってか、ある提案をする。
「神父さまはもちろんご存知だと思いますが、この教会には他の区画の信者さんもミサを受けるために大勢集まります。ベトナム人やフィリピン人、南米の人々が多いですが、ヨーロッパやオーストラリア、アフリカの人々なども来ますよ。彼らにもその《スケアクロウ》という情報屋について聞いてみましょうか?」
それを聞き、オリヴィエは嬉しそうに微笑んだ。
「お願いしてもいいですか? 助かります」
「いえいえ、他でもない神父さまの頼みですもの。それに、このコリアタウンがいつ《スケアクロウ》とかいう輩の標的にならないとも限りませんしね」
取り敢えずこのコリアタウンは、今のところ《スケアクロウ》とは関係がないと見て良さそうだ。だが、もう少し情報を得たい。
たとえば、このコリアタウンは物資が比較的、豊富であり、《東京中華街》との関係を続けている可能性が高いという。《東京中華街》の中国人たちは《スケアクロウ》と関係が無いのだろうか。深雪はそこから探ることにする。
「話が逸れますが、この街は他の《外国人街》に比べ、ずいぶんと豊かで落ち着いていますね」
「え、ええ。まあ……そうですね」
「ハンウンソさんは以前、俺たちにこう教えてくれましたよね。このコリアタウンも他の《外国人街》と同様で、《東京中華街》との取引が無くなり困っていると。でもひょっとして、本当は今でも《東京中華街》と繋がりがあるんじゃないですか? だからこれだけ安定していて、余裕があるのでは?」
「それは……」
深雪の追及を受け、ハンウンソは途端に表情を曇らせた。どうやらあまり触れられたくない話題らしい。それを見たオリヴィエが、気を利かせて横からフォローを入れてくれる。
「何か事情があるなら、無理をして話さなくて良いですよ。今はどの街も厳しい状況に置かれていますから。ただ……私たちは決してあなた方の詮索をするつもりはありません。あくまで《スケアクロウ》の情報を手に入れたいだけなのです。《スケアクロウ》が《東京中華街》を拠点に活動している可能性も考えられますので」
ハンウンソはなおも迷っていたようだが、やがて内緒話をする時のように身を乗り出し、声を潜めつつ口を開いた。
「神父さまだから特別にお話ししますけど、確かに《東京中華街》とは今でも定期的に取引をしていますよ。ただ、それを外部に対して口外しないようにしているんです。もし物資が豊富だなんて噂が広まって《アラハバキ》の連中に目をつけられたら面倒ですし、他の《外国人街》や日本人のゴーストから妬みや反感を買う恐れもありますしね」
そう言ってから、ハンウンソは慌てて付け加える。
「とはいえ、決して生活物資や食料を私たちだけで独占しているわけではありませんよ。同じカトリックの信徒には物資を譲ったりしています。けれど、こちらもそれを大々的に行うほどの余剰はありませんので、どうしても限定的にならざるを得ないのですが」
気が咎めるのだろう、ハンウンソの口振りは奥歯にものが挟まったようだった。
「後ろめたさを感じる必要はありませんよ。あなた達の行いで多くの人々が救われているでしょうから」
オリヴィエは微笑を浮かべ、そう慰める。
実際、《中立地帯》を始め《監獄都市》全体がこれまでにないほど激しく揺れ動いている。この街が《休戦協定》によってもたらされた安定期を抜け、動乱期に差し掛かっているのはもはや間違いのない事実だ。そんな情勢下では、誰だって自分たちの身を守るだけで精一杯になるだろう。
オリヴィエの助言に、ハンウンソもほっとしたようだった。
「ありがとうございます。神父さまにそう仰っていただけると、少し気が楽になります」
彼女の顔が緩んだところで、深雪は再度、問いかける。
「ところで……ハンウンソさん、あなたご自身が《レッド=ドラゴン》と接触することはあるんですか?」
「ええ、ありますよ」
「その中に《スケアクロウ》の特徴に該当する人物は?」
「いなかったと思うけどねえ。少なくとも、私が接した中にはそんな奇妙な人物はいませんでしたよ。ただ……」
「ただ?」
ところが次の瞬間、ハンウンソはさっと顔を強張らせて俯くのだった。
「いえ……これ以上は、私の口からはちょっと」
深雪とオリヴィエは、さっと視線を交わした。オリヴィエも彼女の異変を察知したようだ。やんわりとした口調で、ハンウンソに言葉の続きを促す。
「どうか聞かせてください。ハンウンソさん、何か気になることがあるのではないですか?」
「堪忍してください。いくら神父さまでも、これ以上は……! もし私が余計なことを喋ったせいで、《東京中華街》に取り引きを断たれるようなことになったら困りますから。それに……」
「それに?」
「《レッド=ドラゴン》側からも、あまり《東京中華街》に関することを触れ回るなと釘を刺されているんです。もし取り決めを破ったと知られたら、どんな目に遭わされるか……!」
深雪は眉根を寄せた。
「それは本当ですか? 《レッド=ドラゴン》が自分たちのことは喋るなと?」
以前の《レッド=ドラゴン》は、《外国人街》との関係を特に伏せていなかった。《外国人街》は《レッド=ドラゴン》と思しき人々で溢れていたし、《東京中華街》にも多くの《外国人街》の住人が仕事などを求めて訪れていた。
それなのに、何故、《レッド=ドラゴン》は今さら《外国人街》との関わりを隠すのだろう。何だかきな臭く感じるのは気のせいだろうか。
ハンウンソは表情を強張らせたまま、深雪の問いに「ええ」と答える。
「彼らは以前とは、がらりと変わってしまいました。紅神獄が六華主人だった時は互いにとても良好な関係を築けていたのに、黄雷龍が新たな六華主人になった途端に高圧的な態度で威嚇するようになり……少しでも逆らえば厳しい報復まで受けるようになりました。できれば関わりたくないのですが、《レッド=ドラゴン》との取り引きができなくなれば、こちらも街を維持することすら難しくなるので、下手に手を切るわけにもいかず……正直、私たちも困惑しているところです」
ハンウンソの顔色は悪い。血の気が引き、すっかり青ざめている。心から《レッド=ドラゴン》を恐れている証拠だ。
「……でも、どれだけ蔑ろにされ軽んじられても、私たちは耐えるしかありません。私たちと《東京中華街》は一蓮托生ですから」
ハンウンソは頑なだった。
それ以降は、どれだけ尋ねても《東京中華街》のことに関して一言も話さなかった。
彼女にとって、それだけ《レッド=ドラゴン》が恐怖の対象であるということなのだろう。東雲探偵事務所の《死刑執行人》とは比べ物にならないほど。
これ以上は特に大きな収穫を得られそうにもない。
深雪たちはハンウンソに厚く礼を言い、集会所を後にすることにした。




