第4話 《ピャーニッツァ》②
「どうって……まあ普通だな。互いの用事を終えたらすぐに別れる。今はもうあまり親しくしたい感じでもねえし、いわゆる長居は無用ってヤツだ」
「今は……? 昔は違ったんですか?」
身を乗り出して問い返すと、イゴールは一瞬、バツの悪そうな顔をする。
「鋭いな、《死神》さんよ。……俺が《東京中華街》との取り引きを始めたのは十年近く前のことになる。このロシア人街はとにかく食料品や生活物資が必要としていて、俺が街を代表しそれらを《東京中華街》から買っていた。代わりに奴らが欲しがったのが情報だ」
「情報……?」
「ああ。《中立地帯》、《死刑執行人》の動向や《収管庁》の動き、そして何と言っても《アラハバキ》の情報を知りたがっていたな」
「でも、《アラハバキ》は……」
深雪が言葉を濁しつつ指摘すると、イゴールはフンと鼻を鳴らした。
「ああ、そうさ。《アラハバキ》の連中は俺たちのような外国人をひどく嫌っている。だが、そうは言っても同じ《監獄都市》の中に住んでいるんだ、全く情報が流れてこないってわけじゃない。《外国人街》の中には日本人とのミックスも多いから、そういう奴らがそれとなく情報を拾って来ることもある。俺の知り合いにもそういう手合いの情報屋がいるしな。
……つまり俺たちは《東京中華街》の奴らよりは《アラハバキ》に関する情報を集めやすいってワケだ。俺は中国語を少し話せるから、向こうにとっても付き合いやすかったんだろう。言うなれば、互いにお得意様だったってワケさ。あの頃は取り引きついでに世間話なんかもして、割と和気藹々としていたんだがな」
(そのギブアンドテイクが形を変えつつ、今でも続いているのか)
考えてみれば、ごくごく自然な話だと思う。《外国人街》はもともと《東京中華街》と密接に繋がりを持つ一方で、《中立地帯》とはそれほど関わりを持ってこなかった。
決して両者の関係が悪かったというわけではない。ただ、《外国人街》は《収管庁》の干渉を嫌がっている節があり、また《収管庁》も《外国人街》には深入りをせず見て見ぬ振りを続けてきた。《収管庁》にしてみれば、これ以上、厄介事を抱え込みたくないというのが正直なところなのだろう。だから、特に問題を起こさなければ、《外国人街》は放置――それが《中立地帯》の基本的なスタンスだった。
それもあり、余計に《外国人街》は《東京中華街》に依存せざるを得なかったのだろう。
けれど、実際それでうまく回ってきたのだ。《東京中華街》がバリケードで覆われる前までは。
そこまで考え、深雪はふと首を傾げる。
「でも、そもそもどうして《東京中華街》は、今でも《外国人街》との繋がりを維持しているんだろう? あんなにバリケードを張って拒絶しているみたいに見えるのに」
すると、ビールが三分の一ほど残ったグラスを揺らしつつ、奈落がそれに答えた。
「一つはやはり情報のためだろうな。いくら閉じ籠っていても、この《監獄都市》から逃れられるわけじゃない。ああ見えて他の街の情勢を気にしているんだろう」
続いて口を開いたのはオリヴィエだ。
「あとは《外国人街》を《東京中華街》の味方にしておきたいというのもあるのかもしれませんね。《外国人街》は、《中立地帯》や《新八洲特区》と《東京中華街》の間にある、いわば緩衝地帯ですから。《外国人街》が消失してしまったら《東京中華街》は《中立地帯》や《新八洲特区》と直に接するようになってしまう。だから《東京中華街》は《外国人街》を支援して存続させ、その緩衝地帯を維持するようにしているのでしょう」
要するに、《レッド=ドラゴン》にとって《外国人街》が存在し続けた方が、何かと大きな利益を得られるということか。
とはいえ、以前ほど気安く接するつもりはない。だから生かさず殺さず、程よく物資を流し、都合よく利用し続けているというわけだ。
「……まあ、お前さんたちの推測は概ねその通りだろうよ。実際、昔は《東京中華街》の諜報員に頼まれ、代わりに情報を集めることもあった。逆に《中立地帯》や《外国人街》に情報を流したこともある。《東京中華街》の依頼を受けてな。もちろん対価はいただいた上でだが」
そしてイゴールは少し懐かしそうに遠くを見ると、豪快にビールを煽った。グラスになみなみ注がれていたビールが一気に空になる。彼もまた、酒には強い性質であるらしい。
「あの頃は今とは違って、《東京中華街》もずいぶん開放的だった。六家専属の諜報員がそれぞれ独自に動いていて、その諜報員たちの間に良い意味で競争原理が働いていた。おかげで協力者である俺たちに対する待遇も今よりずっと良かった」
「相手は諜報を専門にしているのですよね? どの諜報員がどの家の構成員か、分かるものなのですか?」
興味をそそられたのか、オリヴィエが軽い口振りで疑問を口にする。すると、イゴールは太い人差し指でカウンターの表面をコツコツと叩きつつ、首を横に振った。
「そりゃあ、服装や格好で簡単に見分けがつくわけじゃない。《レッド=ドラゴン》の多くは民族服を着ているが、諜報員ともなると俺たちのような普通の普段着を着ていたりするし、民族服を着ている場合でも少なくとも一見しただけでどこの家のものか分かるということは無い。
ただ、長く付き合っているうちにそいつがどの家に属しているか徐々に分かってくるものなんだ。相手の欲しがる情報の内容やちょっとした言動なんかでな。もっとも、こっちもあくまで商売をしたいだけで別に深入りをしたいわけじゃなかったから、何も気づかないふりをして付き合っていたがな。
特に当時、権力を握っていた紅家や黄家専属の部隊は動きが活発だった。連中の存在は《外国人街》でも有名で、《天満月》という名で知られていた」
それを聞き、深雪はかつて《レッド=ドラゴン》の一員だったという過去を持つ、仲間の紅神狼のことを思い出していた。
(そういえば、神狼は《紫蝙蝠》という組織の一員だったと言っていたな。《レッド=ドラゴン》の六家それぞれが似たような組織を抱えているというわけか。この辺りの事情は神狼に聞けばもっと詳しく教えてくれるかもしれない)
その間も、イゴールの言葉は続く。
「だが、ついこの間、《東京中華街》でひと揉めあって紅神獄が死んだだろう。そのころから六家の勢力図に大きな変化が起きてな。今じゃ《天満月》の姿は全く見なくなっちまった」
カウンター席は一瞬、しんと静まり返った。
何せ深雪たちは、『紅神獄が死んだ』事件の当事者でもある。だからどうしても他人事にはなれない。
特にオリヴィエは眉根を寄せ、重々しい声音でイゴールに問いかけた。
「……。消えた《天満月》の諜報部隊はどこへ行ったのでしょう?」
「さあな。ただ……権力闘争に負けた奴らの末路ってのは昔からきまっている。そいつを考えりゃ、《天満月》がどうなったのかも、あらかた想像はつくだろう?」
「……」
イゴールの答えを聞き、オリヴィエはさらに顔を曇らせた。それも当然のことだろう。深雪たちの中でも、《東京中華街》事変の黒幕と最も近い位置にいる人間の一人がオリヴィエだからだ。
《東京中華街》事変を起こし紅神獄と黄鋼炎を死に追いやった黒幕は、現在の黒家の当主である黒蛇水だ。
もっとも、黒蛇水本人はとうの昔に死んでいる。いま黒蛇水の体に潜り込みそれを操っているのは、オリヴィエの半身である悪魔なのだ。
悪魔はオリヴィエと同じ、自分の地を操る《スティグマ》というアニムスを持っている。そのアニムスを使って、黒蛇水を乗っ取り、成りすましたのだ。
オリヴィエと悪魔は、元は一つだったのだという。それが何らかの理由で二つに分かれ、異なった人格を持った別人として存在するようになった。けれど、元は一つだったという過去に縛られてか、オリヴィエは悪魔の悪事を自分の責任のように考えている節がある。今もきっと、悪魔のせいで命を落とした《天満月》たちに罪悪感を抱いているのだろう。
それを知らないイゴールは、さらに説明を付け加えた。
「代わりに台頭してきたのが、《月牙》だ」
「《月牙》……? 確か、黒家お抱えの諜報部隊ですよね!?」
深雪が前のめりになって聞き返すと、イゴールはわずかに目を見開いた。
「ほう、よく知ってるな」
(黒家の諜報部隊なら、率いているのは十中八九、神狼のお兄さんである黒彩水だ!)
黄家の長である黄雷龍が本当に《東京中華街》の実権を握っていたなら、今まで通り《天満月》が活発に動いていたはずだ。それが姿を消し、黒家のお抱え部隊である《月牙》が台頭したのなら、やはり《東京中華街》は実質的に黒家によって支配されているのも同然ということになるのではないか。
「その《月牙》というのはどういったかんじの人たちなんですか?」
主題である《スケアクロウ》からは逸れるが、この際、もう少し詳しく現在の《東京中華街》の内部の様子を知りたい。深雪は質問を重ねる。
「奴らは異常なまでに猜疑心が強い。俺たち《外国人街》の人間はおろか、身内の《レッド=ドラゴン》構成員にでさえ心を許していない、徹底した秘密主義者だ。そのせいか、しばしば高圧的で物言いもきつく、特に守秘義務を厳しく課してくる」
イゴールは顔をしかめつつそう答えた。なるほど、コリアタウンのハンウンソや他のベトナム人やフィリピン人が怯えるのもよく分かる。
「つまり現在の《外国人街》と《東京中華街》のパイプ役はその《月牙》という諜報員が担っているという事ですね?」
「ああ。だが、それもほんの一時のことだった」
「……? それはどういうことですか⁉」
「最近、《東京中華街》からやって来る奴らは、六家の諜報部隊や《月牙》とは全く様子が違う。まず、連中は全く民族服を着ない。《月牙》と同じで全身黒づくめだが、服装はいわゆる現代服ばかりだ」
「……!」
「しかもそいつらは、《月牙》よりもさらに輪をかけた秘密主義でな。何せ顔は常にミリタリー系のフェイスマスクやタクティカルマスクで隠し、声まで機械音声に加工してやがる。時には顔面が鏡みたいなフルフェイスのヘルメットを被っていることもあるな。まるでSFの世界から飛び出してきたみたいな最新式の装備を全身にまとってな。
おかげで相手が男か女か、年齢すらも全く分からねえときた。《東京中華街》との付き合いはそれなりに長いが、こんなことは初めてだ」
それを聞き、深雪は瞠目した。
「マスクをしていて、変声器で声を加工している……!? それって……!!」
「ええ。《スケアクロウ》の特徴にそっくりですね」
オリヴィエも大きく頷く。まさか、《月牙》の代わりに現れるようになった諜報部隊とは、《スケアクロウ》かその関係者のことなのでは。深雪は急いで腕輪型端末を操作する。
「その中に白いペストマスクを被った人物はいませんでしたか? こういう姿をしているんですが」
深雪はイゴールに、マリアが防犯カメラで捉えた《スケアクロウ》の映像を見せた。東日暮里のコリアタウンでハンウンソにも見せたものと同じ画像だ。
ところが、イゴールはしかめ面のまま首を捻る。
「いや……そういう変わったマスクをした奴はさすがに見たことがねえ。ただ、最近《東京中華街》からやって来る連中はそいつと似たような恰好をしている。マスク以外の雰囲気はほぼ同じだ」
それを聞き、深雪は内心で肩を落とした。これでうまく《スケアクロウ》に繋がってくれると良かったのだが。まあ、そううまくはいかないか。
ともかく、《東京中華街》の内部事情を少しでも知ることができたのは収穫だ。《監獄都市》の中に閉じ込められている以上、《東京中華街》のことは他人事ではない。
《東京中華街》が傾けばみなが損失を被る。それは《中立地帯》や《新八洲特区》も同じだ。
「ハンウンソさん、何か言いかけて黙っちゃったけど、本当はこのことを伝えたかったのかな? 最近の《東京中華街》の人たちは以前と違うって」
「……」
深雪の問いに、他の皆は答えなかった。いや、答えられなかったのだろう。
《東京中華街》に何が起きているのか、深雪たちには全く分からない。以前の《東京中華街》はカラフルなネオンを発し、巨大な高層ビルが立ち並び、まるでサイバーパンクを実現させたかのような発展した街並みをこれでもかと見せつけていた。
けれど、《東京中華街》事変の際にそれらの多くも跡形もなく破壊されてしまった。おまけに今は真っ白なバリケードに遮られ、内部の様子も全くと言って良いほど伝わってこない。
(白家の人たちや藍家の人たちにはとても世話になったし、助けられた。みな無事なんだろうか……?)
特に白家や藍家は、いずれも《レッド=ドラゴン》の中では少数勢力だ。黄家さえ勢力維持が危ういと見られる今の《東京中華街》で、今まで通り何事もなく平和に、というわけにはいかないのではないか。
とはいえ、彼らは少数派なりに強かだ。《東京中華街》に潜入して彼らに接し、深雪はそのことを痛感させられた。だからきっと、持ち前の聡明さと逞しさを生かして、無事でいると信じたい。心配しつつも、深雪は次の質問に移った。
「それで、その《東京中華街》の新しい諜報員たちはどんな情報を集めているんでしょう?」
するとイゴールは、髭のたっぷり生えた顎を右手でさすりながら言った。
「そうだなあ……《収管庁》や《死刑執行人》、特に《中立地帯の死神》についての情報を集めているようだったな」
「ほとんど《中立地帯》の情報ですね。てっきり《レッド=ドラゴン》は今も《アラハバキ》を警戒し、敵視しているのだと思っていたんですが」
「以前の奴らなら確かにそうだったろうな。紅神獄が生きていた頃はとにかく《アラハバキ》の動きを警戒し、監視していた。でも今の《レッド=ドラゴン》は《アラハバキ》より《死刑執行人》を敵視しているように見える。《アラハバキ》はもはや眼中にないという感じだな。ま、あんたらも気を付けた方がいいぜ」
イゴールはそう言うと、ニヤリと笑った。
もちろん、《レッド=ドラゴン》に対して油断するつもりは一切ない。だからこそ、こうしてこつこつと情報を集めているのだ。
ただし、イゴールの話を聞いて深雪が感じたのは、脅威よりもある種の不気味さだった。
(《レッド=ドラゴン》はあんなに憎んでいた《アラハバキ》を、今はもう警戒していない……? 何故だろう? 確かに上松組の跡目争いで《新八洲特区》も相当な混乱状態に陥ったようだけど、それでも《アラハバキ》の支配体制が揺らいだり弱体化したりしたわけじゃない。それなのに……どうして急に監視を緩めたんだ? 《東京中華街》が新体制に移行したことで《アラハバキ》に対する過去の遺恨が消えた……? でも、黄雷龍にしろ黒家にしろ、《アラハバキ》に対する敵意の強さは紅家と変わらないように見えたけど……)
どうにも腑に落ちない。これまでの《レッド=ドラゴン》とは明らかに違う。
何より問題なのは、彼らが《収管庁》や《死刑執行人》の情報を集めて何をしようとしているか、だ。
だが、今のところその狙いが全く分からない。
するとオリヴィエがぽつりと呟いた。
「……同じですね」
「え?」
「《スケアクロウ》は私たち《死刑執行人》や《収管庁》をしつこく攻撃し、徹底的に業務の邪魔をして追い詰めました。つまり《スケアクロウ》は我々に対し明確な敵対意志を見せたという事です。一方、《東京中華街》の新しい諜報部隊もやはり《死刑執行人》や《収管庁》を敵視し情報を集めている。仇敵である《アラハバキ》への警戒を緩めてまで……。この一致はただの偶然でしょうか?」
オリヴィエの指摘を受け、深雪は改めて考えてみる。
《スケアクロウ》と《東京中華街》の新たな諜報部隊には、確かに共通する点が多いかもしれない。
身にまとっているのが民族服ではなく現代服であるところ、変成器で自らの音声を加工しているところ。また、《収管庁》や《死刑執行人》を異常なまでに敵視しているところ。
しかし、いずれも両者が繋がっていると断定することができるほどの確かな証拠だとは言えない。
イゴールの言っていたような黒づくめの現代服なら《中立地帯》でも一般的だし、変成器にしても金さえあれば誰でも手に入れることができる。《収管庁》や《死刑執行人》を良く思っていない者となれば、《監獄都市》の住民全員に対象が広がってしまうだろう。
このまま一人で考えていたのでは埒が明かない。深雪はそれまでずっと黙っていた奈落の意見を聞いてみようと思いついた。
「……奈落はどう思う? イゴールさんのしてくれた話、俺たちより先に聞いてたんでしょ?」
顔を向けると、奈落のグラスは確かに先ほど空になったはずなのに、再びビールが満たされている。間違いなく二杯目だ。
これは質問をする相手を間違えただろうか。深雪は一瞬、話を振ったことを後悔する。
しかし奈落はそんなことなどお構いなしに、ビールを口に運びつつ口を開くのだった。




