第8話「なぜか上手くいく」
舞踏会の準備委員になってから、学院での私の立場が少しずつ変わっていた。
断罪を取り消されただけでは、周囲の目は冷たいままだった。「悪役令嬢」のレッテルは簡単には剥がれない。でも王太子推薦の準備委員となれば話が違う。「殿下が認めた令嬢」という肩書きが加わる。
廊下で挨拶されるようになった。食堂で席を譲られるようになった。ゲームでは味わえなかった「悪役令嬢の社会復帰」が、じわじわと進んでいる。
問題は——これが全部、アレクサンダーの手回しだということだ。
気づいたのは、リーリエが教えてくれた一言がきっかけだった。
「クラーラ様、今度の試験の座席、変わったんですよ。クラーラ様が窓際になりました」
「窓際? 前回は一番後ろだったのに」
「アレクサンダー殿下が試験官に『席順を成績順にしてはどうか』と提案されたそうで。クラーラ様、成績良いですもんね」
成績順。
私の成績が良い理由は単純だ。ゲームの知識がそのまま試験に使える。歴史も魔法理論も、ゲームの設定をなぞっているだけで高得点が取れる。
アレクサンダーはそれを知っている——いや、推測している。だから「成績順」を提案した。成績が良ければ良い席になり、周囲の評価が上がる。
裏で手を回している。
次に気づいたのは、図書室での出来事だった。
いつもの席で本を読んでいると、司書が近づいてきた。
「リンデンバウム嬢。特別閲覧室の利用許可が下りましたので、お知らせします」
「特別閲覧室? 申請した覚えがないのですが」
「成績優秀者への自動許可です。先月から制度が変わりまして」
先月。断罪が取り消された直後の時期。
(また、か)
特別閲覧室にはゲームの設定に関わる希少本がある——なんてことは考えすぎだろうか。いや、アレクサンダーの行動パターンから考えると、そういう計算があってもおかしくない。
その日の夕方、私はフリッツに呼び止められた。
廊下の隅。フリッツは真っ直ぐな姿勢で立っていたが、表情がいつもより硬い。
「リンデンバウム嬢。少しお時間をいただけますか」
「ええ。何でしょう」
「率直に申し上げます。——殿下のことです」
やっぱりか。
「殿下が、最近おかしいんです」
知ってる。
「おかしい、とは?」
「以前の殿下は——もっと淡泊なお方でした。学院の制度に口を出すことも、特定の令嬢に便宜を図ることもなかった。それが断罪以降——」
フリッツが言葉を切って、真剣な目で私を見る。
「リンデンバウム嬢に関わることばかり、手を回しておいでです」
声に非難の色はない。困惑だ。長年仕えてきた主人が急に変わったことへの、純粋な戸惑い。
「フリッツ様。私にも、殿下のお考えはわかりません」
「本当に?」
鋭い。このフリッツという男、ゲームでは忠実一辺倒の側近だったが、この世界では人を見る目がある。
「本当です。私は——ただ、殿下のご厚意に甘えているだけです」
嘘ではない。手を回しているのはアレクサンダーの方で、私はその恩恵を受けているだけだ。
フリッツは数秒、私の顔を見つめていた。
「……わかりました。失礼なことを申しました」
「いいえ。フリッツ様が殿下を心配されるのは当然のことです」
フリッツが一礼して去っていく。
その背中を見送りながら、私は考える。
アレクサンダーは裏で手を回して、私の学院生活を整えている。断罪の後遺症を消すように、一つずつ障害を取り除いている。
ゲームでは——悪役令嬢の断罪後、何のフォローもなかった。追放されて終わり。
でもアレクサンダーが「二周目」なら。一周目で悪役令嬢の末路を見て、「今度は助ける」と決めたなら。断罪を止めるだけでは足りない。断罪の「影響」まで消さなければ、悪役令嬢は学院で孤立したまま結局は不幸になる。
だから——制度を変え、席順を変え、閲覧室の許可を出した。
(全部、計算している。全部、私のために)
なぜ。
なぜ、悪役令嬢をそこまで?
自室に戻って、ベッドに倒れ込んだ。枕に顔を埋める。羽毛のかすかな獣臭。この世界の枕は前世のポリエステル綿より匂いが強い。
ゲームの悪役令嬢クラーラは、嫌われ者だった。意地悪で、高慢で、ヒロインをいじめる。プレイヤーから見れば「こいつがいなくなってせいせいする」キャラクター。
それを——「面白い」と思った人がいる。「助けたい」と思った人がいる。
わからない。理解できない。
でも——否定もできなかった。
なぜかうまくいく日常。その裏にある、銀髪の王太子の影。
認めない。感謝もしない。知らないふりを続ける。
でも——あの男のおかげで今の私がいることは、嘘をつけない事実だった。




