第9話「裏で手が回っている」
手が回っている。確実に。
気づいたのは準備委員会の二回目のミーティングの朝だった。
会議室に入ると、テーブルの上に舞踏会の招待客リストが広げられていた。アレクサンダーはまだ来ていない。フリッツが先に着いていて、リストを整理していた。
「フリッツ様、おはようございます」
「リンデンバウム嬢。おはようございます」
リストに目を通す。王族、上級貴族、学院関係者——ゲームの舞踏会イベントに登場するキャラクターたちの名前がずらりと並んでいる。
その中に、一つ。
(ヴァイスベルク伯爵の名前がない)
ゲームでは、ヴァイスベルク伯爵は舞踏会で悪役令嬢に絡んでくるNPCだ。酔って悪役令嬢に侮辱的な発言をし、それが原因で悪役令嬢がさらに孤立する——というイベントがある。
そのヴァイスベルク伯爵が、招待客リストから外されている。
「フリッツ様。このリスト、殿下がお作りになったのですか?」
「はい。殿下が昨晩、手ずから選定されました」
手ずから。王太子が舞踏会の招待客を一人ずつ選ぶなんて、普通はしない。事務方に任せる仕事だ。
(ヴァイスベルク伯爵を外した。悪役令嬢に害をなすキャラクターを——排除した)
鳥肌が立つ。
アレクサンダーはゲームのイベントを把握していて、私に不利な展開を事前に潰している。座席の変更や閲覧室の許可は「偶然」で片付けられたが、これは違う。特定のキャラクターを招待客から外すのは、ゲーム知識がなければ意味のない行動だ。
この人、本気だ。
ドアが開いて、アレクサンダーが入ってきた。いつもの制服姿。銀髪を耳の後ろにかけ、書類の束を小脇に抱えている。
「すまない、遅くなった。——リストは確認したか?」
「はい。殿下が選定されたと伺いました」
「ああ。今回は少し絞った。人数が多すぎると会場が窮屈になる」
嘘。会場のキャパシティの問題ではない。私に害をなす人物を省いただけだ。
でも——指摘しない。「なぜヴァイスベルク伯爵がいないんですか」とは聞かない。聞いたら「なぜヴァイスベルク伯爵が危険だと知っている」と返される。
リーリエが最後に到着して、ミーティングが始まった。
装飾の打ち合わせ。テーマカラーの選定。料理のメニュー。普通の準備委員会の話し合い。
でも私の頭の中は、リストのことでいっぱいだった。
会議中、何度かアレクサンダーと目が合った。そのたびに、彼は柔らかく——本当に柔らかく、微笑んだ。断罪イベントで見た冷たい目とは別人のように。
(その笑顔、ゲームのどのルートにもなかった)
会議が終わり、各自が席を立つ。
私が部屋を出ようとしたとき、アレクサンダーが声をかけた。
「リンデンバウム嬢。少しいいか」
「はい」
フリッツとリーリエが先に出ていく。また二人きりだ。
「舞踏会のことで、一つ確認したい」
「何でしょう」
「リンデンバウム嬢は——踊りは得意か?」
踊り。
正直に言えば——得意ではない。前世では踊る機会なんてなかったし、この世界でも悪役令嬢は舞踏会で踊る相手がいなかった。ゲームでは悪役令嬢が一人で壁際に立っているスチルがあった。
「嗜み程度には」
「そうか。——第二楽章、覚えているか?」
また第二楽章。
「先日の会議で話題に出た曲ですね。変則的な拍子の」
「ああ。あれは——リードする側が手順を知っていないと崩れる」
リードする側。男性側。つまり——
「俺が練習相手になろう」
は?
「……殿下が、ですか?」
「委員として、舞踏会の演目を確認しておく必要がある。数日のうちに、主要な出席者を集めて合同練習の場を設けるつもりだ。——その場で、な」
建前。完璧な建前。委員としての業務の一環。
でも。
(王太子が悪役令嬢の練習相手を買って出る。ゲームのどこにもないイベント)
断る理由が見つからない。委員としての提案を断れば、非協力的と見なされる。
「……ありがたいお申し出です。では、お言葉に甘えて」
「決まりだ。日程は追って通達する」
アレクサンダーが書類を抱え直して部屋を出ていった。
一人残された会議室で、私は椅子に沈み込んだ。
招待客リストから危険人物を消し、座席を有利に変え、閲覧室の許可を出し、そして今度は踊りの練習。
裏で手が回っている。私の知らないところで、私のための舞台が整えられていく。
窓の外で夕日が沈んでいく。ガラスに映る自分の顔が、困っているのか笑っているのかわからない表情をしていた。
(あの王太子は——いったい、どこまでやるつもり?)
数日後の合同練習。大勢の目がある中で、あの男と踊る。
第二楽章——ゲームの「運命の転換点」の曲を。
これが罠でないなら、何なのだろう。
罠だとわかっていて——足を踏み入れようとしている自分が、一番怖かった。




