第4話「こっちもにおわせる」
王太子ばかりが仕掛けてくるのは、面白くない。
三日目の朝、私は鏡の前で身支度を整えながら決意した。
こっちもやり返してやる。
といっても「私も転生者です」と白状するわけではない。アレクサンダーが私にやっているのと同じことをする。ゲーム知識を匂わせて、反応を見る。
相手がこちらの正体を探っているなら、こちらも相手の正体を確認する権利がある。
一時間目は魔法実技の授業だった。
この世界には魔法がある。ゲームでは戦闘システムの一部だったが、実際に体験すると「手のひらから火が出る」のは怖い。入学してから半年、私はまだ小さな炎を出すのがやっとだ。
練習場で各自が的に向かって魔法を放つ中、アレクサンダーが完璧な氷の槍を的のど真ん中に突き刺した。
うまい。ゲームでも王太子は氷属性の魔法が得意だった。
——ここだ。
私はアレクサンダーの隣を通りがかるタイミングで、独り言のように呟いた。
「氷の槍って、連射すると燃費が悪いんですよね」
足を止めずに、さらっと。
アレクサンダーが振り向く気配がした。
「氷の槍の燃費が悪い」。これはゲームの戦闘バランスの話だ。氷の槍は威力は高いがMP消費が激しく、連発するとすぐにMPが尽きる。プレイヤーの間では有名な話。
でもこの世界の住人にとっては——「燃費」という概念自体がおかしい。魔法の消耗を「燃費」と表現する貴族令嬢は普通いない。
教室の端で水を飲みながら、横目でアレクサンダーを観察する。
王太子は氷の槍を構えたまま、一瞬だけ動きが止まっていた。
それから、何事もなかったように次の的に槍を放った。
(反応した)
一瞬の停止。あれは「今のは何だ?」と引っかかった人間の間だ。
手応えあり。
昼休み、今度は私の方からアレクサンダーの近くに行った。
図書室。王太子は窓際の席で分厚い本を読んでいる。フリッツが隣の席に座って別の本を読んでいた。
私は王太子の二つ隣の席に座り、棚から一冊の本を取り出した。
『王国年代記・第七巻——覚醒の時代』
ゲームのサブイベントに関わる歴史書。メインシナリオをクリアした後に解放される追加コンテンツで、この本に書かれた情報が隠しルートの鍵になる。
わざと表紙が見えるように、テーブルの上に置いた。
ページをめくる。別に内容を読む気はない。大事なのは「この本を選んだ」という行為だ。
五分ほど経って、ちらりと視線を上げた。
アレクサンダーが、こちらを見ていた。
正確には——私の手元の本の表紙を見ていた。
目が合った。
一秒。二秒。
アレクサンダーが視線を自分の本に戻す。何事もなかったように。
(見た。確実に見た)
あの本の意味がわかる人間は、ゲームの隠しルートを知っている人間だけだ。普通の歴史書として手に取る生徒もいるだろうが、わざわざ注目する理由はない。
注目した。つまり——あの本の「ゲーム上の意味」を知っている。
夕方、授業が終わった後の廊下で、三度目の仕掛けを打った。
アレクサンダーとすれ違う際に、わざと一言。
「殿下。来月の舞踏会、第二楽章で踊るのは難しいですわね」
第二楽章。ゲームの舞踏会イベントで、王太子ルートの分岐点になる曲だ。第二楽章で悪役令嬢と踊ると「隠しフラグ」が立つ。
普通の会話としても成立する。舞踏会の話題を振っているだけ。でもゲームを知っていれば——「第二楽章」の意味がわかる。
アレクサンダーの足が、ほんの一瞬だけ遅くなった。
「……第二楽章か。確かに、あの曲は——独特だな」
独特。
嘘をつけ。「独特」なんて曖昧な表現でごまかすな。あの曲はゲームの中で明確に「運命の転換点」として演出されている。そう言えないから「独特」と言い換えたのだろう。
「ええ。独特ですわね」
私も同じ言葉を返す。お互い「独特」の意味が全く違うことを知りながら。
すれ違い際に、甘い白檀の香りが鼻をかすめた。アレクサンダーの香水。前回と同じ匂い。
その背中が廊下の向こうに消えるのを見届けてから、私は壁に背中を預けた。
息を吐く。
今日一日、三回仕掛けた。三回とも反応があった。
確率の問題ではない。三回連続でゲーム関連の話題に反応する人間が「ただの王太子」であるはずがない。
(やっぱり、転生者だ)
でも——向こうも同じことを思っている。
私の「燃費」発言、図書室の本の選択、「第二楽章」の話題。どれもゲーム知識がなければ出てこない言動だ。アレクサンダーから見れば、私は「限りなく怪しい悪役令嬢」になっているはず。
つまり、今の状況はこうだ。
お互いが「こいつ転生者だ」と九割方確信している。
でも、お互いに認めない。
認めたら——何が起きるかわからないから。
廊下の窓から夕焼けが差し込んでいた。オレンジと紫が混じった空。前世で見た夕焼けと、色の深さが違う。
(明日もきっと、この茶番が続く)
ため息が出た。でも——不思議と、嫌ではなかった。




