第3話「におわせてくる」
断罪が取り消されてから二日が経った。
学院生活は一応続いている。クラスメイトたちは私に対する態度を決めかねているようで、話しかけてくる者もいなければ、露骨に避ける者もいない。宙ぶらりんの状態。居心地は悪いが、追放されるよりはましだ。
問題はアレクサンダーだ。
あの東庭園の会話以来、王太子は私に対して——におわせてくる。
最初は授業中だった。
歴史学の講義。教授が「ラウエンシュタイン王朝の滅亡」について語っている。ゲームの中では重要な伏線になる歴史イベントで、終盤のシナリオに深く関わる知識だ。
教授の話が佳境に入った時、ふと前の席から視線を感じた。
アレクサンダーが、半身をこちらに向けていた。
そして——こう言った。
「リンデンバウム嬢は、ラウエンシュタイン王朝についてお詳しいのではないか?」
普通の質問。歴史の授業中に「詳しいのでは」と聞くのは不自然ではない。
でも。
ラウエンシュタイン王朝の滅亡は、ゲームのメインシナリオで「攻略に必須の知識」だ。プレイヤーなら全員知っている。プレイヤーでなければ——この世界の貴族令嬢がわざわざ詳しい分野ではない。
(「プレイヤーなら知ってるよね?」って——聞いてる?)
「いいえ。歴史は不得手ですわ」
とぼけた。完璧にとぼけた。表情筋を一切動かさず、退屈そうな声で返した。
アレクサンダーは「そうか」とだけ言って前を向いた。
背中に汗をかいている。制服のブラウスが肌に張りつく感触が不快だ。
次は昼食の時間だった。
食堂で一人で食事をしていると——断罪された令嬢と同じテーブルに座りたがる人間はいない——アレクサンダーがトレイを持って近づいてきた。
「隣、いいか」
「殿下がお望みなら」
断れるわけがない。王太子だ。
アレクサンダーは私の向かいに座り、黙々とスープを飲み始めた。カボチャのポタージュ。湯気が立ち昇って、甘い香りが鼻先を掠める。
沈黙が続く。
食堂の喧噪が遠い。周囲の生徒たちが「王太子と悪役令嬢が一緒に食事をしている」という光景に固まっているのが視界の端でわかる。
「リンデンバウム嬢」
「はい」
「この学院の食堂のメニューは、気に入っているか?」
世間話。王太子が悪役令嬢に世間話をしている。異常だ。
「ええ、おいしいですわ」
「そうか。——俺は、前から思っていたんだが」
前から?
「このカボチャのポタージュ、どこかで飲んだことがある気がするんだ」
手が止まった。
カボチャのポタージュ。ゲームの食堂イベントで、王太子ルートの好感度が上がる選択肢に出てくるメニューだ。「王太子と一緒にカボチャのポタージュを選ぶ」と好感度プラス五。
どこかで飲んだことがある。前の人生で、ゲームの画面越しに。
(におわせないで!)
内心で叫ぶ。顔には出さない。出したら負けだ。
「既視感、でしょうか。ポタージュはどこでも似た味ですから」
「……そうだな。既視感か。いい言葉だ」
「いい言葉」じゃない。あなたにとって「既視感」は比喩じゃなくて事実でしょう。
食事が終わるまで、アレクサンダーは当たり障りのない話を続けた。天気のこと、授業のこと、来月の舞踏会のこと。
全部、普通の会話。
全部、微妙にゲームのイベントを連想させる話題。
天気——ゲーム序盤の「雨の日の出会いイベント」。授業——「歴史の授業で二人が議論するイベント」。舞踏会——言うまでもない。
(全部、わざとだ)
食堂を出たあと、廊下を歩きながら私は奥歯を噛み締めた。
アレクサンダーは確信していないのだ。私が転生者だという確信が、まだない。だから小出しにゲーム関連の話題を振って、反応を見ている。
そして私は——完璧にとぼけ続けている。つもりだ。
つもり、なのだけれど。
「クラーラ様」
廊下の角を曲がったところで、リーリエに出くわした。
聖女のヒロイン。蜂蜜色の髪に、澄んだ緑の瞳。ゲームのメインヒロインそのままの、柔らかくて、優しくて、誰からも好かれる完璧な女の子。
「リーリエ嬢」
「あの、少しよろしいですか?」
リーリエの声は穏やかだが、目に困惑の色が浮かんでいる。
「先ほど、食堂でアレクサンダー殿下とご一緒でしたよね」
「ええ。殿下の方から来られたので」
「そうですか……あの、変なことを聞くのですが」
リーリエが小首を傾げる。
「殿下、最近少し変ではありませんか?」
変。
変だ。めちゃくちゃ変だ。
でもそれは「転生者だから」とは言えない。
「変、とは?」
「うまく言えないのですが……断罪のとき、急に止めたでしょう? それに、昨日も私に『リーリエ嬢はそのままでいてくれ』と言うんです。意味がわからなくて」
「そのままでいてくれ」。
ゲームのヒロインルートの重要な台詞だ。本来は終盤、王太子がヒロインへの想いを自覚してから言う言葉。それを序盤のこのタイミングで言うなんて——
(タイミングが違う。台詞の使い方を間違えている。この王太子、ゲームの順番をちゃんと覚えていないんじゃ——)
「さあ。殿下のお考えは、私にはわかりかねます」
「そうですよね。すみません、変なことを聞いて」
リーリエは申し訳なさそうに笑って去っていった。
その背中を見送りながら、私は額に手を当てる。
あの王太子、におわせるだけでなく、他のキャラクターへの対応まで変えている。ゲームの台詞を断片的に、しかも順番を無視して使い始めている。
これは——この先、もっとひどくなる気がする。




