エピローグ
卒業式の朝は、よく晴れていた。
学院の礼拝堂に集まった卒業生たちが、白い式服に身を包んで整列している。ステンドグラスの光が床に色とりどりの模様を落として、厳かなのに、どこかお祭りみたいだ。
隣にリーリエがいる。式服の襟元を直しながら、きょろきょろと周囲を見回している。
「クラーラ様、殿下の姿が見えませんけど」
「王族は別の入り口からですよ」
「ああ、そうでした。卒業式でも別動線なんですね、王族って」
「不便ですよね」
「不便です」
リーリエが頬を膨らませた。この子は聖女候補のまま卒業する。覚醒イベントは起きなかった。アレクサンダーの計画通り——いや、私たち二人の計画通りだ。
式が始まった。
学院長の話は長い。ゲームでもスキップボタンを連打した記憶がある。隣のリーリエは真面目に聞いているが、後ろの列からフリッツの小さなあくびが聞こえた。
王太子の祝辞。
壇上にアレクサンダーが立った。白い式服に金のサッシュ。背筋が伸びて、凛として、どこからどう見ても王太子にふさわしい姿だ。
原稿を持っていない。暗記しているのか、即興なのか。
「本日、この学院を巣立つ諸君に」
低い、通る声。
「一つだけ伝えたいことがある」
琥珀の瞳が、ちらりと私を見た。一瞬だけ。他の誰にも気づかれない速さで。
「人生に台本はない」
鼓動がひとつ、大きく鳴った。
「あらかじめ決められた筋書きはない。予想外のことが起き、計画は狂い、思った通りにはいかない。——だが」
壇上のアレクサンダーが、僅かに口角を上げた。
「台本がないからこそ、隣にいる人間の存在が意味を持つ。一人で演じるより、二人で書いた物語のほうが面白い。俺はこの学院で、それを学んだ」
会場がしんと静まった。
リーリエが「いいお話……」と小声で感動している。フリッツが後ろで「殿下、原稿を変えましたね」と呟いている。
私は——手のひらを握りしめて、泣かないように上を向いていた。礼拝堂のステンドグラスがぼやけて、赤と青と金がにじむ。
あれは私に向けた言葉だ。
二人で台本を書く、と言ったのは私だ。それを壇上から返してくるなんて、反則にもほどがある。
式が終わった。
礼拝堂を出ると、学院の中庭は春の陽光であふれていた。冬を越えて、季節が変わっている。花壇に植えられた薄紫のクロッカスが、風に揺れていた。
「クラーラ」
振り返ると、アレクサンダーが立っていた。
式服の金のサッシュが陽光を受けて光っている。その隣にフリッツ。少し離れてリーリエ。
「祝辞、よかったですよ」
「そうか。原稿は三回書き直した」
「即興かと思いました」
「即興に見えたならフリッツの指導の賜物だ」
「私は『原稿通りに読んでください』としか申し上げておりませんが」とフリッツ。
四人で中庭を歩いた。
卒業生たちが写真を撮り、花束を交換し、涙と笑顔があちこちに散らばっている。
中庭の南の隅では、あの白薔薇が一輪目を開いていた。名前はまだ決まっていない。候補が30を超えたあたりで、二人とも選ぶのをやめた。どうせ時間なら、これからいくらでもある。
ふと、足が止まった。
中庭の端。あのベンチだ。
秋に二人で座って、小指を繋いだベンチ。冬の間は雪をかぶっていたのだろう。今は乾いていて、木の表面が陽に温められている。
「座る?」
アレクサンダーが聞いた。
「ええ」
並んで座った。
リーリエとフリッツは気を利かせて少し離れたところにいる。リーリエがフリッツに何か話しかけて、フリッツが困った顔をしている。あの二人はあの二人で、妙な関係性が生まれつつある。
「ねえ、殿下」
「ああ」
「もう卒業ですね」
「ああ」
「これからは、学院の外で」
「そうだな」
「ゲームの第七章以降は、もう存在しませんよ」
アレクサンダーが笑った。
「知っている。一周目もここで終わった」
「怖くないですか。台本がまったくない未来」
「怖いか?」
「少しだけ」
正直に言った。ゲームの知識という安全網がなくなる。何が起きるかわからない未来。それは自由であると同時に、不安でもある。
アレクサンダーの手が伸びた。
今度は小指ではなく、手のひらごと。
私の手を、包むように握った。
春の陽だまりと、この人自身の体温が混ざって、指の隙間まで沁みてくる。
「台本はなくていい。隣に、お前がいるから」
祝辞の焼き直しだ。壇上で何百人に向けて言ったのと同じ趣旨を、今度はたった一人に向けて言っている。ずるい。ずるすぎる。
「……殿下」
「ああ」
「呼び方、変えていいですか」
「好きにしろ」
「——アレク」
名前を呼んだ。
アレクサンダーの耳が赤くなった。わかりやすすぎる。嘘も下手だが、照れ隠しも壊滅的だ。
「……もう一回」
「アレク」
「もう一回」
「何回言わせるんですか」
「あと五回くらい」
笑った。声を上げて、お腹が痛くなるくらい笑った。
リーリエが遠くから「お二人ともー! 写真撮りますよー!」と叫んでいる。フリッツがカメラ(この世界では魔法式記録装置と呼ぶらしい)を構えている。
立ち上がる。手を繋いだまま。
「行きましょう、アレク」
「ああ」
知らないふりの始まった学院を、知らないふりをやめた二人が出ていく。
二周目の物語はここで終わる。でも台本のない続きは——二人で書く物語は、もう始まっている。
春の風がクロッカスを揺らした。薄紫の花弁が一枚、繋いだ手の上に落ちてきた。
払わないまま、歩き出した。
——了——




