第26話「お前も転生者だろ」
収穫祭の当日、学院は朝から華やかに着飾っていた。
中庭の特設舞台——昨日のうちに留め金を全部交換された——には色とりどりの旗が揺れ、屋台からは焼き菓子と林檎酒の甘い匂いが流れてくる。秋の空は高く澄んで、祭りにはこれ以上ない天気だ。
私は舞台裏の控室で、村娘その三の衣装を着ていた。
収穫祭の演劇は学院の伝統行事で、各クラスが寸劇を披露する。うちのクラスの演目は「聖女と竜騎士」。私の台詞は二行。悪役令嬢の配役としては実に平和である。
(ゲームにもこの演劇イベントはあった。裏でリーリエの魔力が暴走する展開——のはずだけど、もうゲーム通りに進む保証はない)
それより、だ。
祭りのどこかで、少し時間をもらえるか。
昨夜の医務室の声が、朝からずっと頭の中にいる。あの人が何を言うつもりなのか。考えれば考えるほど答えは一つしか浮かばなくて、その一つを、私はまだ直視できずにいた。
控室の扉が開いた。
「リンデンバウム嬢、少しいいか」
アレクサンダー。あちらのクラスは王子役をやるらしく、胸に金の飾り紐のついた衣装を着ている。似合いすぎていて腹が立つ。歩き方がいつもより硬いのは、背中の湿布のせいだろう。
「……何でしょう」
「外で話したい。二人きりで」
祭りのどこか、は今らしい。膝の裏が、すうっと冷たくなった。
控室を出て、舞台裏の通路を抜け、学院の裏庭に出る。喧騒が遠い。植え込みのラベンダーが風に揺れて、紫の匂いがかすかに立つ。その向こうに、昼下がりの高い空。
アレクサンダーが立ち止まり、振り返った。
「リンデンバウム嬢」
「はい」
「——いや」
一度、目を閉じる。長い睫毛が頬に影を落とした。
目が開く。
「クラーラ」
名前だ。二度目の、名前。今度は落下の最中ではなく、地に足のついた場所で、まっすぐ私を見て。
「昨日の足場の件で、確信した。……いや、本当はずっと前から確信していた。昨日、言い訳が尽きただけだ」
風が止まった。ラベンダーの揺れが止まり、空気が薄くなる。
「お前も——転生者だろ」
ついに、来た。何ヶ月もかけて、ようやくこの一言が。
「な……」
反射だけで、舌が動いた。何のことでしょう。笑って首を傾げて、いつもの棒読みを返せば、この場は収まる。何ヶ月も続けてきた、いつもの——
「何のこと、で……」
言いかけて、続かなかった。
目の前の人は、逃げ道を全部塞いだ顔をしていた。覚悟という名札を下げたような顔。この人だって怖いはずだ。「何のことだ」で逃げ続けてきた人が、自分から退路を焼いて立っている。
それに。
破片を拾うリーリエの手。図書室の天秤の話。昨日の、湿布だらけの背中。
知らないふりの代金は、もう十分に払った。私も、この人も——何も知らない子にまで、払わせた。
「……どうして、今なんですか」
声が掠れた。アレクサンダーは目を逸らさない。
「昨日、落ちていく君を見た。間に合ったのは、知っていたからだ。だが——知っていても、間に合わないことがある。奉献式でそれを思い知って、なお黙っていた。天秤が釣り合っているうちは、と」
一拍。
「昨日、傾いた。もう戻らない」
図書室で聞いた仮定の話を、この人は仮定のまま終わらせなかった。
息を吸う。ラベンダーの匂いがした。
「——あなたもでしょ」
言った。
言ってしまった。何ヶ月も喉の奥で凍らせてきた一言は、口に出してみれば、ほんのひと息ぶんだった。
アレクサンダーの目が見開かれる。
沈黙。三秒。五秒。十秒。
そして——
「「知ってた」」
同時だった。
完璧に同時だった。同じ選択肢を、同じ瞬間に押したような告白。
……次の瞬間、二人そろって、その場にしゃがみ込んだ。
膝から力が抜けたのだ。私は両手で顔を覆い、あの人は腰に手を当ててうずくまっている。何ヶ月分の緊張が、栓を抜いたみたいに流れ出していく。立っていられるほうがどうかしている。
「……は」
先に噴き出したのは、アレクサンダーだった。
「ははっ——知ってた、って。お互い、知ってた、って」
「ぷっ——あはは、ひどい。何なの今の、何のコントなの」
「お前が先に言え。転生者ならもっと早く」
「殿下こそ! 棒読みの『何のことだ』を、私が何回聞かされたと思ってるんですか!」
「あれは戦略的な否定だ」
「戦略的な棒読みなんてありません!」
「笑うな——いや俺も笑っているが、背中に響く」
「自業自得です!」
裏庭で、王子の衣装と村娘その三の衣装がしゃがみ込んで笑っている。絵面として最悪だ。最悪で、最高だった。
笑いが少しずつ収まってくる。目尻に滲んだものを指で拭った。笑いすぎたせいなのか、別の理由なのか、自分でも判別がつかない。
「……いつから気づいていた」
アレクサンダーが、息を整えながら聞いた。
「最初の日からです。断罪の日。殿下の台詞が、ゲームと違ったので」
「俺もだ。断罪されながら、お前はまるで動揺していなかった。普通の令嬢なら泣く場面だ」
「泣かなかったのは、ゲームの断罪シーンで泣く演技をするのが馬鹿馬鹿しかったからです」
「……つまり最初からお互い知っていて、ここまで全部茶番だったわけだ」
「お互い様でしょう」
立ち上がって、スカートの土を払う。秘密が解禁された途端、質問の在庫が何ヶ月分も雪崩を起こしていた。まずは、いちばん古いやつから。
「殿下は、ゲームを何周したんですか」
「……一周だ」
アレクサンダーは少し黙ってから、付け足した。
「画面の外で一周。それから——中で、今が二周目だ」
画面の外で。
やっぱり、と思う。この人の一周目は、この世界の中ですらなかった。台本を全部知っていて、一行も変えられない場所。応接室の壁越しに聞いたあの声の意味を、本人の口から確かめてしまった。
「私も一周です。……ご一緒ですね、周回数」
「そうだな。似た者同士だ」
言ってから、白状したいことが一つ、喉まで上がってきた。今日を逃したら、たぶん一生言えない種類のやつだ。
「あの。一周目の私——画面のこちら側にいた頃の私は、悪役令嬢の断罪を、お菓子をつまみながら眺めてました。『このシナリオ容赦ない』って思いながら、最後まで。あなたみたいに、助けたいなんて、一度も」
「それが普通の遊び方だ」
即答だった。
「俺のほうが変なんだ。一周目の脚本に、引っかかる台詞が一つあって——それきり、引っかかったままだった」
「台詞?」
「断罪の場で、悪役令嬢が最後に言う。『私は間違っていたかもしれないけれど、嘘はついていないわ』と」
覚えている。私も声に出して読める。でも、続きを言ったのは私ではなかった。
「あの台詞の人間が破滅して終わる脚本が、どうしても気に入らなかった。——だから二周目で、肝心のお前が嘘ばかり上達していくのは、相当に妙な気分だったぞ」
「誰のせいだと思ってるんですか、半分は」
「ああ。……半分は、認める」
軽く言い合って、それから、どちらからともなく目を伏せた。笑いの底に、笑いきれないものが一枚沈んでいる。
「——奉献式の日」
私が言うと、アレクサンダーの顎がわずかに引かれた。
「私、殿下が動くと思って黙っていました。いいえ——本当は、自分が問われるのが怖くて黙ったんです。殿下のせいにして」
「俺もだ。君が動くという言い訳で、自分の正体を守った。……あの日の借りは、二人のものだ」
「ええ。二人で返していくんでしょうね、これから」
「お互い様、というやつだな」
「それ、気に入りました?」
「便利な言葉だ」
ラベンダーが揺れる。アレクサンダーが、ふと思い出したように私を見た。
「しかし、お前はいつから『俺が確信している』ことに気づいていた? 昨夜の医務室では、もう驚いていなかっただろう」
「『一周目の台詞は、覚えている』」
そっくりそのまま、声の低さまで似せて引用してやった。アレクサンダーの動きが止まる。
「——そう言ってましたよね、フリッツ様に」
「……聞いていたのか」
「盗み聞きではありません。戦略的——」
「情報収集か。お前も大概だな」
「お互い様です」
三度目のお互い様。この言葉、当分は二人の合言葉になりそうだ。
アレクサンダーが、ゆっくりとこちらに手を伸ばした。頬に触れる——のではなく、肩についたラベンダーの花びらをつまみ上げる。指先が肩を掠めて、一瞬の温度だけが残った。
「花びらがついていた」
「……ありがとうございます」
鼓動が、遠くの祭り太鼓より速い。さんざん笑い合った直後なのに、空気の質が変わっている。
そのとき、収穫祭の鐘が鳴った。演劇の開始を告げる鐘だ。
「——行こう。劇が始まる」
「ええ」
並んで歩き出す。舞台裏に向かって。
知らないふりの衣装をようやく脱いだ二人が、今度は別の衣装を着て舞台に上がる。
なんだか、おかしくて仕方なかった。




