第1話「なぜ止めた」
断罪イベントは、中途半端に終わった。
「三日の猶予」という謎の提案をしたアレクサンダーに、周囲の貴族たちはざわついたものの、王太子の発言に正面から反対できる者はいない。リーリエは困惑した顔のまま黙っていたし、断罪の証人として並んでいた取り巻きの令嬢たちも「は?」という表情で固まっていた。
結局、三日後に改めて判断を下すということになり、私は追放を免れたまま自室に戻ることになった。
問題は——なぜ止めたのか、だ。
翌朝、私は自室の寝台の上で天井を睨んでいた。
天井の漆喰に小さなひび割れがある。入学してから毎朝見ている。前世で住んでいたアパートの天井のシミを思い出す。あっちはもっと大きかった。
話を戻そう。
王太子アレクサンダーが断罪を止めた理由。考えられる可能性は三つ。
一つ目。ゲームとこの世界の仕様が違う。断罪イベントに「猶予」という選択肢がもともと存在していて、私が知らないだけ。
ない。一周しかプレイしていないけれど、攻略サイトは隅々まで読んだ。断罪イベントに猶予の選択肢は存在しない。
二つ目。アレクサンダーの性格がゲームと異なる。この世界の彼は情に厚く、悪役令嬢を一方的に断罪することに抵抗があった。
……ない。あの目は「情」ではなかった。もっと冷静で、もっと計算高い何かだ。
三つ目。
(転生者)
布団を引き上げて顔を覆う。綿の匂いがする。この世界の洗剤は花の香りが強いから、嗅ぎ慣れるまでに半年かかった。
アレクサンダーが転生者だとしたら、すべて辻褄が合う。
台詞がゲームと違ったのは、暗記した台詞をなぞるのが面倒になったから。「件の騒動」なんて曖昧にぼかしたのは、具体的な内容をど忘れしたから。そして「追放されて構わないのか」と聞いたのは——
断罪イベントの結末を知っているから。
でも。
(だとしたら、なんで止めたの?)
ゲームでは悪役令嬢は追放されて終わり。追放後の描写はほとんどない。せいぜいエンディングで「あの悪役令嬢は地方で暮らしているそうです」とナレーションが入る程度。
わざわざ追放を止める意味がわからない。
コンコン、とドアを叩く音がした。
「クラーラお嬢様、フリッツ様がお見えです」
メイドの声に、私は布団から這い出た。
フリッツ。王太子の側近。ゲームではサブキャラクターで、王太子に忠実な騎士として描かれていた。真面目で堅物で、悪役令嬢にも礼儀正しい——もっとも好意はゼロ、というタイプ。
応接間に降りると、フリッツが直立不動で待っていた。栗色の短髪に、きっちり整えられた騎士服。背筋がまっすぐで、見ているだけで姿勢を正したくなる。
「リンデンバウム嬢。突然の来訪、失礼いたします」
「いえ、構いません。——殿下のご用件でしょうか」
「はい。殿下より伝言を預かっております」
フリッツが懐から封書を取り出す。蝋で封がされている。王家の紋章入り。わざわざ封書にする内容とは。
受け取って、その場で封を切った。
中には一枚の便箋。整った筆跡で、短い文が記されている。
『三日の猶予について、直接話したい。本日午後、学院の東庭園にて待つ。——アレクサンダー』
……東庭園。
ゲームで「王太子と悪役令嬢が最初に出会う場所」として設定されている庭園だ。メインシナリオには関わらない設定資料集レベルの情報。
偶然?
いや。
(東庭園の意味を知っていて、わざと指定している?)
確信が深まる。この王太子は、設定資料集レベルのゲーム知識を持っている。普通にプレイしただけでは知り得ない場所を、わざわざ待ち合わせに選んでいる。
テスト。これはテストだ。
東庭園の意味に反応するかどうかで、私が「ただの悪役令嬢」か「ゲームの知識を持つ者」かを確かめようとしている。
(やられた)
顔を上げると、フリッツが不思議そうにこちらを見ていた。
「リンデンバウム嬢。ご返事は?」
「……伺います。午後に東庭園ですね」
「はい。殿下もお喜びになるかと」
お喜びに。断罪した相手と会うのに「お喜びに」はおかしくないですか、フリッツさん。
いや——フリッツはゲームのキャラクターとして、王太子の命令に忠実に従っているだけだ。おかしいのは命令を出している方。
フリッツが去ったあと、私は応接間の椅子に深く座り込んだ。
午後。東庭園。王太子との対面。
平静を装わなければならない。「東庭園」に反応してはいけない。ゲーム知識を持っていることを悟られてはいけない。
なぜなら——前世の記憶がある変な令嬢だとバレたら、この世界での立場がさらに危うくなる。転生者であることがバレて得することは何もない。
でも。
(あの王太子も同じことを考えているはず)
お互いが転生者だと疑っていて、お互いにバレたくない。
午後の東庭園は、たぶん——史上最も面倒な腹の探り合いになる。




