第18話「側近は数えている」
舞踏会の翌日から、アレクサンダーの動きが変わった。
それまでは「さりげなく」がモットーだったはず。裏で手を回す。痕跡を最小限にする。私に気づかれてもいいが、第三者にはバレないように——そういう慎重さがあった。
それが、なくなった。
「リンデンバウム嬢、昼食はもう済んだか」
食堂で私の向かいに、当たり前のように座る王子。フリッツが三歩後ろで「殿下、なぜそちらの席に」と小声で訴えているのが聞こえる。
「まだですわ」
「では、ご一緒してもいいか」
(いいかと聞いておいて、もう座ってるじゃない)
「……どうぞ」
食堂中の視線が集まる。王太子と悪役令嬢が同じテーブルで昼食。これは明らかに、ゲームのどこにも存在しないシチュエーション。
「殿下、周囲が注目していますわ」
「気にならないな」
「私は気になりますけれど」
「慣れるといい」
(慣れるって何)
運ばれてきたスープに口をつける。マッシュルームのポタージュ。濃厚なクリームの舌触りが温かい。落ち着け、落ち着け。
「リンデンバウム嬢、ひとつ聞きたいことがある」
「何でしょう」
「三章——」
スプーンが止まる。三章。いま、三章と言った?
「——来月の学術発表会で、どのテーマを選ぶつもりだ」
文脈を差し替えた。「三章」の後に一瞬の間があった。言い直している。本当は「三章のイベント」と言いかけたのでは。
(この人、さっきから攻めすぎじゃない?)
舞踏会を境に、王子の牽制が露骨になっている。わざとボロを出して、私の反応を探っている。あるいは——。
(私にバラしたがってる?)
いや。もしそうなら、直接言えばいい。回りくどいことをする理由がない。ということは、まだ直接は言えない理由がある。バラすリスクとバラさないリスクを天秤にかけている最中なのかもしれない。
「学術発表会は魔法薬学を考えていますわ」
「魔法薬学か。それは——」
「殿下のご専門と被りますけれど、お気になさらず」
アレクサンダーの目が、わずかに見開かれた。
ゲーム三章前半、アレクサンダーが学術発表会で魔法薬学の研究を発表するイベントがある。私がそのテーマを選ぶと知って驚いた——ということは、この人も同じイベントを意識している。
(先読みの先読み。もうどっちが何手先なのかわからなくなってきた)
「被っても構わない。むしろ興味深い。君の視点は独特だからな」
「独特、とは」
「他の生徒が考えつかないような角度から物事を見る。まるで——」
王子が言葉を切る。
「まるで?」
「まるで、別の世界を知っているかのように」
フォークが皿に当たって甲高い音がした。手が滑った。
「お上手ですわね、殿下は。社交辞令がお得意で」
「社交辞令じゃない」
「では、何ですの」
「感想だ。なんの含みもない、率直な感想」
目が合う。琥珀色の瞳に冗談の色はない。真剣に——こちらの反応を、一挙一動を、見ている。
(この人、私を試している)
「別の世界を知っている」。その言葉に私がどう反応するか。動揺するか、平静を保つか、笑い飛ばすか。そのどれかによって、私が転生者かどうかの確度を上げようとしている。
深く息を吸う。ポタージュの残り香が鼻をくすぐる。
「殿下こそ、別の世界をご存じのようなお言葉ですわね」
攻めに出た。守っているだけでは駆け引きにならない。
「なぜそう思う?」
「直感です。殿下がお好きなやつ」
アレクサンダーが、一瞬だけ黙った。
それから——笑った。声を出して。食堂に似つかわしくないほど自然に。フリッツが驚いて目を見張り、周囲の生徒たちがぎょっとしている。
「面白い。本当に君は面白いな」
「褒めているのかしら」
「最大級の褒め言葉だよ」
食堂の昼食はその後、ぎこちない沈黙と妙な会話の応酬が交互に続く形で終わった。
午後。図書室で学術発表会のテーマを調べていると、フリッツがやってきた。
「リンデンバウム嬢」
「フリッツ様。珍しいですわね」
王子の側近が単独で私を訪ねてくるのは、これが初めてだった。
「少しお時間をいただけますか。殿下についてのご相談です」
(ご相談?)
フリッツが対面の椅子に座り、背筋を正す。真面目な人だ。ゲームでも真面目だったが、この世界のフリッツはさらに生真面目に見える。
「殿下の最近の行動に、何かお気づきではありませんか」
「最近の行動、と申しますと」
「食堂でリンデンバウム嬢と昼食を共にされたこと。舞踏会で最初の一曲にリンデンバウム嬢を選ばれたこと。音楽堂にお呼びになったこと」
列挙される。確かに異常だ。
「殿下は以前とお変わりになった、とお感じでしょうか」
「変わった、というか——」
フリッツが眉間に皺を寄せる。
「殿下は昔から聡明で、慎重なお方でした。行動には必ず理由があり、無駄なことはなさらない。けれど最近は、リンデンバウム嬢に関してだけ、行動原理が読めないのです」
(フリッツの目から見ても、おかしいんだ)
「私にもわかりかねますわ。殿下がなぜ私にお構いくださるのか」
嘘だ。わかっている。王子は私を断罪ルートから外すために動いている。転生者として。
でもフリッツにそれは言えない。
「もうひとつ、奇妙なことがあります」
フリッツの声が少しだけ低くなる。
「殿下は時折、まだ起きていないことをご存じのように振る舞われます。先日の給仕の件もそうです。偽物だと、なぜあれほど早く見抜けたのか」
図書室の空気が、ひんやりと重くなった気がした。書架の木と古い紙の匂いが、急に濃くなる。
「フリッツ様は、殿下が何か秘密をお持ちだとお考えなのですか」
「わかりません。ただ——」
フリッツが私をまっすぐ見る。
「リンデンバウム嬢も、同じような振る舞いをされていませんか」
息が止まった。一拍。
「私が?」
「音楽祭の曲目変更。それから、先日の偽給仕の一件——あなたは騒ぎが起きる前にあの男を遠ざけ、近衛が来ることまで言い当てておられたと、聖女様から伺いました。そして舞踏会。殿下が最初の一曲にあなたを選んだとき、会場で唯一、あなただけが驚いていなかった。すべて、先に何かを知っているからこその振る舞いに見えます」
(フリッツ、鋭すぎる)
リーリエは感覚で気づく。フリッツは論理で迫ってくる。どちらも厄介だが、論理のほうが逃げ道が少ない。
「買いかぶりですわ。私は殿下のような聡明さは持ち合わせていません」
「そうでしょうか」
フリッツが立ち上がり、一礼する。
「お時間をいただきありがとうございます。もし殿下の行動についてお気づきのことがあれば、教えていただけると助かります」
去っていく背中を見送りながら、私は開いたままの本に目を落とす。文字が頭に入らない。
駆け引きがエスカレートしている。王子と私の間だけでなく、周囲にまで波紋が広がっている。
リーリエは「二人とも変」と感じている。フリッツは「二人とも何かを知っている」と疑っている。
(知らないふりの限界が、近づいてきている)
図書室の窓ガラスが夕日を帯びて、ページを橙色に染めていた。本の背表紙についた指の跡をなぞりながら、次の一手を考える。
でも今日だけは、次の一手よりも先に考えてしまうことがある。
昼食のとき、王子が笑った顔。声を出して、食堂に響くほど自然に。
あの笑い方は——ゲームのどのルートにも、なかった。




