第17話「ゲーム知識で踊る」
舞踏会は中盤に差しかかっていた。
三曲目、四曲目と踊り手が入れ替わり、私は壁の花を気取りながら会場を観察している。ゲーム二章の舞踏会で起きるイベントは三つ。リーリエとの最初のダンス(済。ただし順番は入れ替わった)、貴族令嬢による嫌がらせ未遂、そして——。
「クラーラ様、お飲み物をお持ちしましょうか」
給仕の少年が声をかけてくる。金髪を短く刈り込んだ、見覚えのない顔。学院の給仕ではない。
(この給仕、ゲームの二章イベントに出てくる)
正確には、給仕に化けた盗賊。舞踏会の混乱に乗じて王家の宝飾品を盗み出す小イベント。ゲームではリーリエが不審に気づき、アレクサンダーに報告して好感度が上がる流れ。
でも、今の私はリーリエではない。悪役令嬢だ。
「いいわ、自分で取るから」
給仕を遠ざけ、ドリンクテーブルへ向かう。背中に視線を感じる。偽給仕がこちらを見ている——のではなく。
アレクサンダーが、偽給仕を見ている。
(気づいてる)
当然だ。二周目の王子なら、このイベントを覚えているに決まっている。問題は、どう処理するか。
ゲーム通りならリーリエが気づく場面。でも一曲目の件で筋書きが崩れている今、リーリエがこの給仕に注目するかどうかはわからない。
アレクサンダーが動いた。会場を横切り、フリッツに近づいて何か耳打ちする。フリッツが頷き、さりげなく出口に向かう。近衛兵を呼びにいったのだろう。
(ゲーム知識で先に手を打っている)
偽給仕が宝飾品の展示された壁際へ近づくのを、私は見ている。あの王冠のケースが狙いだ。ゲームでは盗賊が王冠に手を伸ばしたところでリーリエが叫び、騎士が駆けつける。
今回は、フリッツが事前に近衛を配置するから叫ぶ必要もない。誰にも気づかれず、穏やかに解決される。
——はずだった。
「あの給仕の人、なんか変じゃないですか?」
リーリエの声。隣に立っている。いつの間に来たのか。
「変? どこが?」
「手。グラスの持ち方が給仕の持ち方じゃないんです。指が揃ってない」
(鋭い)
ゲームと同じだ。リーリエは自力でこの給仕の異変に気づく。ゲームの筋書きが崩れていても、リーリエ本人の観察力は変わらない。
「リーリエさん、大丈夫よ。殿下がもう気づいてらっしゃるから」
「え? 殿下が?」
「フリッツ様が出ていったでしょう。近衛を呼びに行ったのよ」
言ってから、しまった、と思った。
なぜ私が王子の行動をそこまで把握しているのか。なぜフリッツの動きの意図がわかるのか。普通に考えたら知りようがない情報を、私はさらりと口にしてしまった。
「クラーラ様……」
リーリエの目が、きらりと光る。
「やっぱり殿下のこと、よく見てますよね」
「たまたま目に入っただけよ」
「フリッツ様が近衛を呼びに行ったって、なんでわかるんですか?」
(うぐ)
正当な疑問である。返す言葉がない。
「……推測よ。殿下が側近に耳打ちして、側近が慌てて出ていけば、だいたいそういうことでしょう」
「推測にしては自信満々でしたけど……」
リーリエが何か言いかけたとき、会場の端で小さなざわめきが起きた。近衛兵が入ってきて、偽給仕を静かに取り押さえている。フリッツが指示を出し、宝飾品の無事を確認している。騒ぎは最小限に収まった。
「わあ、本当に。クラーラ様の推測通りです」
「でしょう?」
平然を装う。内心は冷や汗まみれ。
偽給仕が退場し、舞踏会が再開される。五曲目の演奏が始まる中、私はドリンクテーブルでグラスを取り直す。今度は甘めの果実水。オレンジの風味が口に広がって、少しだけ気持ちが落ち着く。
「リンデンバウム嬢」
アレクサンダーが近づいてきた。自然な動線——ドリンクを取りに来ただけという体で。
「さっきの給仕、気づいていたか」
小声。周囲に聞こえない音量。
「気づいていましたわ」
「リーリエ嬢にも話したようだな」
(聞こえてたの?)
「少しだけ。殿下が対処されたことを伝えただけです」
「なぜ俺が対処すると分かった?」
また、この質問。なぜわかる。どうして先読みできる。
「殿下のお顔を見れば、わかります」
適当な答え。でも嘘でもない。さっき王子がフリッツに耳打ちしたとき、その横顔に焦りはなく、むしろ「予定通り」という色があった。それを読み取れたのは——。
(ゲームの知識があるから。この人が何を知っていて、何に対処するか、全部わかるから)
「俺の顔を見てわかる、か。それは光栄だな」
「からかわないでくださいまし」
「からかっていない。本当に感心している」
王子がグラスを取り、赤ワインをひと口含む。横顔を間近で見る機会は多くないから、つい観察してしまう。ゲームの立ち絵より顎のラインが鋭く、睫毛が長い。
(これは観察。情報収集。敵の分析。それ以上の意味はない)
「もう一つ聞いてもいいか」
「どうぞ」
「藍色のドレス。よく似合っている」
「それは質問ではありませんわ」
「ああ、そうだな。では質問にしよう——なぜ赤を選ばなかった?」
この人、直球を投げたり変化球を混ぜたりのペースが読めない。
「気分です」
「気分、か」
「ええ。今夜は赤い気分ではなかったの」
「赤い気分とは」
「殿下が思っているような気分ですわ」
——つまり、「悪役令嬢らしい攻撃的な気分」。言外に「ゲームのクラーラの振る舞いをするつもりはない」と伝えている。王子がそれを理解できるかどうかで、相手の知識量が測れる。
アレクサンダーが、少しだけ目を細めた。
「いい気分だと思う。藍色の気分のほうが、君には合っている」
(わかってるじゃない。この人、全部わかった上で返してる)
会場に次の曲が流れ始める。緩やかなワルツ。踊り手たちがフロアに出ていく。
「もう一曲、いかがだ」
「二曲目ですわよ。噂になりますわ」
「なっているさ。一曲目の時点で」
(開き直るな)
でも、断る理由も見つからない。王太子の申し出を二度断れば、それこそ悪目立ちする。
手を取る。踊り出す。
今度のリードは穏やかで、一曲目のような揺さぶりはない。ただ一定のリズムで、ゆっくりと。
「ゲーム知識で踊っている気分だ」
王子が呟いた。ぎりぎり私にだけ届く声量で。偶然こぼれた独り言なら、あんなふうに丁寧に音量を調整したりしない。わざとだ。聞き取れなかったふりをすることも、できるけれど——。
「殿下、今なんとおっしゃいました?」
「独り言だよ」
「独り言にしては、不思議なことをおっしゃいましたわね」
「空耳だろう」
(空耳じゃないわ。はっきり「ゲーム」って言った)
でも、追及しない。追及したら、こちらも「ゲーム」という言葉に反応したことになる。
知らないふりの壁が、また少しだけ薄くなった気がした。
曲が終わる。手が離れる。蝋燭の灯りが揺れて、王子の影が床に長く伸びる。
「楽しかった」
アレクサンダーがそう言った。社交辞令ではない声色で。
「……私も」
返事が出たのは、社交辞令のつもりだった。つもりだったのに、嘘の味がしなかった。




