第13話「二人とも変ですよ?」
音楽祭は、つつがなく終わった。
リーリエの演奏は見事で、「風に散る花弁」の転調部分では会場全体が息を呑んだ。そしてアレクサンダーは——予想通り——完璧な称賛を述べてみせた。
「素晴らしい演奏だった。この曲の後半の転調は技術的に難しいと聞いているが、まるで風そのもののように自然だった」
(用意してきた台詞をそのまま読んでるでしょ、あなた)
いくら博識を装っても、曲の構成を聴いたばかりの人間が発する感想にしては的確すぎる。事前に楽譜を読み込み、称賛ポイントをリストアップしていたに違いない。
でも——悔しいことに、リーリエは心底嬉しそうだった。頬を赤らめ、目を潤ませて「ありがとうございます、殿下」と頭を下げる姿を見ていたら、王子の称賛が台本であろうとなかろうと関係ない気がしてきた。
音楽祭から三日後。学院の食堂。
「クラーラ様、あの、お昼をご一緒してもいいですか?」
リーリエが盆を持って立っていた。柔らかい金髪が肩で揺れ、緑色の瞳がこちらを見上げている。
「もちろん。座ってちょうだい」
悪役令嬢と聖女が同じテーブルで昼食を取る。ゲームでは絶対に起きないシチュエーションだ。
リーリエがスープに口をつけ、ほっと息をつく。
「音楽祭、本当に楽しかったです。クラーラ様に曲を教えていただかなかったら、あんなに褒めてもらえなかったかも」
「リーリエ嬢の腕前が——」
「あの」
リーリエがスプーンを宙に浮かせたまま、上目遣いにこちらを見た。
「よければ『さん』で呼んでいただけませんか。嬢って呼ばれると、なんだか遠い感じがして」
(……聖女にこの顔でお願いされて、断れる悪役令嬢がいる?)
「……リーリエさんの腕前が良かっただけよ」
「えへへ。……あ、でも腕前だけじゃないです! あの曲、すごく弾きがいがあって。殿下にも褒めていただけて——」
リーリエが嬉しそうに語る横で、私は心の中で複雑な計算をしている。曲を変えた目的は王子の台本を崩すことだったのに、王子は適応してしまい、結果的にリーリエの好感度イベントは成立してしまった。つまり私の一手は——空振り、ですらない。
リーリエは善意のかたまりだから、「クラーラ様が選んでくださった曲なんです」と方々で話してくれている。善意なのが、いちばん止めにくい。おかげで学院には「悪役令嬢が聖女の演目に口を出した」という事実だけが残った。図書室の囁き好きの方々が、これをどう料理するか。考えたくもない。
もっとまずいのは、王子への置き土産だ。私はよりにもよって、あのイベントの核になる曲だけを正確に差し替えた。曲を変えた事実そのものが、「クラーラは元の曲の意味を知っている」と教えてしまっている。読み違いの代償は、相手の手札を一枚増やすこと。
それを、スープを飲みながら計算している。
「——あの、クラーラ様?」
「えっ。あ、ごめんなさい。少しぼんやりしていたわ」
「最近、クラーラ様ってよくぼんやりしますよね」
リーリエがスプーンを置き、首を傾げる。
「あと、殿下もです」
「……殿下が?」
「はい。音楽祭のあと、殿下にお礼を言いに行ったんですけど、私の話を聞いてるようで聞いていなくて。何か考えごとをしている感じでした」
スープが喉を通っていく。温かくて、かぼちゃの甘さが舌に広がる。それなのに、胸の中はざわざわと落ち着かない。
「殿下にはお忙しいこともあるのでしょう。公務もおありだし」
「それはそうなんですけど……」
リーリエが何かを言おうとして、やめ、もう一度口を開く。
「クラーラ様と殿下って、二人とも変ですよ?」
スプーンを持つ手が止まった。
「……変?」
「変っていうか、その、お互いを意識しすぎているというか。クラーラ様は殿下の話題になると急に表情が固くなるし、殿下はクラーラ様の名前が出ると妙に慎重になるし」
(えっ、そんなに分かりやすい?)
「この前の音楽堂のことも、他の生徒の間で噂になってます。殿下がクラーラ様を二人きりで呼び出したって」
「あれは音楽祭の打ち合わせで——」
「打ち合わせなら委員会でやりますよね?」
リーリエ、鋭い。ゲームでは鈍感キャラだったはずなのに、この世界のリーリエには妙に観察眼がある。
「私、気づいてるんです」
心臓が嫌な音を立てる。何に気づいている? 転生者のこと? まさか。
「殿下、クラーラ様のことが——」
「違うわよ」
食い気味に否定してしまった。リーリエが目を丸くしている。
「まだ何も言ってないです」
「あ……」
(やってしまった)
先読みして否定するのは、図星だと言っているようなもの。相手の言葉を最後まで聞いてから否定するのが正しい対応だった。前世でもこういうミスをした覚えがある。会議中に先走って発言して怒られたことが——いや、今はそれどころではない。
「リーリエさん、あのね。殿下と私は何の関係もないの。殿下はリーリエさんの演奏を褒めていたでしょう? 殿下が気にかけているのはリーリエさんのほうよ」
ゲームの筋書き通りに誘導する。ヒロインと攻略対象をくっつける方向に。王子の関心が聖女に向いていると周囲が信じれば、「王太子に色目を使う悪役令嬢」という囁きは育ちようがない。二度目の断罪に注がれる油を、先回りして拭き取っておく作業だ。
「うーん……」
リーリエが頬杖をつき、考え込む仕草をする。
「私にはそう見えないんですよね。殿下が私を褒めてくれたのは嬉しかったですけど、あれはなんていうか……演技っぽかったっていうか」
(演技っぽい)
この子、王子の称賛を演技だと見抜いている。
ゲームのリーリエなら絶対に気づかないポイントだ。けれどこの世界の彼女は、自分の感覚で世界を見ている。ゲームに書かれていない部分を、自分で埋めて生きている。
「リーリエさん、それは考えすぎだと思うわ」
「そうでしょうか。でも——」
リーリエがスプーンを持ち直し、まっすぐ私を見た。
「クラーラ様と殿下って、なんだか同じ顔をするんです。何かを隠しているときの顔が、そっくり」
空気が、冷える。
食堂のざわめきが遠くなり、リーリエの声だけが耳に残る。
「同じものを見て、同じことを考えて、でもお互い知らないふりをしている。私には、そう見えます」
彼女は転生者ではない。ゲームの構造も知らない。でも、人を見る目がある。感覚で真実に触れている。
返事を考えている間に、リーリエはスープを飲み干し、ふわっと笑った。
「ごめんなさい、変なこと言いましたよね。忘れてください」
「……ええ、忘れるわ」
忘れられるわけがない。
食堂を出て廊下を歩きながら、リーリエの言葉が反芻される。
(同じ顔をする)
(同じものを見て、同じことを考えている)
彼女の目には、私と王子はそう映っている。
知らないふりの精度が落ちているのか。それとも、どれだけ演技しても隠しきれないものがあるのか。
廊下の角を曲がると、向こうからアレクサンダーが歩いてくるのが見えた。フリッツを従え、何か書類に目を通している。
目が合う。一瞬だけ。
すれ違いざま、私は軽くお辞儀をし、王子は小さく頷く。それだけの、なんてことない挨拶。
でもすれ違った直後、私の頬をかすめた風に、微かに石鹸の香りが混じっていた。剣術の稽古の後だろうか。
足を止めず、前を向いて歩く。
(リーリエに気づかれるくらい、私たちは下手なのかしら)
それとも——リーリエが鋭すぎるだけなのか。
どちらにせよ、知らないふりの難易度がまたひとつ上がったことだけは確かだった。




