第二話 「手」
空港との契約を失って三日目、冴は事務所代わりの居間で帳簿をつけていた。数字は動かない。三割減った分を、どこで埋めるか。埋まらないまま、埋まらないという事実だけが紙の上に残った。
鷹舎の方から物音がした。疾ではない。もっと軽い音——郵便受けに何かが差し込まれる音だった。
冴は玄関に出た。チラシに混じって、一枚の紙が入っていた。〈スカイシールド株式会社〉。都市部の害鳥対策サービス。ドローンによる追い払い、AI(人工知能)による飛来予測、音響装置。写真の中で、若い社員たちが制服姿でモニターを囲んでいた。
冴はその紙を、しばらく手に持ったまま動かなかった。それから、他のチラシと一緒に古紙の箱に入れた。
夕方、疾に餌をやりながら、冴は籠手を見た。革の内側には、五年分の傷がついている。爪の跡、汗の染み、握り方の癖でできた凹み。
祖父の籠手も、こうだった。
冴が籠手に触れるようになったのは、六歳の頃だ。源蔵は当時すでに七十を過ぎていて、鷹を放つ姿は今の冴よりずっと静かだった。ほとんど動かない。腕を上げる。鷹が出る。それだけに見えた。
「教えて」
子供の冴がそう言うと、源蔵はいつも同じ答えを返した。
「見ろ」
見ていれば分かる、という意味だとずっと思っていた。今もその意味は分からない。ただ、体だけが何かを覚えていった。籠手の角度。腕を上げる速さ。鷹の目を見る位置。言葉で教わったことは、ほとんどない。
源蔵が死んだのは、冴が二十二のときだった。葬式の日、鷹舎には疾の先代がいた。
源蔵が死んでから、一人で籠手をはめたのは、その三日目が最初だった。
うまくできるはずがなかった。それでも鷹は、冴の腕に降りた。
なぜ降りたのか、冴には今も分からない。
夜、冴は帳簿を閉じて、代わりに古い大学ノートを開いた。表紙に〈如月流・覚書〉と書かれている。源蔵の字ではない。冴自身が、二十二のときから書き始めたものだった。
中は、ほとんど白紙のままだった。
書こうとするたびに、同じところで手が止まる。「間合いは三歩」とは書ける。だが、なぜ三歩なのかが書けない。「見取り」とは書ける。だが、何を見て、何を取るのかが書けない。
ページをめくると、何年も前に書いた一文字だけのページがあった。
〈手〉
その下は白紙だった。何を書こうとしたのか、冴自身、覚えていない。
言葉にできないものを、冴は五年間、言葉にしようとしては諦めてきた。
ノートを閉じる前に、冴は最後のページに、今日の日付だけを書いた。文字は、それ以上続かなかった。




