32.
自室のベッドに寝転がり、阿智奉太郎は静かに天井の木目を数えていた。
隣の部屋からは、今日もドタバタと騒がしい生活音が微かに響いてくる。
その音を聞きながら、奉太郎の脳裏にはここ最近の彼女の言動が次々とフラッシュバックしていた。
すき焼きの鍋を洗っていた夜、豪快な水道の音に紛れて聞こえてきた言葉。
雨の日の相合い傘で、顔を真っ赤にして身悶えしていた姿。
普通に、聞こえていた。
彼女が熱に浮かされたように繰り返していた『好き』という言葉。
聞かなかったフリをしてやり過ごしてはいるものの、どう答えるべきかわからないでいた。
あの『好き』が、単なる人としての好意である可能性もゼロではない。
いや、昼神聖華という一直線で嘘のつけない性格を考慮すれば、それが異性としての『好き』であることは明白だった。
だからこそ、奉太郎は困惑しているのだ。
自分には、彼女にそこまで熱烈に好かれる理由が全く見当たらない。
洗面所の鏡で毎日顔を合わせているが、見た目だって十人並みだ。誰もが振り返るようなイケメンではないと、自分ではっきりと自覚している。
スポーツが万能なわけでもなく、何か特筆して秀でた才能があるわけでもない。
成績は中の上。趣味も特になし。
親の都合で一人暮らしをしているだけの、ひどく無味乾燥で平凡な男子高校生。
それが阿智奉太郎という人間のすべてだ。
そんな自分が、学年でも目立つほど派手で可愛らしい彼女から、これほどまでに好意を向けられる理由がわからない。
彼女の『好き』に対して、こちらからも『好き』と答えれば、見事にカップル成立となるのだろう。
おめでとう。めでたしめでたしだ。
だが、事態はそう単純ではない。
そもそも、自分は果たして彼女のことを『好き』なのだろうか。
一緒にいると騒がしいが、心地よいとは感じている。彼女の作る飯は美味いし、無防備な寝顔を愛らしいとも思った。
しかし、それが恋愛感情としての『好き』なのかと問われると、明確な答えを導き出せない。
そして何より、彼女はどうして自分を異性として『好き』だと言うのだろうか。
ただお腹を空かせているところにカレーをおごっただけだ。
変な男に絡まれているところを、クラスメイトとして助けに入っただけだ。
それは単なる貸し借りと、等価交換の助け合いに過ぎない。恋愛感情に結びつくようなドラマチックな要素など、どこにもないはずだった。
わからない。
もし自分がライトノベルや漫画に出てくるラブコメの主人公だったなら、この疑問は『主人公だから』の一言で片が付くのだろう。
主人公だから、特に理由もなくヒロインから無条件にモテる。そういうご都合主義の法則が働くからだ。
だが、ここは現実世界であり、自分は主人公などではない。ただの脇役Aだ。
だからこそ、わからないのだ。
底抜けに純粋で、計算など一切ない彼女の真っ直ぐな言葉。
その重すぎる好意に、安易に答えてしまっていいのかどうか。
奉太郎は小さく息を吐き、静かに目を閉じた。
答えの出ない思考のループは、隣の部屋から聞こえてくる彼女の鼻歌によって、ただ甘く乱されていくばかりだった。




