人との繋がりが羨ましいと思ったら
作者同士。作者と読者。つながりを求めることは悪い事ではない。求めすぎるのは絶対によくない。
作者同士の交流。読者との交流。ツイッターを見てると、そういうのが当たり前にある。なんで自分はないんだろう。羨ましいなと思う。なんでそう思ってるのか考えた方がいい。人とのつながりは、いい刺激だけ受けられるわけじゃない。
作者同士の交流。本当にすこーしだけある。すこーしあれば、それでいいんじゃないのか。なに欲張ってんだよ。身の程をわきまえろ。
そもそもなにか書く人間って、変わってる人が多い。変わってないと、無から有は生み出せない。それは書く側のお前が一番わかってるはず。
変わった人間と変わった人間の交流は、刺激がある一方でもめ事も多い。常に自分が正しい、自分の世界が一番居心地がいいと思ってるなら、書く側の人間同士の濃密な交流は避けた方が無難。高確率でもめる。
もめることでなにが起きるのか。
メン落ち、自己否定、後悔、人脈の喪失、その結果筆が進まなくなってスランプ。ある程度の結果が見えてるのであれば、多くの人との交流を積極的に行うことに意味があるのか。人間観察がしたいなら、作者間交流じゃなくてもいい。
書き手側が大人同士なのなら、もめないのか。残念ながらもめる。人間同士なんだから、もめる可能性はゼロじゃない。しっかりした大人で、自分の軸をしっかり持ってる人との交流はあっていいと思う。でも自分と同じくらいの精神年齢の人との交流は、お前には向かない。潰し合いになる。やめろ。早まるな。
読者とのやり取りだったらどうなのか。
これって読者が書き手のことを猛烈に大好きでファンであることと、作者が天狗になってないことが交流の最低条件じゃないかと思う。
読者は人間。書いたものを読んでくれて、書いたものの内容に対して共感とかを持ってるわけで、作者の人間性が大好きってわけじゃない。作者がクソだと、作品から読者が離れる可能性が十二分にある。
読者は自分よりも下の存在で、交流してあげてるなんて驕った気持ちを万が一でも持つかもしれないなら、交流を持つこと自体向いてない。
そもそもお前、ボッチじゃないとネタ浮かばないだろ。人との交流があんまり得意じゃないくせに、人肌恋しがってんじゃない。さっさと書け。時間勿体ない。
人とのつながりを欲してるのか、人と人とのかかわりを感じたいのか。
人と人とのかかわりを感じたいなら、ジョイフルとかコメダ珈琲とか行けば、その辺人だらけで人間観察ばっちり腹いっぱいできる。近距離でもめるなら、人と人とのかかわりをそっと観察するくらいがちょうどいい。
思い上がるな。お前はなんで人とのつながりを持ちたいか、明確な理由を持て。明確な理由がないなら、むやみやたらに人恋しいと思うな。それは錯覚。風呂入って寝ろ。
二次作とオリジナルは全然違う。オリジナルだけで戦う場合、気の一つでもおかしくないと無から有は生み出せない。気のおかしな人同士の交流は危険。絶対に超えてはならない壁を超えるな。火傷じゃ済まない。




