評価に目がくらんだら
評価なんてものは、書き上げてから出てくるもの。書き上げて評価されなくても、無価値ではない。誰かのなにかになってる。
評価が欲しいと思った。
そんなたるんだ気持ちだから、いいものが書けないんだよ。滝にでも打たれろ。
ツイッターを見ていると、ものすごいPV数で、ものすごい数のブックマークや評価を得ている人がゴロゴロいる。
いいなぁ、なんでこの人はこんな風に評価してもらえるんだろう。
自分の方が長く書いてるのに、書き始めてすぐの人の方が評価されてる。どうしてなんだろう。
こんな風に思うのは、書いたものが評価されて当然という思いが、どこかにあるからなんだよ。自惚れるな。
評価してほしくて、読者を募る。そして読んでいただいたのに、自分の期待に沿う評価じゃないとへそを曲げる。評価に目がくらんだ自分が招いた事態なのに、評価した人のせいにして嘆く。
評価に目がくらんだことが、そもそもよくない。ツイッターで見かけたあの人が評価されたことと、自分が評価されないことを比較したのは、自滅への第一歩じゃないか。
評価された理由はいっぱいある。面白いものを書く才能があっただとか、偶然トレンドに乗った内容だったとか、なんかこういろいろある。深く考えるな。いろいろあるんだよ。それでいい。深堀して凹むくらいなら、今は深く考えるな。
誰かからか評価されたい、褒められたい。一番と思われたいし、面白かったって言われたい。いいレビューが欲しいし、次回作を期待されたい。激推しするコメントだってもらいたい。
そりゃそうだ。だって人間なんだから。そう思うのは当たり前の心理なんだよ。みんな同じことを思ってる。
みんな思ってることだから自分だって思って当たり前と思っていると、そこから動けなくなる。みんなの中に浸って安心するんじゃない。評価されないなら、とにかく気持ちを込めて書き切って、完結を目指せ。話しはそれからなんだよ。
走り抜けてなんぼ。書き上げてなんぼ。それを繰り返すことで新しい発見がある。評価されるために書くんじゃない。お前が成長するために書き続けるんだよ。
Webで評価が出ないなら公募に出せ。ただWebと公募は全然違ってる。「Webで伸びない=公募で結果が出る」と思うのは危険。Webのノリで公募に出せば、おおよそ落ちる。それと同じで、公募と同じ勝手でWebに出しても伸びない。だから評価だけを追うのは危険。評価など気にせず書き続ける根性が大事。




