元に戻さない修理
男は、答えなかった。
答えられない、というのが正しいのだろう。膝の上の拳が、白くなるほど握り込まれている。
リーゼにも、覚えのある沈黙だった。この町へ来る前の自分なら、聞きもしなかったはずだ。
直せるなら、直しましょう――壊れたものは元に戻すのがいちばんいいと、信じて疑っていなかった。
今は、そうは思わない。
だから、正面から直すとは言わない。リーゼは紙を一枚引き寄せ、図を描きながら話した。手が動いている間は、男も紙を見ていられる。
目を合わせずに済む話は、紙の上でする方がいい。祖父の工房で、いつの間にか覚えていたやり方だった。
「提案があります。刀身は、直しません」
継がない。鍛え直さない。折れた形のまま――ただし、危険のないように。断面から漏れかけている魔力の道を封じ、錆びないよう油と皮膜で保護する。
折れた理由ごと、保存する。
「その代わり、こちらを」
図の隣に描いたのは、掌ほどの小さな筒――猟師や旅人が昔から使う、既製の携帯警戒具だった。魔獣や大きな魔力の接近を、音と光で知らせる規格品。
中の魔力核が寿命を迎えたら、核だけを入れ替えて使い続ける造りになっている。
「この剣の魔力核は、まだ生きています。寸法と出力を警戒具の規格に合わせて加工すれば、そのまま次の心臓になれます」
夜道。山仕事。荷運びの護衛。剣を振れなくても、人を守る役には立つ。
新しい何かを生み出すわけではない。既にある道具の、既にある受け口へ、剣として作られた核を合わせて納める。
設計はどちらも先人のもので、リーゼがやるのは、その間を正確に繋ぐことだけだ。
男は長いこと、図を見つめていた。
「……それじゃ、もう剣じゃない」
「はい」
リーゼは頷いた。それから、静かに続けた。
「でも、あなたまで、以前と同じ人に戻る必要はないと思います」
男の喉が、上下した。
「……あんた、修理屋なのに。直さないことを勧めるのか」
「今日で、二度目です」
リーゼは少しだけ肩の力を抜いた。
「昼間も一件、新品を買った方が安いですと言いました。うちは、そういう店なんだと思います」
男は短く、息だけで笑った。久しぶりに笑った者の、ぎこちない音だった。
作業は日暮れまでかかった。
魔力核の取り外しはリーゼ。剣の心臓部は思いのほか健やかで、慎重に外殻から抜き出すと、掌の上で淡く脈打った。
二十年、毎日磨かれてきた核だ。まだ十分に生きている。
型の古い核は、いまの規格よりひと回り大きい。外殻を薄く削り、接点の位置を合わせ、警戒具の受け口へ寸分なく納める。
設計図を引く仕事ではない。合わせる仕事だ。リーゼの手は、こちらなら迷わない。
警戒具側の規格と安全確認はアルベルト。頼んだわけでもないのに検査器を並べ、適合値を淡々と読み上げていく横顔は、監査のときと同じ生真面目さだった。
「出力、感知域、ともに規格内。……問題ない」
「では、試しましょう」
完成した警戒具の傍らへ、アルベルトが自分の魔力を軽く流した検査石を近づける。
りん、と。
小さく、澄んだ音が鳴った。剣だったものの声とは思えない、控えめで、優しい音だった。
男の目が、わずかに見開かれた。
出来上がった警戒具を、男は両手で受け取った。掌に載る、真鍮の小さな筒。振っても剣にはならない、けれど人を守れる道具。
剣の柄には届かなかったその手が、小さな筒を、ためらいなく握り込んだ。
男はしばらく、その感触を確かめるように立っていた。
「……護衛の口だけに、決めないことにする」
男はぽつりと言った。荷運びでも、林業でも、これが役に立つ仕事はある。探してみる、と。
折れた刀身も、布に包み直して持ち帰った。捨てないのか、というアルベルトの視線に、男は短く答えた。
「置いてきたものの、代わりだ」
深く一礼して、男は夕暮れの通りへ出ていった。その背中は、来たときより少しだけ軽く見えた。
布包みが角を曲がるのを見届けて、アルベルトがぽつりと言った。
「……俺なら、捨てる」
「え?」
「使わない物を持っていても、事故の種が増えるだけだ」
当然の手順を読み上げる声だった。それから、彼はわずかに首を傾げた。
「だが、あの男には要るんだろう。……そこは、分からんが」
通りの角で、男が警戒具を目の高さに掲げてみせる。りん、と。祭りの支度で行き交う人々の魔力に触れて、遠くで小さな音が鳴った。
戸口で見送ったあと、アルベルトが言った。
「……直せるなら、必ず元に戻す人だと思っていた」
「私も、そう思っていました」
答えてから、リーゼは自分で少し驚いた。少し前の自分は、もうここにいないらしい。
アルベルトは帰り際、念のためにと折れた刀身へ検査器をかざした。
「痕は?」
「ない」
剣は終戦まで戦地にあった。国境の砦は中央供給網の圏外で、独立の魔力炉を使っている。この町へ来たのも、つい先日のことだ。
「……町に、長くあったものだけ?」
「まだ分からん」
短くそう言って、彼は夕闇の通りへ帰っていった。
夜。店じまいの前に、リーゼは帳簿を開いた。今日の行に書き込むのは、剣の修理代ではない。封止の手間賃と、警戒具の加工賃。
直さなかった仕事にも、ちゃんと値段がつく。祖父の帳簿にも、こういう行があったのだろうか、と思う。
それから、昼間に届いていた手紙を開いた。
王都の消印。癖のある右上がりの字は、見るまでもなく妹のセシリアだった。
『お姉様、本当に工房を開けたのですね』
便箋には、驚きと、少しの羨望と、たくさんの質問が並んでいた。辺境は寒くないか。工房に暖房はあるのか。
あるならどの型か。旧式なら送るから新型に換えないか――三行目で早くも発明家の顔になる妹に、リーゼは思わず頬をゆるめる。
新型炉の調整が思うようにいかないという弱音も、珍しく書いてあった。そして追伸に、父のことがあった。
『お父様は「本人が決めたのなら好きにさせなさい」と仰るくせに、朝から何度も、郵便が来ていないかを確認していらっしゃいます』
リーゼは、小さく笑ってしまった。
家族は、敵ではない。帰ろうと思えば、帰れる場所もある。
それでも――と、便箋を畳みながら思う。私は自分で、ここを選んだ。
返事の書き出しは、すぐに決まった。
『私は元気です。今日は、剣を直さない仕事をしました』
書いてから、われながらへんな文章だと思った。でも、そのままにした。妹はきっと、質問を五つ増やして返してくる。
それを読むのが、少し楽しみでもある。
窓の外では、灯火祭を待つ色硝子の飾りが、宵の風に揺れていた。




