誰が、この剣を折ったのか
アルベルトが動いたのは、リーゼが二度目に断面へ触れようとした時だった。
「待て。先に物理側を見る」
検査器の細い触針が、折れた断面をなぞっていく。倍率を上げた覗き窓に片目を寄せ、数値を読み、もう一度なぞる。
やがて、彼の眉が寄った。
「……戦闘で折れた痕じゃないな」
「分かるんですか?」
「刃が外から一撃を受けて折れたなら、断面の魔力結晶は衝撃の向きへ流れて固まる。矢筋のような線が一本、通るはずだ」
アルベルトは覗き窓をこちらへ向けた。断面の結晶は、一本の線どころか、細かな段になって幾重にも潰れている。
「これは違う。同じ方向から、何度も叩きつけられている。それも、石のような硬いものへ」
オルゴールの落下痕とは、比べものにならないほど、はっきりした痕跡だった。
「……持ち主が、自分で?」
「その可能性が高い」
二人は、店の隅の長椅子で待つ依頼人を見た。
男は、こちらの視線に気づいても表情を変えなかった。
「戦場で折れた。それでいい」
言いながら、卓の布へ手を伸ばす。剣を包み直して、持ち帰るつもりの手つきだった。
「詮索するなら、他を当たる」
「それでは、直せないんです」
リーゼは作業台を回り、男の正面に立った。責める調子にならないよう、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「責めているんじゃありません。壊れ方が分かれば、直し方が決まります。だから、この剣がどう壊れたのかを、知りたいんです」
それに、と続けて、リーゼは折れた剣へ目を落とした。
「これだけ大切にされてきた剣です。最後の壊れ方だけ嘘のままにしておくのは、剣に対しても、少し違う気がします」
男の手が、布の上で止まった。
やがて男は、ゆっくりと長椅子へ座り直した。
長い沈黙があった。男の指が膝の上で組まれ、ほどけ、また組まれた。工房の掛け時計が、几帳面に秒を刻んでいる。
やがて、ぽつりぽつりと、男は話しはじめた。
戦争の終盤。国境沿いの砦で、彼の隊は撤退命令を受けた。動けない負傷者を残し、動ける者だけで退く。
殿もつけない、夜のうちの撤収だった。
「判断そのものは、間違っていない」
口を挟んだのはアルベルトだった。押し付けるのではなく、事実を静かに卓へ置くような声だった。
「全員で残れば、全員が死んでいた可能性が高い」
「……分かってる」
男は、絞り出すように言った。
「頭では、ずっと分かってるんだ。それでも、俺は置いてきた。あいつらを置いて、帰ってきた」
置いてきた中の一人は、同じ村の出だったという。子供の頃、この剣と同じ型の木剣を、並んで振って育った相手だった。
帰郷した夜のことも、男は隠さなかった。生家の寝台へ横になり、見慣れた天井を見上げた瞬間、思ってしまったのだという。
――ああ。もう二度と、戦わなくていい。
全身の力が抜けるほどの安堵だった。
「……そう思っちまったんだ。あいつらは、帰ってないのに」
男は両手で顔を覆った。太い肩が、小さく揺れていた。
仲間を置いてきた自分が、生きて帰れたことに安堵した。その事実が、どうしても許せなかった。
男はその夜のうちに庭へ出て、剣を石へ叩きつけた。何度も。折れるまで。
「もう二度と握らないと、決めたはずだった」
それなのに、いまこうして修理に持ち込んでいる。リーゼが問うより先に、男は自分から続けた。
仕事がない。畑はとうに弟の代になっていて、その弟には養う家族がいる。冬を二つ越して、蓄えは尽きた。
元兵士なら、町の護衛や魔獣討伐の口があるが、そのためには剣がいる。
「また握れる俺に、戻らないと。……食っていけない」
男の手が、無意識に折れた剣の柄へ伸びかけ、届く前に止まった。握り方を忘れた手ではない。握ることを、自分に許していない手だ。
――元に、戻らないと。
その言い方を、リーゼは知っていた。壊れる前の形が正解で、いまの自分は出来損ないの仮の姿だという考え方。
ついこの間まで、彼女自身がずっと、その物差しで自分を測って生きてきた。発明できない自分は、いつか発明できる自分になるまでの、未完成品なのだと。
リーゼは、折れた刀身を見下ろした。断面に残る深い安堵は、もう読み違えようがなかった。この人は、剣が折れて救われたのだ。
救われてしまったことを、二年経ったいまも許せずにいるのだ。
アルベルトは腕を組んだまま、口を挟まない。判断は修復師のものだ、と言うように。
「刃は――剣としてなら、直せます」
男が顔を上げる。
「でも」
リーゼは、まっすぐに男を見て聞いた。
「あなたは本当に、元の自分に戻りたいんですか?」




