表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『壊れた魔導具は嘘をつかない』 〜「未来を作れない」と婚約破棄された令嬢は、辺境の修理工房で声なき声を聴く〜  作者: たつき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/10

母のオルゴール

 オルゴールから離した指先が、まだかすかに震えていた。


「どうした?」


 アルベルトが繰り返す。リーゼは、考えるより先に口を開いていた。


「……誰かが、すごく怖がっていたみたいで」

「何?」


 しまった、と思った。残響のことを、そのまま口にしかけている。


「あ……いえ。この落下痕です」

「落下痕?」

「かなり強く床へ落ちています。持ち主が、よほど慌てていたのかなと」


 我ながら苦しい言い換えだった。アルベルトはリーゼの顔をしばらく見ていたが、


「……そうか」


 とだけ返し、それ以上は追及してこなかった。ただ、その視線が一拍長かったことを、リーゼは覚えておくことにした。


 作業を続けながら、考える。


 愛情と、恐怖。読み取れたのはそれきりで、恐怖といっても意味は幅広い。事件とは限らないし、死の間際の怯えとも限らない。


 感じ取れるのは感情まで。その意味は、いつも自分の手で調べるしかない。


 糸口は、意外な場所にあった。


 蓋の裏側。ゆるんだ布張りを留め直そうと外したとき、木地に刻まれた文字が現れたのだ。


 『ミア、十歳のお――』


 刻みは、そこで途切れている。


 リーゼは顔を上げた。


「ミアちゃん。今、何歳?」

「九歳」

「お誕生日は?」

「明後日。十歳になるの」


 もう一度、刻印を見る。十歳の、お。――お誕生日、だろうか。文字は途中で止まり、箱には強い落下の痕がある。


「これが壊れたのは……お母さまが、亡くなった頃?」

「うん。去年」


 残響。刻印。落下痕。時期。ばらばらだった欠片が、リーゼの中で一本の線になりかけていた。


 そのとき、工房の扉が勢いよく開いた。


「ミア!」


 息を切らせた年配の女性が飛び込んできて、ミアを抱き寄せる。夕方になっても帰らない孫を、探し歩いていたらしい。


 ミアの祖母だった。


 安堵の次に、祖母の目が作業台の上で止まった。分解されたオルゴールを認めて、表情が揺れる。


 リーゼは静かに聞いた。


「これを――お母さまが、ミアちゃんの十歳のお誕生日に、渡そうとしていたんですね」


 祖母は目を見開き、それから、ゆっくりと頷いた。


 ミアの母は、長く病を患っていた。娘の十歳の誕生日まで、自分の身体がもたないかもしれない。それが分かっていたから、一年も前から支度をしていた。


 この工房の老技師に何度も直してもらいながら使い続けてきた、古いオルゴールを手入れし、蓋の裏へ、娘への言葉を少しずつ刻んでいた。


「この曲はね、あの子が――母親が、ミアを寝かしつけるのに、毎晩かけてやっていた曲なんですよ」


 祖母の声は、途中から掠れた。


 オルゴールなら、自分がいなくなった後も、娘のそばで同じ曲を鳴らし続けてくれる。そう考えての贈り物だったのだろう。


 容体が急変したのは、刻印を彫っている最中だった。


 手からオルゴールが滑り落ち、刻みかけの文字は、途切れたまま残された。ミアはそのとき、まだ事情を知らされる歳ではなかった。


 壊れた箱だけが、形見として少女の手元に残った。


 ――そういうことか。


 リーゼは、指先に残る感触を思い返す。あの恐怖は、死への怯えだけではなかった。渡したかったものを、渡せないまま終わってしまう。


 娘の十歳に、間に合わない。あれは、そういう恐怖だ。


 感情そのものは、答えを教えてくれない。壊れ方と、刻まれた文字と、生きている人の言葉が、ようやくその意味を埋めてくれた。


「お母さん……十歳の私に、渡したかったの?」


 ミアの問いに、祖母が頷く。少女は、壊れたままのオルゴールをじっと見つめた。


 明後日が、その十歳の誕生日だった。


 リーゼは作業台の部品をひとつずつ確かめてから、顔を上げた。


「明後日、ですよね。お誕生日」

「……うん」

「なら、間に合わせます」


 ミアと祖母が、同時にリーゼを見た。アルベルトも、だ。


 問題は部品だった。劣化した絶縁管は交換するほかないが、旧規格の純正品はとうの昔に廃番になっている。


 工房の棚を漁れば代わりが見つかるか――思案するリーゼの横で、アルベルトが口を開いた。


「……君、止めても直すんだろう」

「はい」

「即答するな」

「すみません」


 アルベルトは額を押さえ、それから、腰の検査器の留め具を外した。


「なら、俺が見る」

「え?」

「危険な状態で勝手に動かされるより、俺の監督下で安全に直させた方がいい」


 言い方はどこまでも役人のものだ。それでも、検査器を作業台へ据えるその手つきに、迷いはなかった。


 方針は、すぐに割れた。アルベルトの案は、最新型の絶縁管を出力を絞って流用すること。


「規格が合いません」

「そのままならな」


 彼は手帳の頁を破り、簡単な接続図を書いてみせた。理屈は通っている。ただ、新型部品を旧式回路へ直に繋げば、出力差の負荷が別の部位へ回る。


 今度はリーゼが、図の余白へ描き足す番だった。旧式部品を削って間に挟む、小さな中継機構。


「……なるほどな」


 感心を悟られたくないのか、アルベルトは新しい頁を開き、無言でリーゼの図を写しはじめた。


「……写すんですか?」

「記録だ。安全管理上の」

「はあ」

「……いい機構だと言っている」


 問題は、肝心の新型絶縁管が、監査の携行品に含まれていないことだった。


「隣町に技術局の出張所がある。早馬を頼めば、明日の昼には届く」


 明日の昼に部品。組み上げと調整に半日。リーゼは頭の中で工程を並べて、頷いた。


「なら――明日の夕方には、鳴らせます」


 それから、ミアの前に屈み込む。


「明日の夕方、また来てくれる? 誕生日の、前の日ね」


 ミアは大きく頷いて、祖母に手を引かれながら、何度も工房を振り返って帰っていった。



 翌日、早馬は昼過ぎに絶縁管を届けてきた。


 据えるのはアルベルト、中継機構を削り出すのはリーゼ。最新の部品と、旧い技。どちらが欠けても、このオルゴールは安全には直らない。


 互いの手順に口は出しても、互いの手元を疑うことは、いつの間にかなくなっていた。


 約束の刻より早くやって来たミアは、作業台の端に顎を載せ、瞬きも惜しむように二人の手元を見ている。


 祖母は持参した焼き菓子の包みを、工具の邪魔にならない隅へそっと置いた。


 窓の外が藍色に変わる頃、最後の部品が納まった。


 リーゼは慎重に魔力を通す。


 静寂。


 歯車がひとつ噛み、回転機構が目を覚ます。


 そして、旋律が流れはじめた。


 ゆっくりとした、優しい曲だった。眠る前の子供のための、静かな速さ。


「……お母さんの曲」


 ミアの声はそこで震え、あとは言葉にならなかった。少女は目を閉じ、箱に額を寄せるようにして聴いている。


 毎晩この曲で眠っていた頃の、母親の手の温度を確かめるみたいに。祖母が孫の肩を抱き、リーゼたちへ深く、長く頭を下げた。


 リーゼは口を挟まず、曲が終わるまで、ふたりと一緒に聴いていた。修理を終えた直後の回路は、まだほんのり温かい。


 その温もりが魔導具のものか、残っていた愛情のものか、リーゼにも区別がつかなかった。


 一年前に途切れた贈り物が、明日、本来の日付に間に合う。


 ――俺の隣に必要なのは、未来を作れる人間だ。


 ふいに、クラウスの声が耳の奥で蘇った。リーゼは自分の両手を見る。油で汚れた、発明をひとつも生んだことのない手。


 新しいものは、今日も何ひとつ作らなかった。


 それでも、失われるはずだったものを、あの子の未来へ渡すことはできた。


 ……これも、技師の仕事なのだろうか。


 答えはまだ出ない。ただ、初めてそんなふうに問えた自分がいた。


 帰り際、ミアは箱を胸に抱えたまま、戸口で振り返った。


「あのね。誕生日、終わったらまた来てもいい?」

「ええ、いつでも。――明日、いいお誕生日をね」


 少女は初めて、年相応に笑った。


 ミアと祖母を送り出し、戸口の鈴が鳴りやんだあと。


「見事だった」


 アルベルトが言った。リーゼは工具を拭く手を止める。


「……え?」

「修理の話だ。設計図も純正部品もない第三型を、安全基準を満たした状態まで戻せる技師は、技術局にもほとんどいない」


 世辞の色のない、報告書のような口ぶり。だからこそ、まっすぐ届いた。クラウスは、優秀だが未来を作れないと言った。


 この男は、修理そのものを、修理の言葉で認めた。


 礼を言いかけたリーゼへ、アルベルトは続けた。


「だが」

「……?」

「旧式を使い続けることに賛成したわけじゃない」

「……そこは、譲らないんですね」

「安全の話だからな」


 技術は認めて、思想は譲らない。線の引き方があまりに明快で、リーゼは怒るより先に、頬がゆるんでしまった。


 その和らぎは、長くは続かなかった。


 帰り支度のついでに、と修理後のオルゴールへ検査器をかざしていたアルベルトが、ふいに手を止めたのだ。


「待て」

「どうしました?」

「回路に残っている魔力が……持ち主のものにしては、妙だ」


 リーゼも覗き込み、回路の縁へ指を添えた。技師としての目にも、それは分かった。ミアの母のものらしい柔らかな魔力痕とは別に、もう一種類。


 人工的で、気味が悪いほど均一な痕。


「新型供給網の魔力だ」


 アルベルトが言い切る。


「……あり得ません。この型は携帯式です。持ち主が魔力石へ注いだ魔力だけで鳴る。供給網へ繋ぐ口が、そもそもないんです」

「だから、おかしい」


 繋がる線の一本もない小さな箱に、供給網の魔力が入り込んでいる。経路がないのに、痕だけがある。


 アルベルトは戸口へ出ると、薄闇の通りを帰っていくミアを呼び止めた。


「最後にひとつ。この町で最近、古い魔導具が壊れたという話はあるか?」


 ミアはきょとんとして、それから、何でもないことのように答えた。


「いっぱいあるよ?」


 一拍、通りの物音だけが流れた。


 振り返ったアルベルトの表情から、夕暮れの疲れが消えていた。


「……悪いが」

「はい?」

「もう少し、この町にいることになりそうだ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ