また取りに来ます
アルベルトが作業台に置いたのは、古い携帯魔力計だった。
掌に載る、真鍮枠の計器。文字盤の硝子には罅が走り、針は振り切れた位置で止まったまま、長い年月が経っている。
革の提げ紐は、途中で千切れていた。
ひと目で分かった。これは、壊れた日のまま、時間ごと仕舞われていたものだ。
「……修理の、ご依頼ですか」
「ああ」
アルベルトは、いつもの報告の声で、けれどいつもより一語ずつ確かめるように言った。
「母が死んだ事故の日、父が現場で使っていたものだ。事故のときに壊れた。以来、ずっと仕舞ってあった」
リーゼは、計器から目を上げた。
この人の家族のことを、彼の口から聞くのは初めてだった。母を亡くしていること。その現場に、この小さな計器があったこと。
そして――思い至って、指先が冷えた。
残響。
事故の日に壊れた魔導具。そこに何が残っているか。この人は、知っているのだ。リーゼの能力を、誰よりも正確に理解している人なのだから。
これを預けるということが、何を読まれ得るということか、分からないはずがない。
「これ……大切なものですよね」
「だから頼む」
即答だった。
リーゼは、両手で魔力計を受け取った。軽い。こんなに軽いものを、この人は何年も、開かずに抱えてきたのか。
修復師の目で、外観を検めた。二十年以上前の、技術局支給の型。文字盤の罅は硝子の交換で済むが、内部の感知素子は、当時の規格ごと廃番になっているはずだ。
探すなら、祖父の部品棚か、王都の古物市か。工程を数える頭の隅で、別のことも数えていた。この計器が壊れた日に、この人の家で何が終わってしまったのか。
「お預かりします。……ただ、古い型ですし、部品も探さないといけません。時間がかかると思います」
「構わん」
「それから――」
言うべきか、迷った。迷って、言うことにした。この人には、種を隠さないと決めている。
「修理の途中で、残っているものに、触れてしまうかもしれません。読むつもりがなくても」
「知っている」
アルベルトは、リーゼの目を見た。
「知っていて、君に頼んでいる」
「直ったら、王都へお送りします」
アルベルトは明日、王都へ発つ。技術局への報告と、具申のために。聞いていたから、そう言った。
「いや」
「……?」
「また取りに来る」
少し、間があった。
窓の外を、祭りの片付けの荷車が通り過ぎていく。
「それが――まだ、直っていなくても」
リーゼは、手の中の魔力計を見て、それから、目の前の生真面目な顔を見た。
「……はい」
返事は、それしか出てこなかった。頬が勝手に熱くなるのを、俯いてごまかした。アルベルトはアルベルトで、必要のない咳払いを一つして、検査器の留め具を確かめていた。
「では、頼んだ」
「はい。お預かりしました」
戸口で、彼は一度足を止め、振り返らずに言った。
「――工房を開けた最初の日に、君が直したのがオルゴールで、よかったと思っている」
それだけ言って、夕方の通りへ出ていった。
どういう意味かは、聞きそびれた。
夜。
リーゼは、作業台の上の魔力計を、灯りの下でしばらく眺めた。
触れれば、たぶん、読める。
事故の日の残響。彼の父の魔力。もしかしたら、彼の家族の、いちばん深い場所にあるもの。
リーゼは、手袋を嵌めたまま、魔力計を柔らかい布で包んだ。
読まない。まだ。
これは、あの人が自分の口で話したいと思ったときに、聞くべきものだ。生きている相手には、まだ話せるのだから。
布の包みを、棚のいちばん静かな段へ仕舞う。建具屋の時計を置いた、あの場所へ。
その奥には、王都から持って帰ったきり、一度も開けていない小さな包みが眠っている。
それから、帳簿を開いて、今日の行に書き込んだ。
預かり品、携帯魔力計、一点。期限、なし。
妙な帳簿だ、と自分でも思う。祖父の帳簿のどの頁にも、こんな行はなかったはずだ。
抽斗から、書きかけの便箋も出した。宛名だけの「お父様へ」。その下に、ようやく一行、続きを書いた。
――私は元気です。仕事は、少しずつ増えています。
それだけ書いて、また仕舞った。
窓の外では、祭りの名残の吊り灯が、まだ半分ほど、通りにともっていた。
明日も、店を開けよう。
壊れたものなら、直せます、と。




