王都へ届いた名前
灯火祭は、五日遅れで開かれた。
安全確認を終えた新しい塔の中核は、宵の口から静かに歌い続け、町中の魔導灯へ、揺らぎのない灯りを送り届けた。
櫓から通りへ渡された綱に、二十個の吊り灯がともる。リーゼの直した灯だ。祖父の直しと見分けがつかない、と言われた、あの二十個。
色硝子の飾りがその光を受けて、通りという通りへ、砕いた宝石のような色を撒いた。
広場は、人で埋まった。
屋台の呼び込み。灯籠行列の子どもたち。笛と太鼓。五日前、光の残像で見たものと同じ形の祭りが、今夜は生きている人たちの体温で、目の前にあった。
人混みの縁では、見覚えのある大柄な背中が、迷子を親元へ届けていた。あの帰還兵だった。祭りの警備の腕章を着け、腰には、真鍮の小さな警戒具を提げている。
目が合うと、彼は無骨に会釈をよこした。剣は提げていない。それでも、人を守る側の立ち姿だった。
ミアは、櫓のいちばん近くにいた。
祖母と並んで腰掛けて、膝の上のオルゴールの竜頭を、そっと巻く。
あの子守唄が、祭りの喧噪の中へ、細く、確かに流れ出した。
「お母さんの曲を、灯りを見ながら鳴らすんだ」
いつか工房で言っていた通りの夜が、そこにあった。ミアは泣かなかった。灯りを見上げて、口の中で小さく旋律をなぞっていた。
リーゼは、少し離れた通りの角から、それを見ていた。
「……見に行かないのか」
隣で、アルベルトが言った。祭りのあいだも監査官の顔のままで、屋台の魔導コンロの配線を目で追っている。
「ここから見えます。それに、あれは、あの子とお母さんの時間なので」
「そうか」
彼は懐から包みを出した。屋台の焼き菓子だった。二つある。
「……並んだんですか。あの列に」
「配給効率の調査だ」
「お祭りの屋台で、ですか」
「食べないなら返せ」
「食べます」
焼き菓子は、素朴に甘かった。頭の上で吊り灯が揺れ、どこかで乾杯の声が上がる。五日前に泣きながら走ってきた通りを、今夜は誰もが笑って歩いていた。
やがて曲を鳴らし終えたミアがこちらを見つけ、大きく手を振った。振り返すと、隣の祖母が深々と頭を下げる。
リーゼも、頭を下げた。役人と修理屋、と最初に呼ばれた二人が、今夜は町のどこに立っていても、誰かに会釈をされる。
「……妙な気分です」
「何がだ」
「この町へ来たばかりの頃は、知っている人が一人もいなかったので」
アルベルトは、菓子の最後のひと欠片まで律儀に口へ運んでから、言った。
「短い間にこれだけ直して回れば、そうなる」
直したものが、点っている。
それを、隣で食べた菓子の甘さごと、リーゼは覚えておこうと思った。
祭りの前日、魔導塔の一件は、正式な報告書になっていた。
旧式の記録機構と外装を保存したまま、新型中核へ安全に置き換えた修復の手順。接続によらない共鳴という異常現象の観測記録。
そして、十五年前の点検報告と受理印の写し。報告書そのものは、王立魔導技術局の局内扱いだ。
あわせて技術局は、中央供給網に関わる事業者へ向けて、緊急の安全通達を一枚発した。載っているのは、共鳴現象の概要と、注意すべき旧式魔導具の傾向。
そして、問い合わせ先としての技術協力者名だけ。
王立魔導技術局安全管理部門、アルベルト・レイン。
アルトマン魔導具修理工房、リーゼ・アルトマン。
十五年前の話は、その紙のどこにも載っていない。
――王都。ベルナー魔導具商会、応接室。
昼下がりの執務の合間に、秘書が一通の文書を運んできた。王立魔導技術局からの緊急安全通達。辺境の町の魔導塔で観測された、共鳴現象に関する注意喚起。
クラウス・ベルナーは、届いたばかりのそれを、二度読んだ。
一度目は、経営者として。中央供給網に関わる商会にとって、「供給網由来の共鳴が旧式魔導具を損耗させる可能性」は、聞き流していい話ではない。
事実なら、市場が変わる。責任の所在という、もっと重い話も動きかねない。
二度目は――技術協力者の欄で、目が止まった。
リーゼ・アルトマン。
アルトマン魔導具修理工房。
窓際の台に、開発中の試作品が並んでいる。五年先の暮らしを作る品々。あの日、この部屋で、彼は言った。
俺の隣に必要なのは、未来を作れる人間だ、と。
その相手が、辺境の町で、百年前の塔と最新の中核を繋いでいた。新型だけでは解けなかった問題の、繋ぎ目を作っていた。
クラウスは通達を置き、しばらく窓の外の王都を見た。
後悔、と呼ぶには、感情の輪郭が違った。彼は商人だ。見誤った値付けは、正さなければならない。
それも、できるだけ早く。
「……一度、自分の目で見た方がいいな」
翌朝の乗合馬車の席を、彼は自分で予約した。




