線ではなく、場所
夜、〈つぎはぎ屋〉の作業台に、町の地図が広げられた。
燭台代わりの魔導灯を挟んで、リーゼが読み上げ、アルベルトが印を落としていく。
「ミアさんのオルゴール。南三番通り」
「波形は強。……次」
「建具屋さんの懐中時計。中央広場の東」
「強だ」
「集合住宅の三台。給湯器が中、暖房と魔導灯は強。古道具屋の置き時計が薄……いえ、中でしたね」
ここ数日、監査のついでに検査した町の旧式魔導具も加えると、印は十数個になった。印の脇には波形の濃さ。
強、中、薄。
そして、帰還兵の剣。これだけは印の形が違う。異常なし。
図面を広げる合間、リーゼはふと気づいて聞いた。
「そういえば、アルベルトさんの宿の荷物って」
「鞄一つだ」
「王都から、ずっとですか」
「使わないものを持っていて、何になる」
当然のように言って、彼は定規を取った。服も、道具も、要る数だけ。この人の持ち物から「念のため」と「思い出」を探すのは、たぶん骨だろう。
「系統図とは、一致しない」
アルベルトは、技術局から借り出した供給線の図面を地図へ重ねた。故障した建物と、無事な建物が、同じ線にぶら下がっている。
逆に、別系統の線の先で、同じ波形が出ている。線で説明は、つかない。
行き詰まって、リーゼは椅子の背にもたれ、印の全体をぼんやり眺めた。
一つずつ見ていたときには、ただの点だった。引いて見ると――眺めているうちに、背中が冷えた。
「……アルベルトさん。印、濃いものほど」
「ああ」
彼も、同じものを見ていた。
波形の濃い印ほど、町の中心に近い。薄い印は、町外れに散っている。ミアの家は南寄りだが、オルゴールは毎日、中央広場の近くの祖母の家と行き来していたと言っていた。
建具屋は広場の東。集合住宅は中心から三筋目。
町の中心にあるもの。百年前から、ずっとそこに立っているもの。
「魔導塔に、近い」
繋がっているかどうかでは、なかった。塔からの、距離。
「線じゃない」
アルベルトが、図面の上へ定規を置いた。塔を中心に円を描くと、印の濃さが、ほぼその輪に沿って並んだ。
内側ほど濃く、外側ほど薄い。教本のどの故障図にも載っていない、静かで、不気味な同心円だった。
「……場所だ。塔から、何かが届いている」
「届いているって、何がですか」
「分からん。魔力の漏れか。周期的な振動か。塔自体の故障か」
分からないづくしだった。ただ一つ、時期だけは符合していた。今日、故障が三件同時に起きたのは、出力試験の直後。
塔の送出を一段上げた、まさにその後だ。
「毎年やっている試験なんですよね」
「ああ。今年だけ特別に高いわけでもない。記録を見たが、手順通りだ」
「なら、どうして今年だけ」
「――今年だけ、じゃないのかもしれん」
アルベルトは、印の一つを指の腹で撫でた。
「十五年。あるいはもっと長く、目に見えない何かが、少しずつ積もっていた。器が一杯になっていたところへ、今日の一段が来た。……溢れたのが、今年だった。それだけかもしれん」
器。
リーゼは、集合住宅の三台の壊れ方を思い出した。長く重いものを提げ続けた紐が、ふつりと切れる。
あの切れ方。
祭りは、延期になった。
町役場は夜のうちに決めた。原因不明の故障が続く中で、町中の魔導灯を一晩ともす祭りはできない。
安全の確認が取れ次第、改めて開く――アルベルトが役場へ出向いて、そう進言したのだ。集合住宅の検査記録を、卓に並べて。
張り紙は、その晩のうちに広場と辻に貼られた。読んだ町の人たちは、思ったより静かだった。文句より先に、集合住宅の煙の話が伝わっていたからだ。
「あそこの婆さんが無事でよかった」が、どの立ち話でも先に来た。
それでも。
組み上がったままの櫓と、通りに渡された綱と、そこへ吊られたばかりの二十個の灯が、点らないまま夜風に揺れた。
色硝子の飾りが触れ合って、少し寂しい音を立てた。
直したのに、点らない。
仕方のないことだと分かっていて、リーゼはそれでも、しばらく窓からその綱を見ていた。
ミアは、工房の椅子で頬杖をついた。
「……お祭り、なくなっちゃうの?」
「なくなりません。延びるだけ」
「オルゴール、灯りの前で鳴らすんだよ」
「ええ。だから、先に町を直しましょう」
ミアは少し考えて、頷いて、それから祖母の待つ家へ帰っていった。
その夜遅く。
帳簿を付け終えたリーゼが灯りを消しかけたとき、それは起きた。
かち。
作業場の隅で、止まっていた祖父の古い柱時計が、ひと目盛りだけ動いた。
振り向く。針は、また止まっている。空耳かと思った次の瞬間、埃を被ったままの魔導ランプが、一瞬、点いて、消えた。
棚の奥で、用途の分からない祖父の装置が、みし、と微かに震えた。
工房中の古いものが、いっせいに、同じ拍で身じろぎをした。
同じ拍で。
まるで、遠くの何かに合わせて息をするように。
――そして、流れ込んできた。
触れてもいないのに。
祖父の時計から。ランプから。部品箱の奥の壊れた品々から。低い残響が幾重にも重なって、部屋の空気そのものを揺らしてくる。
誰かの懐かしさ。誰かの焦り。名前の付けられない感情の群れが、遠い部屋のざわめきのように届いてくる。
これまで残響は、触れなければ聴こえないものだった。指先から、一つずつ。それが今、部屋中から、一斉に。
リーゼは椅子の背を掴んだ。怖い、と素直に思った。聴こえ方の桁が、変わろうとしている。
窓辺へ寄って、夜の町を見た。
家々の窓の灯りが、ほんのわずか、同じ拍で揺れている。気づいている人は、まだほとんどいないだろう。
それくらい微かに――町全体が、脈を打っていた。
遠く。
町の中心で、百年前の魔導塔が、一度、強く明滅した。
鼓動のように。
戸を叩く音がした。開けると、外套の前も直さないままのアルベルトが立っていた。工房の異変を見て来たのではない。
彼の検査器が、腰で低い警告音を鳴らし続けていた。塔の方角を見たまま、彼は言った。
「塔へ行く」
「私も行きます」
「危険が」
「止めても行くんだろう、と言うところです」
アルベルトは、口を開きかけ、閉じた。
「……聞くまでもなかったな」
リーゼは工具鞄と、贈られた手袋を掴んだ。
夜の通りは、静かで、静かではなかった。
人の姿はない。なのに、家々の軒下で古い魔導灯がわずかに明滅し、どこかの窓の内で置き時計が狂った時を打った。
犬が一匹、塔の方角へ向かって長く吠えている。
どの明滅も、同じ拍を刻んでいる。周期が揃っている――と、頭が先に読み取った。怖い、と感じたのは、その半拍あとだった。
歩きながら、アルベルトが前を向いたまま言った。
「工房で、何か聴こえたか」
「はい。触れていないのに、いくつも」
「……初めてか、そういうことは」
「初めてです」
彼は頷いて、それきり歩調を速めた。質問は二つだけ。恐がっているか、とは聞かれなかった。聞かれたら、はい、と答えていたと思う。
それでも足が止まらないのは、この音の意味を読めるのが、たぶんこの町で自分だけだからだ。
二人は、鼓動を刻む塔へ向かって、夜の通りを歩き続けた。頭上で、点らないままの吊り灯が、風もないのに小さく揺れていた。




