直せる。でも
建物の前は、ちょっとした人だかりになっていた。
六世帯ぶんの住人と、様子を見に来た近所の人たち。ミアは友だちのアンナと手を繋いで、人垣の端からこちらを見上げている。
「〈つぎはぎ屋〉なら直せるんでしょう?」
最初にそう言ったのは、アンナの母親だった。責める調子ではない。すがる調子だった。
「オルゴールも、時計も直したって聞いたよ」
「うちの鍋も直してもらった」
「なら、暖房もお願いできるだろう。今夜は冷えるんだ。年寄りも、小さい子もいる」
リーゼは、答えに詰まった。
技術的には――直せる。三台とも、応急の修理はできる。亀裂に仮の封をして、焼けた絶縁材を替えれば、今夜ひと晩くらいは動くだろう。
けれど、原因が分かっていない。
接続もしていない魔導具の内側に、正体の分からない負荷が積もっている。仮に直して動かして、また同じ負荷がかかったら。
次は唸り声で済むだろうか。今日は、たまたま煙で済んだ。誰かが眠っている夜中だったら。
考えている横で、アルベルトが決めた。
「この建物の旧式魔導具は、原因が分かるまで全部停止する」
人だかりが、一斉にざわめいた。
「全部って、あんた」
「暖房もかい! 明日は祭りだよ!」
「湯も出ないんじゃ、赤ん坊をどうしろって言うんだ」
反発は、当然だった。誰も悪くない。古い暖房を使い続けてきたのは、買い替える余裕がないからだ。
新型に替えろと言うのは簡単で、その値段でこの建物の家賃が何月ぶんになるか、言う側は数えたことがない。
危ないと言われても、寒さは今夜来る。
「王都のお役人には分からないだろうがね」
誰かが吐き捨てた。アルベルトは言い返さなかった。言い返さないことが、かえって場を硬くした。
視線が、自然とリーゼへ集まった。役人の言うことより、町の修理屋の言うことを、みんな聞きたがっている。
「直せるんでしょう?」
アンナの母親が、もう一度言った。
リーゼは、彼女の目を見た。
この町へ来たばかりの頃なら、迷わなかっただろう。直せるなら、直す。困っている人がいて、直せる手があるなら、動かない理由がない。
そう信じて、それで一度も間違ったことがないと思っていた。
でも、いまは知っている。剣を元に戻さない方がいい人がいた。直すと消えてしまうものがあった。
そして今日、目の前で、原因の分からない熱が煙を上げた。
彼女の後ろのミアを見た。ミアと繋いだアンナの手を見た。遮断具を落とした暖房の、焦げた継ぎ目を思い出した。
「……はい」
人だかりが、わずかに緩む。
「直せます」
一拍。
「でも――使わせられません」
静かになった。
「直すことは、できます。今夜動かすことも、たぶんできます。でも、なぜ壊れたのかが分かっていません。原因の分からない壊れ方をしたものを、直して、皆さんが眠る建物で動かすことは……私には、できません」
言いながら、胸の奥で、聞き覚えのある言葉が響いていた。
――直せることと、安全に使えることは別だ。
初めて会った日、この人が言ったこと。あのときは反発しかなかった言葉を、いま、自分の口が選んでいる。
アルベルトが、横で小さくこちらを見たのが分かった。何も言われなかったが、それでよかった。
沈黙を破ったのは、アルベルト自身だった。
「停止させる以上、代わりは技術局が手配する」
彼は懐から通信札を出し、その場で三箇所へ文を飛ばした。技術局の出張所。町役場。祭りで賑わう商会の支店。
夕方までに、荷馬車が三度、建物の前へ着いた。仮設の暖房が二台。湯沸かしの魔導釜がひとつ。廊下用の新型魔導灯が一箱。
数は足りないから、今夜は一階の広間に六世帯で集まって休むことになった。毛布は役場が出した。
「祭りの前夜に雑魚寝かい」
誰かがぼやいて、誰かが笑った。ざわめきは、いつの間にか角が取れていた。
リーゼは、仮設暖房の据え付けを手伝いながら、隣で配線を確かめるアルベルトの横顔を見た。
止めろ、と言うだけなら簡単だ。この人は、止めた後の夜の寒さまで、自分の仕事にしている。
(……古いものが、嫌いなわけじゃないんだ)
この人が嫌っているのは、人が傷つく可能性のほうだ。
据え付けの最後、道具を仕舞おうとして、リーゼは右の手袋の甲に細い裂け目があることに気づいた。
昼間だ。暴走した暖房を止めたとき、焼けた外装のどこかで擦ったらしい。あのときは、気づく余裕もなかった。
裂け目をめくると、指の付け根に、薄い切り傷が覗いていた。血はとうに乾きかけている。手袋がなければ、もっと深かっただろう。
「これくらいなら――」
「手を出せ」
声が、思いがけず近くから降ってきた。
「平気です。もう乾いて」
「平気かどうかは、処置をしてから決めろ」
有無を言わせない口調だった。アルベルトは自分の鞄から小さな救急箱を出し、リーゼの手を取って、傷口を確かめ、消毒し、布を巻いた。
指先ひとつに、包帯は明らかに大げさだった。
「……あの。切り傷です。昼のうちの」
「見れば分かる」
「大ごとにするほどでは」
「巻き直すか」
「いえ、結構です」
「次からは、手袋が裂けた時点で言え」
作業へ戻ってからも、彼は二度、三度と、リーゼの指先へ目をやった。検査器の数値を確かめるのと同じ頻度で。
通りかかったミアが、目ざとく見つけて駆け寄ってきた。
「リーゼお姉ちゃん、怪我したの?」
「かすり傷です。……この包帯は、その、規格です」
「きかく」
ミアは分かったような分からないような顔で、アルベルトとリーゼを見比べた。
(この人、小さな怪我だけは、妙に気にする)
合理主義の塊のような人の、そこだけ計算の合わない挙動だった。数値で説明のつかないものを、この人の中に初めて見た気がする。
理由を聞ける空気ではなかったので、リーゼは大人しく、包帯の巻かれた指で作業を続けた。
日が傾きかけた頃、道具を提げて建物を出たリーゼは、ふと足を止めた。
二軒先の古道具屋。その店先の棚に、売り物の古い置き時計が並んでいる。埃を被って、値札の字も褪せた、何年も買い手のつかない品だ。
嫌な予感がして、アルベルトから検査器を借り、当てた。
――ある。
薄い。けれど確かに、あの均一な波形。
この時計は、売り物だ。動かしてすらいない。どこの供給網にも、繋がったことすらないはずだった。
それでも、ここに――この場所に、長く置かれていた。
振り返ると、アルベルトも同じ結論の顔で記録紙を見ていた。壊れているかどうかでも、使っているかどうかでもない。
この町の、どこに置かれていたか。
それだけが、共通している。




