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『俺は本が読みたいだけ!! 〜恋愛小説を読んでいたいだけなのに、どうして俺がラブコメしてるんだ!?〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第71話 幼馴染がおすすめの本を選んでくれるだけなのに、どうしてその一冊がこんなに楽しみなんだ?



 日曜日の朝、俺は机の上に並んだ本を眺めながら、今日の読書計画を考えていた。


 昨日買ってきた商店街を舞台にした日常小説は、すでに物語の半分近くまで読み進めている。最初は新しい町に馴染めずにいた主人公が、商店街の人々と少しずつ交流を重ねるようになり、ようやく自分から誰かへ声をかけられるようになったところだった。


 もう一冊のミステリー短編集は、まだ最初のページも開いていない。こちらも気になっているのだが、読みかけの作品を途中で放り出すのは惜しいし、大学で再会した幼馴染を描く恋愛小説の続きも気になっている。


(……休日が二日じゃ足りないな)


 そんなことを考えながら椅子へ座り、机の上に置いてあった文庫本を手に取った。


 昨日の夜は、幼馴染の恋愛小説を読みながら、昔の約束を覚えているヒロインと、それを忘れてしまった主人公の関係について考えていた。物語の中では、主人公が幼いころの出来事を少しずつ思い出し始めているものの、肝心な約束の内容までは思い出せていない。


 ヒロインも、そのことを無理に問い詰めようとはしていなかった。


 昔の約束を覚えていてほしいという気持ちと、今の自分を見てほしいという気持ち。その二つが彼女の中で重なり合い、何気ない会話にも少しずつ複雑な感情が滲むようになっている。


(……この主人公、そろそろ気づいてもよさそうなんだけどな)


 俺は表紙を眺めながら、思わず苦笑した。


 ヒロインが主人公と二人きりになる機会を作ろうとしていることも、昔の思い出を大切にしていることも、読んでいれば十分に伝わってくる。それなのに主人公は、彼女が昔から親しい友人だからという理由で、ほとんどの行動を自然なものとして受け止めていた。


 もちろん、幼馴染だからこそ分からないこともあるのだろう。


 長い間一緒に過ごしていると、相手が隣にいることが当たり前になる。今さら一つひとつの言葉に特別な意味を考える方が、不自然に感じられるのかもしれない。


 そこまで考えたところで、俺はふと雫の顔を思い浮かべた。


 昨日の夜、雫は俺に薦めたい本が二冊あって、どちらにするか迷っていると話していた。


 どんな作品なのか、まだ聞いていない。


 ただ、雫が自分の好きな本を真剣に選んでくれていることが、何だか嬉しかった。


(……雫のおすすめって、考えてみるとあまり聞いたことがなかったかもな)


 これまでも、雫とは何度も本の話をしてきた。


 俺が読んでいる作品について感想を聞いてくれたり、気になった本を一緒に探してくれたりすることはあったけれど、彼女の方から一冊を選んで薦めてくれる機会は、それほど多くなかったように思う。


 それは、俺がいつも自分の好きな本の話ばかりしていたからかもしれない。


 雫は嫌な顔をせずに聞いてくれるので、つい夢中になってしまうのだ。


(……今度は、俺がちゃんと聞く番だな)


 そう考えると、自然に楽しみな気持ちが膨らんできた。


 俺は文庫本を開き、昨日栞を挟んだページから読み始めた。


 窓の外では、穏やかな風に揺られた木の葉が小さな音を立てている。休日の朝らしい静けさの中、俺は再び物語の世界へ意識を向けた。


     ◇◇◇


 同じころ、西条雫は自分の部屋で、机の上に並べた二冊の本を見つめていた。


 昨日からずっと考えている、春樹に薦めたい作品だ。


 一冊は、幼馴染同士の恋愛を描いた小説。


 もう一冊は、季節ごとの日常を描いた短編集。


 どちらも雫にとって大切な本だったが、春樹へ薦めるとなると、それぞれ違う意味を持っているように感じられた。


 幼馴染の恋愛小説は、初めて読んだときから心に残っている。


 主人公の女の子は、昔から一緒にいる男の子へ特別な気持ちを抱いている。けれど、その気持ちを伝えてしまえば、今までの関係が変わってしまうかもしれないと考え、なかなか言葉にできずにいる。


 相手のことが大切だからこそ、今の距離を失うのが怖い。


 そんな彼女の気持ちを読んだとき、雫は自分の胸の奥をそっと覗かれたような気がした。


(……春樹が読んだら、どう思うんだろう)


 雫は表紙に描かれた二人の後ろ姿を眺め、指先で文庫本の角をなぞった。


 春樹は恋愛小説が好きで、登場人物の心情を丁寧に読み取ることができる。誰かが言葉にできずにいる思いについても、物語の中であれば驚くほど鋭い感想を話すことがあった。


 それなのに、現実では自分の気持ちに気づいてくれない。


 そのことが少し寂しくて、けれど、そんな春樹を嫌いになることはできなかった。


 むしろ、何気なく優しい言葉をかけてくれたり、自分の話を真剣に聞いてくれたりするたびに、胸の奥にしまっている気持ちは少しずつ大きくなっている。


 雫は小さく息を吐き、もう一冊の短編集を手に取った。


 こちらは、春夏秋冬それぞれの季節を舞台にした物語が収められている。


 春には、新しい環境で出会った人々の話。


 夏には、突然の夕立をきっかけに距離が縮まる二人の話。


 秋には、いつもと同じ帰り道で小さな変化に気づく話。


 冬には、寒い日に誰かが用意してくれた温かな飲み物を通じて、言葉にしなくても伝わる優しさを描いた話がある。


 どの作品にも共通しているのは、何でもない一日が、誰かと過ごすことで少しだけ特別になるということだった。


 雫は本を開き、秋の物語が始まるページへ目を向けた。


 この話を初めて読んだのは、少し前の休日だった。


 主人公は、いつも同じ時間に同じ道を歩いて帰る高校生の女の子だ。隣には昔から仲のいい男の子がいて、二人はその日の授業や帰宅後の予定について、特別なことなど何もない会話を交わしている。


 ある日、女の子は男の子がいつも自分の歩く速さに合わせてくれていたことに気づく。


 それは本当に小さな発見だった。


 男の子は、相手を気遣っていることをわざわざ口にしない。ただ、二人で並んで歩くことが自然だから、歩幅を合わせているだけだった。


 女の子は、その優しさが嬉しくなる。


 けれど、ありがとうと伝えようとすると、なぜか少し照れくさくなってしまう。


 雫はその場面を読み返し、思わず微笑んだ。


(……春樹も、こういうところがあるんだよね)


 春樹は本に夢中になると周囲が見えなくなることもあるが、誰かと一緒に歩いているときは、相手の様子を気にかけてくれる。


 荷物が多ければ自然に声をかけてくれるし、疲れていそうなときには休憩を提案してくれる。


 本人は特別なことをしているつもりなどないのだろう。


 それでも、雫にとっては嬉しいことだった。


 幼いころから知っている春樹と、今の春樹。


 変わらないところもあれば、少しずつ変わったところもある。


 そのどちらも、大切にしたいと思っていた。


 雫はページをめくりながら、丘の上の見晴らしのいい場所へ一緒に行った日のことを思い出した。


 久しぶりに並んで眺めた町の景色は、子どものころよりも少し小さく見えた。


 それでも、隣に春樹がいることは変わらなかった。


 あの日、彼は昔の約束を思い出していなかった。


 けれど、雫が大切にしている場所へ一緒に来てくれたことも、そこで過ごした時間を楽しんでくれたことも、確かな事実だった。


(……昔の約束を思い出してもらうことだけが、私の願いじゃないんだよね)


 雫は本を閉じ、膝の上へ置いた。


 いつかは、あの約束について話したい。


 そして、春樹に自分の気持ちを伝えたい。


 けれど、それは過去の約束だけを理由にしてほしいからではなかった。


 今の自分を見て、今の春樹自身の気持ちで考えてほしい。


 そう思うからこそ、言葉を選ぶ時間が必要だった。


 雫は机の上に並んだ二冊を見比べた。


 幼馴染の恋愛小説を薦めれば、春樹がどんな感想を持つのか気になってしまうだろう。


 季節の短編集なら、恋愛だけではないさまざまな感情について、もっと自然に話せるかもしれない。


 ただ、気持ちを隠すためだけに選ぶのも違う気がした。


 雫はしばらく考えたあと、季節の短編集を開いた。


 もう一度、最初から読んでみよう。


 そのうえで、本当に春樹に薦めたいと思えるなら、この一冊を選ぶことにしよう。


 そう決めると、昨日から胸の中にあった迷いが少しだけ軽くなった。


     ◇◇◇


 午前中の読書を終えた俺は、昼食のあとに少し休憩することにした。


 大学で再会した幼馴染の恋愛小説は、物語の終盤へ差しかかっていた。主人公はヒロインと過ごす時間が以前よりも大切になっていることに気づき始めているが、まだ自分の気持ちをはっきり言葉にできずにいる。


 ここから一気に読み終えたい気持ちもあったものの、物語の余韻を楽しみながら読みたいので、いったん栞を挟んだ。


 代わりに、昨日買ってきた商店街の日常小説を手に取る。


 こちらは主人公が新しい町で少しずつ居場所を見つけていく話で、読み進めるほど商店街の人々に親しみを感じるようになっていた。


 最初は名前を覚えるだけでも精いっぱいだった主人公が、今では店先に立つ人々へ自分から挨拶をしている。


 その変化が、妙に嬉しかった。


(……こういう成長の描き方、好きだな)


 俺はページをめくりながら、登場人物同士の会話に耳を傾けるような気持ちで読み進めた。


 物語の中では、商店街の古い喫茶店が閉店するかもしれないという話が持ち上がっていた。


 主人公は、まだその町へ引っ越してきてから長い時間が経っているわけではない。


 それでも、何度も通った店がなくなるかもしれないと知り、初めて自分がその場所を大切に思っていることに気づく。


 誰かにとっては、ただの古い店。


 けれど、別の誰かにとっては、安心して過ごせる大切な場所。


 そういう違いが、丁寧に描かれていた。


 俺は読みながら、学校の図書室のことを思い浮かべた。


 俺にとって、図書室は昔から落ち着ける場所だった。


 静かに本を読めるし、知らない作品と出会うこともできる。


 けれど、最近はそれだけではなくなっている。


 白石先輩と本の話をしたり、小日向さんや新海さんの感想を聞いたり、九条さんと読書週間の掲示について相談したりする場所にもなっていた。


 同じ図書室なのに、以前よりも少し賑やかに感じることがある。


 それでも、不思議と嫌ではなかった。


(……一人で読む時間も好きだけど、誰かと話す時間も楽しいんだよな)


 俺は本を閉じ、机の上へ置いた。


 そう考えると、読書週間の準備を手伝うことになったのも、悪いことではなかったのかもしれない。


 最初は紹介カードを作る程度のつもりだった。


 けれど、今ではどんな本を展示すれば興味を持ってもらえるか、どうすれば普段あまり本を読まない人にも楽しんでもらえるかを考えるようになっている。


 昨日、白石先輩とやり取りしたおすすめ募集案も、その一つだ。


 ただし、まだ正式に決まったわけではない。


 委員会で相談して、必要なら先生にも確認してもらうことになるだろう。


 俺は机の引き出しからメモ帳を取り出し、昨日書いた案を確認した。


『好きな本』


『どんな気分のときに読みたいか』


『おすすめする理由』


 この三つを聞ければ、作品の名前だけでなく、その人が本に求めているものも少し分かるかもしれない。


 例えば、元気が欲しいときに読む本。


 疲れた日に落ち着くために読む本。


 誰かと話したくなる本。


 勇気をもらいたいときに読む本。


 以前、雫が考えてくれた分類とも相性がよさそうだった。


 俺はメモ帳の余白に、小さく書き足した。


『好きな理由を、無理に長く書いてもらわなくてもいい』


 作品の魅力を上手に説明できる人ばかりではない。


 俺だって、好きな本について話そうとすると、伝えたいことが多すぎてまとまらなくなることがある。


 それなら、一言だけでも構わない方が、気軽に参加できるかもしれない。


(……まあ、これも週明けに相談だな)


 俺はメモ帳を閉じ、引き出しへ戻した。


 今日は休日だ。


 準備のことを考えるのも楽しいけれど、ずっとそればかりでは、九条さんや白石先輩にまた心配されてしまいそうだ。


 そう思って本へ手を伸ばしたところで、スマートフォンが震えた。


 画面には、高坂悠斗の名前が表示されていた。


『春樹、今ちょっといいか?』


 俺は少し驚きながらも、すぐに返信した。


『大丈夫だよ。どうした?』


 すると、ほどなくして電話がかかってきた。


 俺は通話ボタンを押し、椅子へ座り直した。


「もしもし、悠斗? 何かあったの?」


『いや、別に大したことじゃないんだけどさ。ちょっと聞きたいことがあって』


 電話越しの悠斗は、普段よりも少し歯切れが悪かった。


 学校ではいつも軽い調子で話しかけてくるので、こういう声を聞くと何か気になることがあるのだろうと思う。


「うん。俺に分かることなら聞くけど」


『お前さ、誰かに本を薦めるときって、どういう基準で選んでる?』


 予想していなかった質問に、俺は少し目を瞬かせた。


 悠斗は以前から俺の読書趣味を知っているけれど、自分から本の選び方について尋ねてくることは珍しい。


「そうだな……。まず相手がどんな話を好きなのか考えるかな。あとは、最近どんなことに興味を持ってるかとか、読んだあとにどんな気持ちになってほしいかとか」


『なるほどな。やっぱ、相手のこと考えるんだな』


「そりゃそうだよ。自分が好きな本だからって、相手も同じように楽しめるとは限らないし」


 俺は机の上の本を眺めながら答えた。


 もちろん、相手の好みを完全に理解することなどできない。


 だからこそ、何を薦めるか考える時間が楽しいのだと思う。


「でも、あんまり難しく考えすぎなくてもいいと思うよ。自分が本当に面白いと思った作品なら、その理由を話すだけでも伝わることはあるし」


『……そっか』


 悠斗は少し黙り込んだ。


 電話の向こうで何かを考えているようだったので、俺は急かさずに待った。


 やがて、悠斗が小さく息を吐く音が聞こえた。


『実はさ、紗弥とこの前の展示の話をしてたら、元になった作品を読んでみたいって言ってて』


「ああ、あの文学作品とイラストの展示のこと?」


『そうそう。展示で紹介されてた作品の中に、俺が前に読んだやつがあったんだよ。それで、紗弥が興味持ってくれたから、貸してみようかなって』


 俺は思わず笑顔になった。


 悠斗が自分の好きな作品を赤木さんへ薦める。


 それは、とてもいいことだと思う。


「いいじゃん。悠斗が読んで面白かった本なら、きっと話も弾むと思うよ」


『いや、そうなんだけどさ。俺が好きだからって、紗弥も好きになるとは限らないだろ? 何か、つまんないって思われたら嫌だなって』


 その言葉に、俺は少し考えた。


 確かに、自分が大切にしている作品を誰かへ薦めるとき、相手の反応が気になることはある。


 俺も雫や白石先輩に本を貸したときは、気に入ってもらえるか少し緊張した。


 けれど、感想が同じでなければいけないわけではない。


「別に、同じ感想じゃなくてもいいんじゃないかな。どこが面白かったか話すのも楽しいけど、違うところに注目してたら、それも面白いと思うよ」


『……お前、そういうとこは本当に前向きだよな』


「そうかな。俺は、読んだ人が何を感じたのか聞くのが好きなだけだよ」


 電話の向こうで、悠斗が小さく笑った。


 少しだけ、いつもの調子に戻ったようだった。


『まあ、そうだよな。紗弥が興味あるって言ってくれたんだし、まずは貸してみるか』


「うん。無理に面白いって言ってもらおうとしなくてもいいと思う」


『それ、分かってるつもりなんだけどな。何か、紗弥のことになると余計なことまで考えちまうんだよ』


 悠斗の声には、照れくさそうな響きが混じっていた。


 以前、彼は赤木さんのことが好きだと打ち明けてくれた。


 だから、普段なら気にしないようなことまで考えてしまうのかもしれない。


「大切に思ってる相手なら、そういうこともあるんじゃないかな」


 俺がそう言うと、悠斗は一瞬黙った。


 それから、少し呆れたような声を出した。


『……春樹、お前さ。自分で今、結構まともなこと言ってるって分かってる?』


「え? 別に普通のことだと思うけど」


『いや、まあ……そうだな。お前にとっては普通なんだろうな』


 何だか納得していないような返事だった。


 俺は首を傾げたが、悠斗はそれ以上追及してこなかった。


『とにかく、ありがとな。ちょっと気が楽になった』


「それならよかった。赤木さんと本の話ができるといいね」


『おう。……あ、そうだ。お前は今日も読書か?』


「もちろん。昨日買った本もあるし、読みかけの恋愛小説も気になってるから」


『ほんっとブレねえな、お前』


 悠斗は笑いながらそう言った。


 俺としては、休日に好きなことをしているだけなのだが、彼には相変わらずだと思われたらしい。


 通話を終えるころには、悠斗の声もすっかり明るくなっていた。


 俺はスマートフォンを机へ置き、少しだけ考えた。


 好きな人に本を薦める。


 その行為自体は、俺が普段していることとそれほど変わらないように思える。


 けれど、悠斗にとっては、赤木さんがどう感じるかということが、いつも以上に大切なのだろう。


(……好きな相手だから、余計に気になるってことか)


 俺は机の上の本を見つめた。


 そういう気持ちがあることは、恋愛小説を読んでいてもよく分かる。


 ただ、自分が誰かに本を薦めるときに、そこまで考えたことがあるかと言われると、少し違う気がした。


 俺は相手が楽しんでくれたら嬉しい。


 それは、雫でも白石先輩でも、小日向さんでも新海さんでも同じだ。


 もちろん、誰かによって薦めたい作品が変わることはある。


 けれど、それは相手の好みが違うからだと思っていた。


(……本を薦めるだけでも、人によっていろんな気持ちがあるんだな)


 俺は感心しながら、読みかけの小説を開いた。


 どうやら、読書という趣味には、まだまだ知らない楽しみ方があるらしい。


     ◇◇◇


 午後の遅い時間、西条雫は季節の短編集を読み終えた。


 何度か読んだことのある作品だったが、春樹へ薦めることを考えながら読み返すと、以前とは違うところが印象に残った。


 特に心に残ったのは、冬の物語だった。


 寒い日の夕方、主人公の女の子が落ち込んだ気持ちを抱えながら帰宅すると、家族が温かい飲み物を用意してくれている。


 何があったのかを無理に聞くこともなく、ただ隣に座って一緒に過ごしてくれる。


 女の子は、すぐに元気になるわけではない。


 それでも、誰かが自分のために時間を使ってくれたことを知り、少しだけ安心する。


 雫はその場面を読み終え、しばらく本を閉じずにいた。


(……やっぱり、私はこの本が好き)


 誰かを大切にする方法は、一つではない。


 言葉で伝えることもあれば、何も言わずに隣にいることもある。


 そのどちらにも、相手を思う気持ちが込められている。


 この短編集は、そういう小さな優しさを丁寧に描いているところが好きだった。


 雫は本を閉じ、表紙を見つめた。


 春樹なら、きっと楽しんでくれる。


 登場人物の何気ない行動にも注目してくれるだろうし、読み終えたあとには、自分とは違う感想を聞かせてくれるかもしれない。


 その時間を想像すると、自然に笑みが浮かんだ。


(……うん。これにしよう)


 雫は二冊のうち、季節の短編集を選ぶことにした。


 幼馴染の恋愛小説も、いつか読んでもらいたい。


 けれど、今の自分が春樹へ薦めたいのは、こちらの作品だった。


 昔の約束や自分の恋心を遠回しに伝えるためではなく、純粋に好きな本を一緒に楽しみたい。


 そう思えたことが、何だか嬉しかった。


 雫は机の引き出しから小さな紙を取り出し、春樹に伝えたいことを書き始めた。


『季節ごとの何気ない日常を描いた短編集』


『誰かの優しさや、一緒に過ごす時間の大切さが、自然に伝わってくるところが好き』


 そこまで書いて、少し考える。


 春樹なら、もっと上手に紹介文を考えるかもしれない。


 けれど、今は自分の言葉で伝えたい。


 雫は文章を読み返し、最後に一文だけ書き足した。


『読んだあと、身近な人との時間を少し大切にしたくなる本』


 その文章を書き終えた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。


 春樹に、この本を読んでもらいたい。


 そして、どんなところが好きだったのか、ゆっくり話してみたい。


 雫は紙を折りたたみ、本の間へ挟もうとして手を止めた。


 紹介文を渡すかどうかは、まだ決めていない。


 春樹にとっては、本を借りるだけでも十分なのかもしれない。


 けれど、自分がなぜこの作品を選んだのか、言葉にしておくことには意味がある気がした。


 雫は紙を本の間へ挟まず、机の引き出しへ戻した。


 それからスマートフォンを手に取り、春樹とのメッセージ画面を開いた。


『春樹、おすすめする本、決まったよ』


 送信する前に、少しだけ指が止まる。


 こんなことで緊張するのは、自分でもおかしいと思う。


 けれど、春樹がどんな返事をしてくれるのか考えると、どうしても胸が落ち着かなくなる。


 雫は小さく息を整え、メッセージを送信した。


     ◇◇◇


 俺が雫からのメッセージを受け取ったのは、ちょうど商店街の日常小説を読み終えたところだった。


 物語の最後では、主人公が初めて自分から町の人々へ感謝を伝えていた。


 大きな事件が解決したわけではないし、すべての問題がなくなったわけでもない。


 それでも、最初は居場所がないと感じていた主人公が、自分の意思でその町にいたいと思えるようになったことが、静かな感動を残してくれた。


 俺は本を閉じ、しばらく余韻に浸っていた。


 そのとき、スマートフォンが震えた。


『春樹、おすすめする本、決まったよ』


 画面に表示された文章を見た瞬間、俺は思わず背筋を伸ばした。


(……おお、ついに決まったのか)


 昨日から雫が迷っていた二冊。


 どちらを選んだのか、ずっと楽しみにしていた。


 俺はすぐに返信した。


『本当? どんな本?』


 少しして、雫から返事が届いた。


『季節ごとの日常を描いた短編集だよ。春夏秋冬、それぞれの季節に違うお話が入ってるの』


 俺は興味を引かれた。


 季節ごとの短編集。


 それだけでも面白そうだが、雫が選んだ理由も気になる。


『いいね。どうしてその本を選んだの?』


 送信すると、雫からの返事は少し時間を置いて届いた。


『誰かと一緒に過ごす時間とか、何気ない優しさがすごく丁寧に描かれてるの。春樹なら、きっとそういうところを楽しんでくれると思って』


 俺はその文章をゆっくり読んだ。


 確かに、そういう作品は好きだ。


 登場人物が何気ない行動を通じて気持ちを伝えたり、普段の会話の中で少しずつ関係を変えていったりする物語には、独特の魅力がある。


 それを雫が覚えていてくれたことが嬉しかった。


『すごく面白そう。俺、そういう話好きだよ』


『うん。だから、読んでもらいたいなって思ったの』


 俺は自然に笑顔になった。


 雫が好きな本を、自分のために選んでくれた。


 それだけで、まだ読んでいない作品なのに、何だか大切な一冊のように感じられた。


『ありがとう。楽しみにしてる』


『よかった。月曜日、学校に持っていこうと思うんだけど、大丈夫?』


『もちろん。ありがとう』


 返事を送ると、雫から嬉しそうなスタンプが届いた。


 俺は画面を眺めながら、ふと気になったことを尋ねてみた。


『ちなみに、もう一冊の候補はどんな本だったの?』


 少しして、雫から返事が届いた。


『それは……また今度のお楽しみにしておこうかな』


 俺は首を傾げた。


 別に秘密にする必要はない気もするが、雫がそう言うのなら、無理に聞くことでもない。


『分かった。じゃあ、いつか教えてね』


『うん。いつか、ちゃんと紹介するね』


 その文章には、何となく普段よりも慎重な響きがあるように感じられた。


 けれど、雫がどんな本を選んでくれたのか分かっただけでも、十分に嬉しい。


 俺はスマートフォンを机へ置き、読み終えた商店街の小説へ目を向けた。


 この本も、雫に薦めたら楽しんでくれるだろうか。


 そう考えたところで、少し笑ってしまった。


(……結局、また雫に本を薦めることを考えてるな)


 今回は、雫が俺に薦めてくれる番だ。


 まずはその一冊を楽しみに待とう。


 そして、読み終えたら、今度は俺が感想を聞いてもらえばいい。


 俺はそう決め、机の上に置いた本を丁寧に揃えた。


     ◇◇◇


 夕方になり、部屋の窓から差し込む光が少しずつ柔らかくなってきた。


 俺は読み終えた商店街の小説について、簡単な感想をノートへ書いていた。


 主人公が新しい町に馴染んでいく過程。


 商店街の人々との交流。


 何気ない挨拶や会話が、少しずつ安心できる場所を作っていくこと。


 そうした要素を整理しているうちに、作品の魅力が改めて見えてくる。


 俺は最後に、読書週間の紹介カードへ使えそうな短い文章を考えてみた。


『知らない町が、帰りたい場所に変わっていく。小さな出会いが心を温める物語』


 書き終えてから、少し考える。


 悪くないと思う。


 ただ、今すぐ紹介カードへ使うわけではない。


 学校の図書室に同じ作品があるかどうかも、まだ確認していない。


 それに、紹介する本を正式に選ぶのは、図書委員会で相談してからだ。


 俺はノートの端に『候補・所蔵確認前』と書き添えた。


 こうしておけば、後で見返したときにも分かりやすい。


(……うん。今日はこれくらいにしておこう)


 俺はノートを閉じ、机の引き出しへしまった。


 昨日から何度か、休むことも大切だと言われている。


 もちろん、俺にとって読書は休息そのものなのだが、準備のことを考えすぎるのもよくないのかもしれない。


 俺は椅子から立ち上がり、窓の外へ目を向けた。


 空は夕焼けに染まり始めていて、遠くの住宅街の屋根が柔らかな光を受けている。


 こんな時間に、何も考えず景色を眺めるのも悪くない。


 そう思いながらしばらく外を見ていると、机の上のスマートフォンが震えた。


 今度は白石先輩からだった。


『七瀬君、こんばんは。今日はゆっくりできた?』


 俺は少し笑いながら返信した。


『こんばんは。はい。今日はかなり本が読めました』


『それならよかったわ。昨日買った本も進んだの?』


『一冊読み終わりました。商店街を舞台にした日常小説なんですけど、すごくよかったです』


 送信すると、少しして返事が届いた。


『まあ、もう読み終わったのね。どんなところが気に入ったの?』


 俺は少し考え、作品の内容を簡単に説明した。


 新しい町に馴染めない主人公が、商店街の人々との交流を通じて少しずつ居場所を見つけていく話であること。


 大きな事件よりも、何気ない会話や小さな親切が印象に残る作品だったこと。


 そして、読み終えたあとに、普段見慣れた場所を少し大切にしたくなるような物語だったこと。


 白石先輩からの返事は、すぐには届かなかった。


 きっと、俺の長い感想を読んでくれているのだろう。


 少しして、画面に新しいメッセージが表示された。


『素敵ね。七瀬君がそういう作品を好きなの、何となく分かる気がするわ』


 俺は嬉しくなった。


『先輩に薦めてもらった駅の連作短編集も、昨日読み終わりました。あっちもすごくよかったです』


『本当? それは嬉しいわ。どうだった?』


 俺は昨日ノートへ書いた感想を思い出しながら、文章を打ち始めた。


『別々の人たちの物語が、少しずつつながっていくところが好きでした。特に、同じ出来事でも人によって覚え方が違うっていう描写が印象に残ってます』


 送信したあと、もう一文だけ付け加えた。


『読み終わってから、最初の話をもう一度読みたくなりました』


 しばらくして、先輩から返事が届いた。


『ふふ。私も最初に読んだとき、同じことを思ったの。七瀬君に薦めてよかったわ』


 その文章を読んで、俺は自然に笑顔になった。


 好きな本について、同じような感想を持つ人がいる。


 それだけで、読書の楽しさが少し増える気がする。


『ありがとうございます。学校で返却するとき、また詳しく感想を話したいです』


『ええ。楽しみにしているわ。でも、返却の手続きはちゃんと忘れないでね』


『もちろんです』


 俺は笑いながら返信した。


 白石先輩は、図書委員として必要なことをきちんと確認してくれる。


 そういうところも、先輩らしいと思う。


『それじゃあ、明日また学校でね。今日は早めに休んで』


『はい。先輩もゆっくり休んでください』


 やり取りを終え、俺はスマートフォンを机へ戻した。


 今日は雫とも、白石先輩とも、本の話ができた。


 悠斗からも、本を薦めることについて相談された。


 考えてみれば、休日なのにずいぶん多くの人と本について話している。


(……でも、やっぱり楽しいな)


 俺は小さく笑った。


 本は一人でも楽しめる。


 けれど、誰かと感想を話すことで、今まで気づかなかった魅力が見えてくることもある。


 それを知ることができたのは、最近の大きな変化なのかもしれない。


     ◇◇◇


 夜、西条雫は翌日の準備をしていた。


 教科書やノートを鞄へ入れ、時間割を確認する。


 そのあと、机の上に置いてあった季節の短編集を手に取った。


 春樹へ貸すことに決めた一冊だ。


 表紙に傷がつかないように気をつけながら、文庫本を薄いブックカバーへ入れる。


 自分の好きな本を誰かに貸すことは、特別に珍しいことではない。


 けれど、今回は少し違う気がした。


 春樹がこの本を読む。


 自分が好きだった場面を、彼も読む。


 そして、どんな感想を持ったのか聞かせてくれる。


 そう考えるだけで、胸が温かくなる。


(……楽しみだな)


 雫は本を鞄へ入れようとして、ふと手を止めた。


 春樹に貸してもらっている日常短編集は、まだ読み終えていない。


 そちらも大切に読んでいる。


 だから、明日自分の本を貸すからといって、春樹の本を急いで返す必要はないはずだ。


 春樹も、ゆっくり読んでいいと言ってくれている。


 雫は少し考え、借りている短編集を机の上へ残した。


 読み終えたら、きちんと感想を伝えてから返そう。


 それが、春樹の本を大切にすることにもつながる気がした。


 鞄へ季節の短編集を入れたあと、雫は机の引き出しを開けた。


 そこには、今日書いた紹介文のメモがある。


 春樹へ渡すかどうか迷っていた紙だ。


 雫はそれを取り出し、もう一度読み返した。


『読んだあと、身近な人との時間を少し大切にしたくなる本』


 その一文を見つめていると、春樹と過ごしてきた時間が自然に思い浮かんだ。


 学校へ向かう朝の道。


 放課後に並んで歩く帰り道。


 本屋で一緒に棚を眺めた時間。


 公園で本を貸した日のこと。


 そして、丘の上から眺めた懐かしい景色。


 どれも、雫にとって大切な思い出だった。


 春樹は、きっとそのすべてを自分と同じ意味では受け止めていない。


 それでも、一緒に過ごした時間を楽しかったと言ってくれる。


 そのことが、今は嬉しかった。


(……焦らなくていいんだよね)


 雫は小さく息を吐いた。


 自分の気持ちを伝える日は、いつか来る。


 そのときは、昔の約束も含めて、ちゃんと話したい。


 けれど、明日はまず、好きな本を渡す日だ。


 春樹がどんな顔をするのか、どんなことを聞いてくれるのか。


 その時間を楽しみにしていてもいいはずだった。


 雫は紹介文のメモを折りたたみ、鞄の小さなポケットへ入れた。


 渡すかどうかは、明日になってから決めよう。


 それでも、自分の言葉で書いたものを持っていけば、少しだけ勇気が出る気がした。


 準備を終えた雫は、スマートフォンを手に取った。


 春樹からの新しいメッセージは届いていない。


 けれど、最後のやり取りを読み返すだけで、自然に頬が緩んだ。


『楽しみにしてる』


 春樹が送ってくれたその言葉は、短いけれど嬉しかった。


 自分が選んだ一冊を、彼が楽しみに待ってくれている。


 それだけで、明日学校へ行くのが少し楽しみになる。


 雫はスマートフォンを机へ置き、部屋の明かりを落とした。


 明日、春樹へ本を渡す。


 ただそれだけのことなのに、胸の奥には小さな期待が残っていた。


     ◇◇◇


 そのころ、俺は明日の学校へ持っていくものを確認していた。


 教科書とノート。


 筆記用具。


 それから、学校の図書室で借りた駅を舞台にした連作短編集。


 昨日読み終えたばかりなので、返却するときには少し名残惜しくなるかもしれない。


 けれど、白石先輩と感想を話せるのは楽しみだった。


 俺は本を鞄へ入れ、机の上に残った作品を眺めた。


 大学で再会した幼馴染の恋愛小説は、まだ読み終えていない。


 今日買ったわけではないミステリー短編集も、これから読む予定だ。


 そして明日には、雫が選んでくれた季節の短編集を借りられるかもしれない。


(……また読む本が増えるな)


 俺は嬉しくなって、小さく笑った。


 以前なら、読みたい本が増えることは単純に自分の楽しみだった。


 けれど、今は少し違う。


 誰かが自分のために選んでくれた本には、その人がどんなところを好きだったのかという楽しみも加わっている。


 雫は、季節ごとの日常を描いた短編集を選んでくれた。


 何気ない優しさや、一緒に過ごす時間の大切さが丁寧に描かれている作品だという。


 俺はまだ読んでいない。


 それなのに、雫がどんな場面を好きになったのか、すでに少し気になっていた。


(……明日、渡してもらったときに聞いてみようかな)


 そう考えたところで、スマートフォンが震えた。


 画面には、雫からのメッセージが表示されていた。


『春樹、明日ちゃんと本を持っていくね』


 俺は笑顔で返信した。


『ありがとう。楽しみにしてるよ』


 少しして、雫から返事が届いた。


『うん。私も、春樹に渡すの楽しみ』


 その文章を読んだ瞬間、胸の奥が少し温かくなった。


 俺だけではなく、雫も楽しみにしてくれているらしい。


 それなら、なおさら嬉しい。


『大切に読むね』


 俺がそう送ると、雫から小さな笑顔のスタンプが届いた。


 それから、もう一通。


『春樹がどんな感想を聞かせてくれるか、今から楽しみだよ』


 俺は少し考え、返信した。


『読み終わったら、ゆっくり話そう。雫が好きだったところも聞きたいな』


 しばらくして、雫から返事が届いた。


『うん。約束ね』


 俺はその言葉を見つめた。


 約束。


 雫とは、これまでにもいろいろな約束をしてきた。


 一緒に本屋へ行く約束。


 公園で会う約束。


 またどこかへ出かけようという約束。


 そして、今日新しくできた、本の感想を話す約束。


 どれも特別に大きなものではない。


 けれど、そうした小さな約束が増えていくことは、何だか嬉しかった。


『うん。約束』


 返信を送ると、雫からおやすみのメッセージが届いた。


 俺も同じように返し、スマートフォンを机へ置いた。


 窓の外には、静かな夜が広がっている。


 明日からまた学校が始まる。


 授業もあるし、読書週間の準備も少しずつ進めていくことになるだろう。


 図書委員会での相談がどうなるのかも気になるし、白石先輩へ読了した本の感想を伝えるのも楽しみだ。


 悠斗が赤木さんへ本を貸すことになったら、きっとまた何か相談してくるかもしれない。


 それに、雫から新しい本を借りる予定もある。


(……明日も、結構楽しみなことが多いな)


 俺は机の上の本を整え、椅子から立ち上がった。


 好きな本を読むこと。


 誰かに本を薦めること。


 そして、誰かが自分のために選んでくれた本を受け取ること。


 そのどれもが、少しずつ俺の毎日を楽しくしてくれている。


 もちろん、俺が一番好きなのは、今でも静かに本を読む時間だ。


 けれど、その時間の前後に誰かとの会話があることも、最近は悪くないと思うようになった。


 俺は部屋の明かりを消す前に、机の上へもう一度目を向けた。


 そこには、読みかけの恋愛小説が置かれている。


 幼いころの約束を忘れてしまった主人公と、その約束を覚えているヒロイン。


 二人がこれからどんな関係になっていくのか、続きが気になって仕方がない。


 俺は表紙を眺めながら、小さく笑った。


(……この主人公も、そろそろ自分の気持ちに気づくといいんだけどな)


 物語の中の恋愛は、読んでいると不思議なくらい分かりやすいことがある。


 登場人物が何を隠しているのか、どんな言葉を待っているのか。


 そうしたことを考えるのは、とても楽しい。


 けれど、現実の俺のすぐ隣で、雫がどんな気持ちで一冊の本を選んでくれたのか。


 その答えについては、まだ十分に考えたことがなかった。


 ただ、明日彼女から本を受け取るのが楽しみだった。


 そして、その楽しみな気持ちを雫も共有してくれていることが、何より嬉しかった。


 俺は満足しながら部屋の明かりを消した。


 明日、雫が選んでくれた一冊を受け取る。


 それは、ただ本を借りるだけの出来事のはずだった。


 けれど、誰かが自分のために選んでくれた物語には、まだページを開く前から、少しだけ特別な温かさがあるのかもしれない。


 そんなことを考えながら、俺は静かな夜の中で目を閉じた。

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