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『俺は本が読みたいだけ!! 〜恋愛小説を読んでいたいだけなのに、どうして俺がラブコメしてるんだ!?〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第48話 幼馴染に本を選びたいだけなのに、どうして待ち合わせから落ち着かないんだ?


 土曜日の午前九時四十分、七瀬春樹は駅前の時計を見上げながら、今日の予定を頭の中で確認していた。


 待ち合わせは午前十時。相手は幼馴染の西条雫で、目的は互いに一冊ずつ本を選ぶことになっている。先週も同じ駅前で待ち合わせをしたばかりなので、場所を間違える心配はなかった。


 それでも二十分も早く到着したのは、何か特別な理由があったからではない。


(早く来れば、その分だけ読めるからな)


 春樹は駅前の広場を見渡し、通行の邪魔にならない場所に設置されたベンチへ腰を下ろした。


 朝の駅前には、買い物へ向かう家族連れや部活動の道具を抱えた学生、休日出勤らしい社会人の姿が行き交っている。近くのカフェからは焼きたてのパンの香りが漂い、少し離れた交差点では信号が変わるたびに人の流れが入れ替わっていた。


 春樹は鞄から文庫本を取り出した。


 昨日の夜から読み始めたばかりの短編集で、まだ最初の作品を読み終えたところだった。


 今日の目的は本選びだが、待ち時間まで読書に使えるのはありがたい。


 そう考えてページを開いたものの、しばらくすると、ふと別のことが頭をよぎった。


(雫、結局何を選んだんだろうな)


 昨日の夜、雫はすでに一冊へ絞ったと話していた。


 自分が読んだことのない作品なのか、それとも以前から気になっていたものなのか。春樹にはまだ分からない。


 先週選んでもらった『君がいない街で、君のことを考えた』は、かなり好みに合っていた。


 だからこそ、今回も少し期待してしまう。


(……まあ、何を選んでも楽しみだけど)


 春樹は小さく笑い、再び本へ視線を戻した。


 しかし、その数分後。


「春樹?」


 聞き慣れた声がした。


 顔を上げると、雫が立っていた。


 今日は淡い水色のブラウスに、膝下まである落ち着いた色のスカートを合わせている。肩には小さめの鞄を掛け、髪は普段より少し丁寧に整えられていた。


「おはよう、雫。早いな」


「それ、こっちの台詞なんだけど」


 雫は時計を見上げる。


「まだ十分前だよ?」


「俺は二十分前からいる」


「早すぎない?」


「読めるから」


「……やっぱり」


 雫は呆れたように笑った。


 しかし、その表情には少しだけ嬉しそうな色も混ざっている。


「待たせちゃった?」


「全然。読んでたし」


「そっか」


 雫は春樹の隣へ腰を下ろした。


 春樹は文庫本へ栞を挟み、鞄へしまう。


「もう行く?」


「うん。でも、ちょっとだけ休んでからでもいい?」


「いいよ」


 雫は小さく頷いた。


 休日の駅前は、学校とは違う空気が流れている。


 制服ではなく私服で隣に座っている春樹を見ると、いつもより少しだけ距離が近く感じられた。


(……先週もこうだったのに)


 雫は心の中で苦笑する。


 幼い頃から何度も一緒に出かけている。


 今さら二人で本屋へ行くことくらい、特別な出来事ではないはずだった。


 それなのに、今日は朝から少し落ち着かなかった。


 服を選ぶときも、髪を整えるときも、普段より時間がかかった。


 鏡の前で何度も確認してしまった自分を思い出すと、少し恥ずかしい。


「雫」


「えっ?」


「どうした?」


「何が?」


「さっきから静かだから」


 春樹は不思議そうに首を傾げた。


 雫は慌てて笑う。


「別に。ちょっと眠いだけ」


「寝不足?」


「……少しだけ」


「昨日、本読んでた?」


 雫は目を瞬かせた。


「何で分かったの?」


「この前借りたやつ、まだ途中だっただろ」


「……うん」


 雫は少しだけ頬を緩めた。


「昨日、最後まで読んだよ」


「おお」


 春樹の表情が明るくなる。


「どうだった?」


「……面白かった」


 雫は少し考えてから続けた。


「でも、春樹が好きって言ってた理由、何となく分かった気がする」


「本当に?」


「うん。最後、ちゃんと答えを出してないのに、二人の関係が変わったことは分かるでしょ?」


「そうなんだよ」


 春樹は嬉しそうに頷いた。


「そこがいいんだよな。はっきり言葉にしなくても、今までと同じじゃないって伝わる感じ」


「……うん」


 雫は春樹の横顔を見た。


 あの小説を選んだとき、自分は春樹に何を感じてほしかったのだろう。


 ただ面白い本を読んでほしかっただけではない。


 けれど、その理由を今ここで話す勇気は、まだなかった。


「……春樹」


「ん?」


「前に言った、半分は秘密ってやつ」


「ああ。覚えてる」


 春樹はすぐに答えた。


 雫の胸が少しだけ跳ねる。


「……本当に覚えてたんだ」


「忘れないって言っただろ」


「そっか」


 雫は小さく笑った。


 春樹は少し考えてから尋ねる。


「今日、聞いてもいい?」


 雫は一瞬だけ言葉に詰まった。


 自分から話題を出したのに、いざ聞かれると胸の奥が落ち着かなくなる。


 春樹は急かさず、隣で待っていた。


「……まだ、秘密」


 雫は少しだけ視線を逸らした。


 春樹は残念そうな顔をしたものの、すぐに笑った。


「了解。じゃあ、また今度」


「怒らないの?」


「何で?」


「気になるって言ってたから」


「気になるけど、雫がまだ言いたくないなら待つよ」


 その言葉に、雫は胸の奥が温かくなるのを感じた。


 春樹は昔から、無理に人の秘密を聞き出そうとはしない。


 知りたいと思っても、相手が話すまで待つ。


 そういうところが、雫は好きだった。


「……ありがと」


「どういたしまして」


 春樹は何でもないことのように答えた。


 雫はその横顔を見ながら、小さく息を吐いた。


(……いつか、ちゃんと話せるかな)


 その答えは、まだ分からなかった。


     ◇◇◇


 午前十時を少し過ぎた頃、二人は駅前の書店へ入った。


 店内には新刊のポスターが並び、入口付近には季節の特集コーナーが設けられている。休日の午前中ということもあり、店内は比較的落ち着いていた。


「じゃあ、どうする?」


 雫が尋ねる。


「まず別々に選ぶ?」


「そうだな。お互いに選ぶ本見えたら面白くないし」


「じゃあ、三十分くらい?」


「足りる?」


「春樹には足りないかもね」


 雫が笑う。


 春樹は少し考えた。


「……四十五分」


「長い!」


「ちゃんと選ぶならそれくらい欲しい」


「私、もう決めてるんだけど」


「俺もほぼ決めてるけど、実物見たいし」


 雫は呆れたように笑った。


「じゃあ四十五分ね」


「了解」


 二人は入口近くで別れ、それぞれ別の棚へ向かった。


 春樹は恋愛小説のコーナーへ進む。


 すでに候補は一冊へ絞っている。


 しかし、書店の棚に並んだ実物を見ると、やはり少しだけ迷いが生まれた。


(……こっちも悪くないんだよな)


 目に入ったのは、以前候補に挙げていた別の作品だった。


 委員会活動を通じて少しずつ親しくなる男女を描いた学園恋愛小説。


 こちらも雫の好みに合いそうだ。


 春樹は二冊を手に取り、裏表紙の紹介文を読み比べた。


 どちらも面白い。


 どちらも雫に薦めたい。


 しかし、今回の目的は一冊を選ぶことだった。


(……雫が今読みたいのは、どっちだ?)


 春樹は最近の雫の感想を思い出す。


 登場人物の気持ちが変わる過程。


 会話の積み重ね。


 相手を知ることで印象が変わること。


 そして、最初から恋愛感情があるわけではない関係。


 それらを考えると、やはり最初に選んだ一冊が合っているように思えた。


「……よし」


 春樹は第一印象が最悪だった男女の恋愛小説を選び、もう一冊を棚へ戻した。


 そのとき、近くから声がした。


「あら、七瀬君?」


 振り返ると、書店員の長谷川奈緒が立っていた。


 以前から何度か顔を合わせている店員で、春樹が頻繁に来店することも覚えているらしい。


「こんにちは、長谷川さん」


「こんにちは。今日も本を探してるの?」


「はい。今日は人に薦める本を」


「へえ、珍しいわね」


「最近は結構ありますよ」


 春樹が苦笑すると、長谷川は楽しそうに笑った。


「そうなんだ。誰かへのプレゼント?」


「まあ、そんな感じです」


「それなら、いい一冊が見つかるといいね」


「ほぼ決まりました」


 春樹が本を見せると、長谷川は表紙を見て頷いた。


「ああ、これね。好きな人はかなり好きなタイプの作品だと思う」


「ですよね」


「相手の好みに合うといいね」


「はい」


 春樹は笑って答えた。


 長谷川はその表情を見ながら、少しだけ目を細めた。


 以前の春樹は、いつも自分の読む本を真剣に選んでいた。


 しかし今日は、誰かに渡す一冊を選ぶために、同じくらい真剣になっている。


(……本当に本が好きな子なんだな)


 長谷川はそう思いながら、別の棚へ戻っていった。


     ◇◇◇


 一方、雫は文芸コーナーの奥で、すでに選んでいた一冊を手に取っていた。


 昨日の夜、最後まで迷った二冊のうち、最終的に選んだのはこちらだった。


 恋愛要素はある。


 けれど、それだけが中心ではない。


 主人公は、人と深く関わることを少し苦手としている高校生で、ある日、学校の古い資料室で一冊の本を見つける。


 そこから始まるのは、過去の卒業生たちが残した小さな約束を辿る物語だった。


 雫は表紙を眺めながら、少しだけ考える。


(……春樹なら、こういうの好きだと思う)


 謎を追う面白さ。


 人間関係が少しずつ変わる過程。


 そして、本そのものが物語の中で重要な役割を持っていること。


 春樹が好きそうな要素は揃っている。


 しかし、雫がこの本を選んだ理由は、それだけではなかった。


 物語の中には、主人公が誰かと一緒に本を読む時間を通じて、少しずつ相手の存在を意識する場面がある。


 その描写を読んだとき、雫は思わず春樹を思い出した。


(……また、こういう本選んじゃった)


 先週の『君がいない街で、君のことを考えた』も、幼馴染の関係が少しずつ変わっていく物語だった。


 今回も、誰かと本を通じて距離が近づく話を選んでいる。


 偶然と言えば偶然だ。


 けれど、自分でも少しだけ理由が分かっている。


(春樹が読んだら、どう思うかな)


 そんなことを考えながら、雫は本を胸元へ抱えた。


 そのとき、少し離れた棚の向こうから春樹の声が聞こえた。


「……あ、これも新刊出てる」


 雫は思わず笑った。


 どうやら春樹は、自分へ選ぶ本を決めたあとも、普通に書店巡りを楽しんでいるらしい。


(……本当に変わらないなあ)


 けれど、そういうところも含めて春樹なのだ。


 雫は小さく息を吐き、レジへ向かった。


     ◇◇◇


 約束の四十五分が過ぎた頃、二人は店内の休憩スペースで合流した。


「決まった?」


 雫が尋ねる。


「うん。そっちは?」


「もちろん」


 二人はそれぞれ紙袋を持っていた。


 春樹は雫の袋を見ながら、少し楽しそうに笑う。


「じゃあ、交換する?」


「うん」


 雫は少しだけ緊張しながら、自分の紙袋を差し出した。


「はい。春樹に」


「ありがと」


 春樹も自分の袋を差し出す。


「こっちは雫に」


「ありがとう」


 二人は同時に袋を受け取った。


 そして、少しだけ顔を見合わせる。


「……開ける?」


 雫が尋ねる。


「開けよう」


 春樹は紙袋から本を取り出した。


 表紙には、古い資料室の窓辺に置かれた一冊の本が描かれている。


「……へえ」


 春樹の目が少し大きくなった。


「これ、気になってたやつだ」


「本当?」


「うん。前に新刊コーナーで見たことある」


 春樹は裏表紙を読む。


「資料室の本から始まる話か……面白そう」


 雫は少しだけ息を吐いた。


「春樹、こういうの好きそうだと思って」


「好きだな。かなり」


 春樹は嬉しそうに笑った。


「しかも、これまだ読んでない」


「よかった」


 雫の表情が明るくなる。


「既読だったらどうしようかと思ってた」


「読んでても嬉しいけど、初読ならなおさら楽しみだな」


 春樹は本を手に取りながら、少し考えた。


「雫、俺がこういう話好きなの、よく分かってるな」


「……長い付き合いだからね」


 雫は少し照れたように笑った。


 春樹は頷き、今度は雫の手元を見る。


「そっちは?」


「……今から開ける」


 雫は紙袋から本を取り出した。


 表紙には、夕暮れの教室で背中合わせに座る男女が描かれている。


 題名を読んだ瞬間、雫は少しだけ目を瞬かせた。


「……これ、恋愛小説?」


「うん」


「春樹が選んだの?」


「そうだよ」


 春樹は少し楽しそうに笑った。


「第一印象が最悪だった二人が、共通の趣味を通じて少しずつ仲良くなる話」


 雫は表紙を見つめる。


「……へえ」


「雫、最近そういう関係の変化が丁寧な話好きだろ?」


「うん」


「だから、今までとちょっと違う始まり方のやつにしてみた」


 春樹は続ける。


「最初から仲いいわけじゃないし、幼馴染でもない。でも、少しずつ相手を知っていく過程がかなりいいんだよ」


 雫は春樹の説明を聞きながら、本を胸元へ抱えた。


 自分が最近どんな作品を好きだと言ったのか。


 春樹は、ちゃんと覚えていた。


「……ありがとう」


 雫は小さく笑った。


「すごく嬉しい」


 春樹は少し安心したように笑う。


「よかった。気に入ってくれるといいけど」


「うん。絶対読む」


「無理に急がなくていいからな」


「分かってる」


 雫は表紙へ視線を落とした。


 最初から仲のいい二人ではない。


 互いに相手を知っていくうちに、関係が変わる物語。


 春樹がそれを自分へ選んでくれた。


 その事実が、何より嬉しかった。


     ◇◇◇


 書店を出たあと、二人は近くのカフェへ入った。


 昼食には少し早かったが、歩き回って少し疲れたこともあり、飲み物を頼んで休むことにした。


 窓際の席へ座ると、春樹は早速雫からもらった本を取り出した。


「……本当にこれ面白そうだな」


「まだ読んでないのに?」


「紹介文がかなり好き」


 春樹は嬉しそうに笑った。


「雫、よく見つけたな」


「昨日、結構探したから」


「ありがとう」


 春樹は自然に礼を言った。


 雫は少しだけ頬を赤くする。


「……どういたしまして」


 春樹は本を鞄へしまい、飲み物へ手を伸ばした。


「そういえば、雫」


「何?」


「この前の本、最後まで読んだんだよな?」


「うん」


「じゃあ、あの二人の関係、どう思った?」


 雫は少し考えた。


「……好きだったよ」


「どこが?」


「最後まで、はっきり言葉にしないところ」


 春樹は頷く。


「分かる」


「でも、何も変わってないわけじゃないでしょ?」


「うん」


「最初は、相手のことを昔から知ってるって思ってたのに、最後にはまだ知らないことがあるって気づくじゃない?」


 春樹は少し驚いたように雫を見る。


「……そこ、俺も好きだった」


「本当?」


「うん。長く一緒にいたからって、全部分かってるわけじゃないんだよな」


 雫はその言葉を聞き、少しだけ視線を落とした。


(……春樹も、そう思うんだ)


 自分たちは幼馴染だ。


 昔から互いのことをよく知っている。


 けれど最近、春樹の知らなかった部分を見つけることが増えた。


 そして、自分の気持ちについても、まだ知らなかったことがある。


「……春樹」


「ん?」


「私たちも、そうなのかな」


 春樹は少し考えた。


「そうだろうな」


 雫の胸が小さく跳ねる。


「……え?」


「だって、雫が最近どんな本好きなのか、前は全然知らなかったし」


 春樹は当然のように続けた。


「昔から知ってるけど、まだ知らないこと結構あるんだろうなって思う」


 雫は一瞬だけ言葉を失った。


 春樹は本の話として答えている。


 それでも、その言葉は雫の胸へ静かに残った。


「……そっか」


 雫は小さく笑った。


「じゃあ、これからもっと知っていけばいいね」


「そうだな」


 春樹は迷わず頷いた。


 その返事があまりにも自然だったので、雫は少しだけ笑ってしまった。


「何?」


「ううん。春樹らしいなって」


「またそれ?」


「うん」


 雫は楽しそうに笑った。


 窓の外では、休日の駅前を歩く人々が行き交っている。


 店内には落ち着いた音楽が流れ、二人のテーブルには温かい飲み物と、それぞれが選んだ一冊が置かれていた。


 春樹は自分の本を眺めながら、少しだけ考える。


(……本を交換するのって、思ったより楽しいな)


 自分が選んだ一冊を相手が喜んでくれる。


 相手が選んだ一冊を、自分が楽しみにできる。


 それだけのことなのに、普段の読書とは違う満足感があった。


 春樹は雫を見る。


「またやろうな」


 雫は一瞬だけ目を瞬かせた。


「……本交換?」


「うん。今回の感想話したあとでもいいし」


 春樹は笑った。


「雫に選んでもらうの、結構楽しい」


 雫は少しだけ俯いた。


 胸の奥が温かくなる。


「……うん」


 そして顔を上げ、笑った。


「またやろうね」


 二人はそう約束した。


 それがどんな意味を持つのか、春樹はまだ深く考えていない。


 けれど雫にとっては、ただ本を交換するだけではない、大切な約束が一つ増えた瞬間だった。


 春樹は飲み物を一口飲み、雫からもらった本をもう一度手に取った。


 まだ読んでいない物語が、ここにある。


 そして、その物語を選んでくれた人が、目の前に座っている。


 春樹は少しだけ笑った。


(……今日はいい本が手に入ったな)


 そう思いながら、彼は新しい一冊の最初のページを開いた。


 雫はその姿を見つめ、穏やかに微笑んでいた。

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