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乞う路傍の雪以下なら夢と仰せ  作者: 杜若表六


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言ったら負け、座っても負け

 漱石いわく、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と。


 評論家の西部邁は、古井由吉との対談「言葉の危機」で、古井の『忿翁ふんのう』という小説の冒頭エピソードを「恐ろしい話ですね!」と指摘している。

 それは西部の要約によればこういった話である。

 混雑した新幹線こだま内で、ある青年が座席を確保して弁当を買いに席を立った。

 その席へ後からきたある老人が座ってしまう。七十に近い六十代とみえる。

 老人は叫び主張する。

「どんな方法でもいったん席を離れたら権利を失い、自由席は私物化できるものではなく、俺には座る権利がある!」

 二人はしばらく応酬し、若者は最後にこう言い放つ。

「じいさんは要するに座りたかったんだろ、ヘリクツ並べずに座らせてくださいって頼め」

 老人は呟く。

「座らせて、ください」

 その目はうっすら濡れていた――。

 という話である。


 井上光晴と埴谷雄高の対談「現実と想像力」で、井上はこんな話を披露している。

 阪神が優勝した翌年、三月のオープン戦の時期に、野村克也が『週刊朝日』に「阪神の連覇はあり得ない」と書いた。

 内容はこうである。

 野村は新幹線に岡山あるいは別の駅から乘った。その時たまたま新幹線が満員で、すでに阪神の選手がずらりと座っていた。

 吉武や中西など、しっかり選手たちの名前も記したうえで、「満員の中には赤ん坊を抱えた若い夫婦がいた。年寄り夫婦もいた。阪神の選手は誰一人席をゆずらなかった。そして阪神の選手は神戸で降りていった」と野村は書いた。

 井上は読んですぐに考えた。

 野村はどこにいたのか。

 野村も立っていなければ、話の筋道からいって上記のようには書けない。井上にいわせれば、これは重大なことである。

 プロ野球の一年違いとは軍隊の一兵卒と上官である。

 阪神の選手が座っていて、野村にも席をゆずらなかった。野村は自分に席をゆずらなかった阪神の選手に徹底的に腹をたてた。

 なぜなら、自分がゆずられていたとしたら、その論理や怒りは成立しない。野村自身が年寄にゆずればいい。

 だから野村は「赤ん坊を抱く若い夫婦にゆずらなかった。年寄りにゆずらなかった。そして阪神の選手が席を立った後には煎餅とかミカンの皮が散乱していた」と書いているのだ。

 これが井上の見立てである。


 その場で言ったら負け、ということもある。座っても負けなのかもしれない。

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