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乞う路傍の雪以下なら夢と仰せ  作者: 杜若表六


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『特性のない男』第3部29章を読んで思ったこと

『特性のない男』

 3部29章、デューイをモデルにしたと思わしき(注釈による)人物が言及される。

 まるで、ここだけ読めば「ハーガウアーが主人公小説」であるかのように思わせる章。この章だけを独立して見れば、ハーガウアーを主人公とした掌編である。

 このように、『特性』は無数の掌編の結合とも言え、古井由吉の説「掌編への足がかり」とも繋がる。各章の視点人物は各章において主人公としての特権を持つが、全体として見ると皮肉な効果を受け持っている。

 そしてそれぞれの「主人公」はある「特性」を持ち、それを基本として深化させようと志向する。

 ウルリヒも例外ではないが、ウルリヒの作品全体を通しての主人公たる所以は、まさに自己の現在の特性を破壊し、また創造していく過程にある。ウルリヒのスタイルの一貫性とは、ちょうど蛇が抜け殻をつぎつぎに脱いでいくように、スタイルの固定を脱却していく動きの一貫性である。

 通常、主人公は幾多の試練を潜り抜けて自己を成長させていく。それが物語である。

 しかしウルリヒは自己(と彼の見る世界)を変革していく「力」そのものであり、試練は彼を成長させず、彼自身の変化によってあるいは神聖な体験となり、あるいは単なる茶番と化す。

 つまりこの小説は現代のドン・キホーテを描いた小説であり、同時にまったくそれと異なった構造を持つ。つまり、ドン・キホーテは狂気のゆえに世界を変革させる力を持ち、ウルリヒは明晰なるがゆえに世界を変革させる力を持つ。そしてかれらは紙一重の領域に立っている。

 ドン・キホーテが狂気の果てに正気に帰るのと、ウルリヒが第三部においてアガーテとともに「愛の千年王国」を模索するのはパラレルである(ただし、『特性』の執筆された部分だけを見ても、けして「愛の千年王国」は行き着く果てではない。何度もいうように、我々は少なくともムージルの行き着いた地点から出発しなければならない)。

 それにしても、ムージルの各章における掌編としての推進力の高さは見事である。長編全体としては未完であるから、精確に評価することは不可能だが、部分部分の巧みさ、各章の平均水準の高さという点からみれば、どうしても絶品としかいいようがない。褒めても何も貰えないがほかにどうしようもない。

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