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乞う路傍の雪以下なら夢と仰せ  作者: 杜若表六


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鏡にうつるドン・キホーテはそこに騎士を見るか

ドン・キホーテは自分をドン・キホーテ的だと思っていない。ましてや、道化だ、などとは。自分を騎士だと思っている、時代遅れの生粋の狂気である。彼は自分が騎士であることを完全に「わかって」しまっているから、自分が完全に狂人であることがわからない。


ドン・キホーテ以後、偽ドン・キホーテは量産されている。自分のことをドン・キホーテだと思っているのは、いまだ水鏡を覗かないナルシスである。


ナルシスは、ドン・キホーテからもっとも遠い。彼らは遍歴ではなく、水辺を求めていて、そしてオアシスは地獄をふくむいたるところにあるので、美しくうつる水鏡を見つければ、放浪をそこで終わらせてしまう。彼らは自己を夢見ていて、結局は必ず自己の虚像で満足する。大庭葉蔵は、ナルシスとしての妥協を許さなかったナルシスである。彼は満足しなかった。だから自分が水のようなものになった。


ドン・キホーテはもう世にない遍歴の騎士としての栄達と空想の姫ドゥルシネアを求めていて、どちらもけして得られることはないが、羊を見ようと、風車を見ようと、そこに虚像を見て、騎士を生きる。彼は狂気をもってまっとうに現実を生きる。英雄とは遅れてやってくるものであり、遅れてきた英雄は現実を危なっかしくゆさぶる。それはちょうど、夜に見た夢が朝の枕元に立ち現れ、真昼をおびやかそうとするように。


自己の虚像を求めるナルシスは、自己に対する不満によって放浪し、いつか自己の美しい虚像に出会うと満足して歩みを留めるが、世界をまるごと虚像としてみるドン・キホーテは、けして成就することのない道を遍歴し、徹底的に幻滅するまで駆動し続ける。ひるがえせば、徹底的に幻滅するには、徹底的に信念を死守しようとすることが要請される。


私にとって英雄とは何か、を考えたとき、どうしてもドン・キホーテを思い浮かべる。それは、彼を理想の英雄として目指した時点で絶対に彼に辿り着けない、彼への憧れを胸に秘め生きる時間が同時に彼から遠ざかる距離だからであり、ドン・キホーテに倣いて、つまり彼を見習うということは結局ナルシス的な試みに過ぎなくなってしまうからであり、だからといって、彼はけして教祖ではないからである。彼は見られ、読まれ、拡散したが、同時代人からは絶対的に娯楽としてそうなされたのであった。


英雄とは、我々が夢見るところの人間の理想的モデルであるが、ドン・キホーテこそは全ての英雄を相対化する、逆説的な反・英雄である。


ある作家は、「セルバンテスがドン・キホーテと偽ドン・キホーテを出会わせていたら、小説は始まった瞬間に死ぬことになっただろう」と書いた。

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