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乞う路傍の雪以下なら夢と仰せ  作者: 杜若表六


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興味深い試みの限定された結末、そして静けさ――『杳子』感想

 これは感想すぎぬから、いちいち作中の文言をひろってきてこと細かに検討を加えることをあえてしない。けれどいったん感想を書いてみようという気持ちになったということは作品と読者のあいだに何らかの共感と反発とが生じたという証であろうから、私は私自身の中にある興味と違和とを述べていこうと思う。


 その認識が時に反転するとはいえ、杳子という女≒他者との対話と情交を通じて確かな物への感覚を得ようとするその試みは注目に値する。

 本来(ことに現代文学においてはすでに)文学は物――対――我の関係の距離の吟味と両者の接近(および離別)を図るものであるから、この試みは当然であり、まったく驚くに値しない。むしろ王道を征く牛車のような堂々たる厳かさと、重さと、確かさをもって世を渡るものであり、他の目的はこれにその領域を譲渡する。

 しかし時に現前する対象自体に素朴に物を見出し、確実な感覚によって確実な現実が捉えられているという教条を現前する対象を構成する要素の分解や総合なしに信じ、そのような前提でわれわれは小説を読み、書いてしまう。するとそのときわれわれを支配するのはわれわれの感覚であり、それを知覚する意識であり、意識に放り込まれた世界の像としての対象である。つまり表象としての現前の対象が物への感覚となり、意識となり、現実となる。それは何を意味するか。もちろんそこに物との対峙はなく、緊張もなく、精神≒非物質とか肉体≒物質とかいったものにしたがって存在する、一つの限定的な境地がある。われわれは他者を獲得できず、われわれ自身に対して他者となる。それは実はひどく主観的な、断定的な立場であり、なぜならわれわれが客観的となるのは他者を通じて我に否定を見出すからであり――『杳子』のように否定的な他者を違和を感じつつも肯定的な他者にすり替えてしまう手法は、われわれの試みの方法をむしろ狭くする。

 共感と違和の結節点はここにある。他者によって獲得された否定的な他者が、恋愛小説的な物語によって徐々に、時に無理やりに肯定的な他者に取り替えられてしまう道程は、われわれに一種の安堵感と、限定性を与えてしまう。


「彼の目にも、物の姿がふと一回限りの深い表情を帯びかけた。しかしそれ以上のものはつかめなかった。」(新潮文庫p170)


 技法上ではなく、観念上の危険をこの作品は冒していない。あるいは危険な領域により近いところから出発して、より安全な場所へ着地している。末尾の杳子の姉の描写など、もはや戯画化され、単なる杳子の「病気」に対するわかりやすい相対化になっている。語り手の「彼」はあくまで健常であり、同時に「健康人としても、中途半端」である。ここに否定しえないほどの素朴な現実性がある。全体として、どこまでも正常な恋愛物語である。それによって形而上的な志向は回避され、われわれはより強く物と現実とを取り違えやすくなる。小説の諸刃とは、非常な状況を設定すればするほど、日常的な情感によって支配される傾向であり、わかりやすく言えば「杳子は抱かれたとたんに他者でなくなる」ということなのである。いくら語り手が違和を口に出そうと、もはや作品全体の零落は隠しきれない。これは書き手がありのままの表象を現実として認識した地点に立っているからであり、男女の交合という出来事によって杳子≒他者を限定させるような変化を設定してしまったという痛恨事に由来する。本来は、表象としての出来事こそわれわれが物――対――我の関係を認識することができない原因であるということについて、この作品はかえりみない。それは登場人物が変化することや変化しないこととは一切関係なく、むしろ形式や構成、描写、そしてなにより書き手と読み手の、確かな物を感覚する地点への到達である。


 つまり私の共感と違和は同じ根っこから出てまったく異なった方向にのびている二つの幹である。これは単なる感想であるから、私はただ思ったままに書いた。そして私はこの作品に対して怒りもしなければ驚きもしない。あるのはただ静けさのみである。ならばこの作品の特記すべき点とはその読み終わった後の静けさにあるのやもしれぬ。

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