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乞う路傍の雪以下なら夢と仰せ  作者: 杜若表六


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丁兄弟

 ところは中国、戦国時代の話である。

 魏の恵王は戦争好きで有名だった。とにかく野心が強く、周りの国々に戦をしかけては兵を死なせ、民を疲弊させていた。

 田畑は荒れ、人々の食うものは何もなかった。みな腹を空かしていた。

 そんな魏の国に、ていという名の兄弟がやってきた。彼らはさすらいの料理人であった。戦国の人びとの飢えを少しでも満たそうと、大陸各地を回っていたのである。

「兄者、この国はまた一段と飢えているねえ」

「おう弟者、これは働き甲斐があるわい」

 二人はまずさびれた農村にゆき、村人たちに熱い汁をふるまった。寒さにこごえる身にはたいそう染みた。

「うまいうまい。おう、それにしても、この具の菜っ葉はなんだね」

「それか? それはな、道端の草だ」

「ええ? おれたちゃ、道草を食ってるのかい?」

「そうだとも! どうだ、案外うめえだろう?」

 弟丁おていは得意げにいった。彼はあらゆる草木の特性をしり、薬学にも通じていたのである。

「まさか、道草がこんなにうめえとはなあ。謝々!」

「おっと、おれたちも道草を食ってる場合じゃねえ。弟者、いくぞ!」


 丁兄弟はおっとり刀で村を飛び出し、続いて城下町まで来た。

「弟者よ、肉屋はどこだろうか?」

「兄者よ、あすこに!」

 弟丁が指さす先には、羊の頭を屋根に掲げた肉屋があった。そこでは屈強な男が血まみれの牛刀でなにやら肉を捌いていた。

「おうい、ちょっと肉を見せてくれ!」

「へいらっしゃい! どれでも好きに見てくんな!」

 丁兄弟は店頭に並ぶ肉を見た。そしてすぐに目くばせした。

「兄者、これは……」

「ああ、間違いない」

「どうしました? お二人さん」

「やい、このいかさま野郎! これは羊の肉じゃなくて、いぬの肉じゃねえか! おまけに、不衛生な野犬のだ!」

 肉屋はにやにやと笑った。

「ばれちまいやしたか。まあ、大目に見てくだせえ。だって、だれもこれが羊の肉だなんていってないでしょう。それに、狗の肉を食って何が悪いんです?」

「五十歩譲って、看板のことは許そう。百歩譲って、狗のことも許す。このご時世だからな。だが!」

 兄丁あていは背中にしょった八尺あまりの牛刀を抜くと、滅茶滅茶に振り回した。

「ホワチョチョチョチョチョチョチョチョチョチョチョチョチョ‼」

「ひえっ! なんだこいつ?」

「まだ骨に肉が残ってるんだよ!」

 兄丁の牛刀は天井からぶら下がっていた狗の骨から絶妙に肉をこそげ落としてゆく。たちまち目の前にごっそりと肉の山ができた。

「ほれ! こんなに残っていたじゃねえか! もったいない! それとよく火を通して食うんだぞ!」

「へ、へへ~!」

 肉屋は思わずひれ伏した。


「もし、そこのお二方、もし!」

 丁兄弟が振り向くと、そこにはまるまる太った役人が立っていた。

「今の牛刀さばき、お見事! 実はわたくし、城に勤めるもの。どうか王様に謁見してもらえませんかな?」

「ほほう、こりゃあちょうどよかった! おれたちも王様に会いたかったんだ、なあ、弟者!」

「ああ! ちょっと王様にいいたいことがある」

 三人はそのまま城へ向かった。城の周りは戦の準備でものものしい雰囲気だったが、丁兄弟はひるみもせず、まっすぐに城内へ入った。

「王よ! おもしろい芸人を連れてまいりました」

 役人はそういうと「あとはまかせましたぞ」と二人にいって立ち去った。

「おぬしらか? おもしろい芸人というのは」

 恵王はなかなかの美男だったが、その眼は野心でぎらぎら光り、まるで獣のようだった。それに、何も食べていないのか、妙に痩せている。

「芸人ではございません。我ら丁兄弟、旅の料理人でございます。丁、丁丁、丁丁丁、丁!」

「なんだそれは」

「お気になさるな」

「とにかく、余に何を見せてくれる?」

「とっておきを。牛を一頭、いただければ」

 恵王が手をたたくと、一匹の屠ったばかりの牡牛が運ばれてきた。

「なんと立派な。しかし、我らで屠りましたのに」

「余は畜生の血を見るのが嫌いじゃ。だから捌くにもそうせよ」

「なるほど、お安いごようで! ホワチョチョチョチョチョチョチョチョチョチョチョチョチョ」

 兄丁が八尺の牛刀を軽々と振るうと、たちまちあたりに楽の音が響き渡った。それは世にも妙なる調べでありつつ、同時についつい体が動いてしまうようなサクサク、トントン、カンカンといった拍子が鳴っているのであった。王の周りにはべっていた侏儒たちは思わず愉快に踊りはじめた。兄丁の牛を解体する様も、まるで神前で舞っているかのように華麗であった。

「なんと見事な。血の一滴も跳ね飛ばず、かえって人の舞い踊るほどの心地好さ。技もここまで極められるのか」

 そういって王はため息をついた。

「おれの求めているのは、技ではありません。タオです。たとえばこの牛の筋肉、これをおれの筋肉を動かして切ろうとしてもうまく切れません。おれの心で切るのです。この固い骨を刃でむりに切ろうとしても切れません。骨の隙間を狙うのです。すべて道の流れに沿って牛刀を振るうことができれば、牛も苦しまず、おれも苦労することはありません」

 弟丁は牛の肉や骨を大きな鍋で煮込み、様々な香草で味付けした。ほかほかと湯気を立てた牛鍋は、その場にいた全員でも食べきれないほど出来上がった。

「美味なり! 美味なり!」

 恵王は涙を流して叫んだ。その場にいるものみなが泣いていた。

「丁兄弟といったな。なんでも望みを叶えてしんぜよう」

 弟丁が口を開いた。

「では、おそれながら。余った牛鍋は、どうか城下の民に。そして、これ以上民の腹を空かせないよう、政道を正しゅうしてくださりませ。腹が減っては戦ができません。そもそも、戦をしても腹はふくれませぬ」

「あい、わかった! 心配はいらぬ。こんどの戦に勝てば、領土が増え、民もたらふく食えるようになるであろ!」

「……ありがたき幸せ。では、これにて! 丁、丁丁、丁丁丁、丁!」

 城門を出た丁兄弟は、寂しげな顔をして歩いている。

「この国もどうやら永くはないらしいな、弟者よ」

「うむ。王があの調子では。もっとも、民もやわではない。兄者、あれなるを見よ」

 弟者が指さす先には、狗の頭を屋根に飾る肉屋が。

「ははは、開き直ったか……おお、弟者、あれを見よ」

 兄者が指さす先には、道端に生える草をむしり、そのまま齧る子供たちの姿が。「あれ? あんまりおいしくねえ!」などとはしゃいでいる。

「ふふふ、そういう意味ではないのだが……兄者よ、次は何処へゆこう」

「腹を空かせた者のいるところ、何処へでも」


 一説に、「包丁」の語源は料理人を表す「包」の字に、この兄弟の名「丁」を合わせたもの……ではなく、兄丁の奇怪な叫び声「ホワチョチョチョチョチョチョチョチョチョチョチョチョチョ」からきているという……ホントかウソかは丁、丁丁、丁丁丁、丁!

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