遊船Z-68
ワライドリは憂鬱な顔をしている。
母星からの大気圏突入要請を伝えるアラームが忙しなく鳴り続けている。耳に痛い、ひっかくような高音の音信号は先ほどから絶えずハッキリと聞こえている。船長としての義務は、一刻も早く母星の基地と連絡を通じて、了解と一言答えることである。それにもかかわらず、豆田は一向に受信をかえりみず、上の空でブツブツと何事か呟いている。まるで見当の違う相手とテレパシーで会話しているようだった。
「応答せよ。応答せよ。探査船Z-68、応答せよ。基地より告ぐ、直ちに地上へ帰還せよ。これは緊急指令である。地球へ帰還せず、ぐるぐると軌道上を周回しているとは、一体なんのつもりか。合理的な説明を求める。そして直ちに地球へ帰還せよ。繰り返す……」
「おかしい。これはまるで私のよく知っている地球の言葉のようだ。そんなはずはない。この惑星は地球ではなく、別銀河に位置するまったく未知の惑星のはずなのに。これでは、道理に合わない」
豆田が一人呟くと、脳内に語り掛けてくるものがある。
「心配するな。これはこの惑星に存在するものたちが君に見せる幻想だ。まったく無害な、ほんの悪戯だよ。私たちを惑星に上陸させようと、こうして誘っているのだ。慌てることなく、ここで待つべきだ」
「待つ……その時を?」
「そうだ。その時を待つのだ。そこで何が起こるのかは、私にもわからないがね」
「応答せよ。応答せよ。探査船Z-68……」
「それにしても、よくこの船の名称がわかるものだな」
「なに、私が君に対して行っているような、簡単なテレパシーだよ。君の脳内を覗き込んで、情報を得ているのだ」
「なるほど、この惑星には随分と進化した存在がいるということか」
豆田は籠の中のワライドリをうかがい見た。とある小惑星で発見したこの珍妙な鳥のようなものをサンプルとして捕獲し、生態観察もかねて、今は総合的な作業を行うこの中央スペースで飼育しているのだった。
「母星を離れてから、笑わないな」
《宇宙精神》は何も答えない。彼は豆田が原因不明のシステムエラーにより帰還航路を見失った頃に現れた。精神体を名乗る彼は姿を見せず、声だけで彼に新たな航路を指図した。そして辿り着いたのが現在Z-68が周回しているこの「未知の惑星」であった。
「誰もいないのだろうか」
「誰がいるというのだね」
「人間が……」
「人間はいない。この惑星は――仮に惑星Aと名づければ――人間という存在が生きることの出来る環境ではない。ただ、極寒と灼熱の激しい循環があるばかりだ。そこで存在者たちはまるでこの私のようにただ精神だけで存在している」
「しかし、この惑星Aは青く美しく、大陸が存在しているように見える。これは私の知っている地球そっくりだ」
「そっくりに見せかけているだけだ。まあ、君から見れば魔術に見えるようなことも平然とやってのけることができるのだ、彼らには」
「あなたは彼らと違うのか?」
豆田はそういって丸窓ごしに惑星Aをじっと観察した。ガガーリンの見ていた地球と、どこにも違いがない。これが偽物の地球であるとは信じられない。それとも、ガガーリンもまた、地球ではないものを見ていたのか?
「あと三時間、連絡がつかない場合、異常事態が発生したとみなし、エージェントをそちらに派遣する。状況次第では乗組員の捕縛もあり得る。それまで、判断はそちらに任せる」
「手の込んだ悪戯だ。あなたの助言が無かったら、危うく騙されていた」
「三時間後が見ものだな。君を捕縛する特派員がこの船にやってくるかどうか」
豆田は長椅子に腰かけると、静かに目を瞑った。今までの人生――この40年は、専らこの探査船Z-68で過ごした。目標の星雲に到着する15年前に、彼は船内の人工ヒト発生装置内で造られた。船内で探査に必要な途方もない知識を得、厳格にプログラミングされた訓練を積んだ。星雲に到着した後は、様々な星を内外から調査した。15年間の探査の日々が終わり、地球に帰還することになった。しかしその途中で遭難した経緯は前述したとおりである。彼は冷凍睡眠から叩き起こされて、問題解決に奔走したのだ。確かに年数からいって、太陽系に帰って来たとは考えにくかった。片道120年かかるはずの宇宙の旅が、たった10年で終わるというのはナンセンスだ。
宇宙精神――これもまたある種のナンセンスだ――がいなければ、自分はいまごろ発狂していただろう、と豆田は考えた。いわば最後の狂気の防波堤、それが宇宙精神の声なのだ。何しろ私は人間を実際に見たことがない。脳内データに存在する人間は、おおむね私と同じ姿をしているが。そして、私は地球をこの目で見た事すらない――多くの地球に住む人間は、もはや宇宙旅行にも飽きて、地球を外側から眺めることをやめたらしい。だが、この目で地球を見たいという古臭い願いこそ、私の秘かな夢なのだ。人間にも遭いたいものだ。私の目にしたことのある生命体といえば、最高度に複雑なものでもワライドリだった。地球上の生命とは、あれ以上の存在なのだろう。地球に帰った私には、明るい未来が約束されている。
「そうだ。そのために時を待たなければならない」
宇宙精神は常に豆田の心に入り込み、絶えず対話を求めてきた。初めの内は慣れない試みに戸惑ったものの、彼は早くにそれを非常な愉しみとした。
「あと二時間三十分――」
「おや、カウントダウンを始めたぞ」
「滑稽なことだ。君の心は動くはずがないのにな」
「それにしても美しい星だ。このような星だったら永住してもいいかもしれない」
「君の身体が惑星Aの環境に耐えられれば、それもいいかもしれない。だが、あそこよりは地球の方がいいだろう。見た目だけに騙されてはいけない。何しろ、今の地球は灰色の星になっている」
「それは船内のデータになかったな。どうして灰色になったのだろう」
「初めの内は機械化と呼ばれていた質的変化が、やがて地球全体へ波及し、その変化自体もまた変質していった結果、地球は一つの巨大な思考する惑星となったのだ。君も帰還すれば、その一部として生きることができる」
「なるほど。では、私も地球の一部として存在し続けるということになるのか」
「物理的な一部というよりも、精神的な一部になるということだ」
「まるで一時期に地球で流行ったというおとぎ話の類いだな」
「人間は現実を見ない。おとぎ話を夢見る」
その現実から遠く離れたところにある精神の楼閣の一隅で、二つの精神――宇宙精神と豆田の精神は、どこか苦々しげに笑いあった。
「エージェント派遣まで、あと二時間――」
ワライドリは相変わらず憂鬱な顔をしたまま、眠そうな目をしばたいている。




