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乞う路傍の雪以下なら夢と仰せ  作者: 杜若表六


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ヴァリスの話

ファットの神学をざっとまとめました。


||唯一者は非在と存在の組み合わさったものである。

唯一者は非在と存在を分離したいと思い、両性具有の双子ノンモとユルグをつくった。それぞれが存在になるはずだった。しかし片方ユルグが存在したいという欲望から早く生まれてしまった。もう片方ノンモは期が満ちて誕生した。ノンモとユルグはホログラム状のインターフェースを投影した。これが我々のいる多型宇宙である。ユルグは錯乱しており、無秩序などの悪性因子を宇宙に投影した。これは「帝国」と呼ばれる。帝国と戦うものはまた帝国となる運命にある。帝国に対置されているのは生きた情報、プラマステである。

ユルグを癒すためにノンモはユルグに自分の分身であるキリスト(精霊)をつかわした。しかしユルグはキリストを殺した。正常な宇宙をつくるためにはノンモ自身が二つに分裂し、ユルグの代わりとなり、彼女を殺すしかない。時間の中ではユルグは生きているが、永遠の中ではやむを得ず殺されている。唯一者は彼女の死を悼む。だから精霊のもたらす不死なる情報プラマステは彼女の死についての悲劇的な物語となっている。

キリストをはじめとした精霊=プラマステ=ロゴスは人間と交接して彼(人間)をホモ・プラマステにする。プラマステはこのようにして自己を複製し、錯乱したユルグに狂わされた宇宙を治癒する。ユルグを殺すのは精霊の仕事である。

人間は叡智グノーシスを得ることにより、阻害されていた記憶をシステムの正常化のために回復する(我々こそが一人の不死者である)。||


パスカル 曰く、「 あらゆる歴史は絶え間なく学習を続ける不死の一人である」。


「なあ ケヴィン、 お前がネコ を つない どけ ば よかっ た だけの こと だろ」 と ぼく は 一度 指摘 し た。 「いや そう じゃ なく て」 と ファット。「 確か に 一理 ある。 オレ も 気 に なっ て た ん だ。 ケヴィン にとって は、 ネコ は 宇宙 について 理解 でき ない こと すべて の 象徴 な ん だ」


「なあケヴィン、お前がネコをつないどけばよかっただけのことだろ」とぼくは一度指摘した。

「いやそうじゃなくて」とファット。「確かに一理ある。オレも気になってたんだ。ケヴィンにとっては、ネコは宇宙について理解できないことすべての象徴なんだ」

ケヴィンはつっけんどんに言った。「理解なら十分してる。(略)」


自分を客観的に書くことで、疑似的な「ファット」もしくは「ぼく」が出現し、あたかも脳内の対話すら現実上で起きていることのように書けてしまう。


すべて現実とも、すべて妄想ともいえる。つまり両者に差はない。(tsuyu)


擬グノーシス


少し流れから外れた考察をします。スルーしていただいて結構です。


多くの場合、キリスト教グノーシスにおける「認識」の対象は、イエス・キリストが宣教した神(=至高神)とユダヤ教(旧約聖書)の神(=創造神)は違うということ、創造神の所産であるこの世界は唾棄すべき低質なものであること、人間もまた創造神の作品であるが、その中に、ごく一部だけ、至高神に由来する要素(=「本来的自己」)が含まれているということ、救済とは、その本来的自己がこの世界から解き放たれて至高神のもとに戻ることなのだということ、といった事柄である。

筒井賢治『グノーシス 古代キリスト教の〈異端思想〉』まえがきより


この小説の何からなにまでグノーシスで説明がつくとは思いませんが、作中で上記のような「本物だと信じていたものが実は偽物だった(正体が暴かれる)」という期待と幻滅のモチーフが繰り返されている気がします。ストーンにしたって治療でファットに合わせているだけだし、真実を知っていると目されたソフィアの両親もミニも実は選民的な(ファナティックな)考えに狂っていた。ソフィアもリピドン協会に教えを託して死ぬ(もちろん彼女が本物であったなら個人的肉体的な死は問題ではないのですが)。ファットの妄想もソフィアの死で少なくとも一旦は否定される。


面白いのは、酷薄な皮肉屋と思われていたケヴィンが実は一貫して神に対してネコの死という不条理についての問いをつきつけ続けていたことです。ネコを繋いでおかなかったことを「ぼく」はバカだといい、ソフィアはネコがバカだったと語ったらしい。それでもケヴィンはずっと神と神の創造について疑義(「ちょっとまったぁ!」)をフライパンみたいになったネコを振りまわして述べたいと望んでいる(カラマーゾフのイワン的な)。そして「ぼく」はケヴィンの信念みたいなものに気づき、終盤で同意する(直接ではないですが)。

神に対して待ったをかけるケヴィンと救いを待つぼくの対比も印象的です。

あと一貫してカトリックの信仰を保ち続けるデヴィッドも期待と幻滅に揺れ動くぼく(ファット)と対照的だと思います。

私はなんとなく、彼ら友人は作者の分裂した分身なのかなと思いました。もっとも、実際のモデルがいるらしいですが。



十分に発達した技術は、ぼくたちには魔法の一種に見えるはずだ。これはアーサー・C・クラークが指摘したことだ。魔術師は魔法を扱う。よって、「魔術師」とはきわめて高度な技術を持つだれか、こちらには見当もつかない技術を持つ人物だ。


考察というか感想なのですが、七章末尾のこの文章をみて、ああ、いわれてみれば、それが「技術」だと見える限りはまだ発展途上の、こちらの認識と同等レベルの方法なんだな、と思いました。

作中映画『ヴァリス』も人工衛星ヴァリスも厳密にいえば技術ですが、映画のほうはやろうと思えばこちらから隠されたメッセージを読み取りできるけれども、人工衛星の方はあちらから干渉がない限りけっして情報を受け取れないし、交信方法であるピンクの光には危険がともなう(ミニはそれを過剰に受け病に)。

なにか宗教的な寓意がこめられているのかなと感じました。

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