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乞う路傍の雪以下なら夢と仰せ  作者: 杜若表六


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村上春樹の話

恐らく彼は快・不快の原理(つまりは好み)で小説に入れる言葉や要素を取捨選択し、その趣味が良いので今日のような名声を獲得したのだと思います。それは彼の仕事の成果だと思いますし、僥倖だし、はたから見ていて良かったなあと思います。

一方で、「総合小説(全体小説)」を書きたいとも言っているようです。

ここで生まれる問いは簡単な話、総合小説を書くには作者が不快だと思うもの(感覚的な不快さばかりではなく、作者自身に元々ないような考えや、結論も含める)も丹念に描かなければならないはず、つまり「自分の世界」にないようなものも書かねばならないはずなので、村上春樹がもし総合小説を書いたら、はたしてそれは趣味が良い小説といえるのか、村上自身が彼の世界を破壊することになるのでは、という疑問です。

最近の仕事は見ていませんので、真面目な問いではないのですが、少しその点が心配に思っています。しかし村上自身、何にせよ書き続けているので大丈夫かとも思いますが。

たとえば三島由紀夫は『豊饒の海』を書いている途中(三巻完成時)に非常に不快な思いを覚えたと書いていましたが、それは正常な感覚だと思います。世界を解釈する作品を書いて不快感を感じないのは、自分の世界を描いているだけ、あるいは単に書けていないだけだと思います。

たぶん村上春樹が総合小説を書こうとしたらそれは世間一般のイメージを裏切るだろうし、彼自身が気に入らないだろうと予測します。彼は書かなくても十分に春樹です。

以上、村上春樹に関する勝手なお節介でした。

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