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乞う路傍の雪以下なら夢と仰せ  作者: 杜若表六


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光の作家

娯楽映画で、卓越した超能力者か忍者が、エイヤと一心不乱に念じると、己の意識をそこかしこに飛ばし、空間のあらゆる細部をその心に映し出す。そのとき、意識は空間であり、空間は意識である。日常においても似たように、われわれは物を観じているとき、物に意識を寄り添わせ、その自己意識を、空間を照らし出す光源だと思っている。しかし光源を別のところに置き、心を透かし、意識を影として空間に投影するとしたら、それはどのような風景を生み出すのか。そんなユニークな方法を試みた、特筆すべきであろう一人の芸術家がいる。

このユニークな文学者・三島由紀夫を一言で表すなら、「光の作家」ということになるだろう。光、といっても、派手な行動からのイメージ、照り輝く光源としての側面と、その文学における、ものに拡がる意識としての影の側面がある。逆説、と作家が述べるとき、そこには意識の、認識の光と影の交換の思惑が包含されている。

光を意識するとき、意識は影となっている。影としての意識。作家の扱う近代日本の都市と、そこに巣食う人々の上に、静かに、だが隅なく、影は降りている。作家の描く近代都市社会の細密な静物画からとりこぼされた対象は、それが象徴として機能する限りにおいて、ひとつもないといっていい。

三島由紀夫にして、影を生み出すための光源としたのが、その大胆な行動であり、アメリカナイズされた近代日本、そして象徴としての天皇ではなかったか。おそらく作家の意識を拡大して社会に浸潤させるためのアンチテーゼとして、それらは措定された。すべては近代都市社会(=作家にとって描く必然性があった世界)を描くための、必要で、「絶対的な」布石である。

作家のユニークな方法を鑑賞し、描き出す世界を体験する過程のなかで、われわれのうちの慎重な、ある種の疎外感を持って生きる読者はきっと、自分の意識というものが、物を映し出す光源であり、しかしまた同時に影ともなりうるということを、つまりは人間と物とその現像のカラクリを確かに認める。この意味において、三島由紀夫の人工的で空想的で虚無的と呼ばれている小説は、あろうことかリアルへとわれわれを近づける。なぜなら、そもそも本来的に、文学の創り出す幻影とは、ネガとしての世界に他ならないからだ。論理の逆説だけではなく、認識の逆説を味わうことのできた幸福な読者の、陶酔から覚めた、むしろ動揺した意識の影から、にわかに作家の哄笑が響きわたる。

断片に分断された世界の、媒介としての小説。その成立のために、作品はいったん開かれ、諸断片を内包し、しかるのちに閉じられなければならない。集められた断片を一個のネガとしての世界に織り直すためには、断片を縫合する認識が、思想が、意識がなければならないからだ。

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