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いきなり音楽教室  作者: marron
音大編
200/200

25、イタリアの聴衆



イタリアの聴衆と日本の聴衆の違いといえば、やはり、イタリア人は耳が肥えているということか。すでに多くのクラシック音楽に親しんでいるのだろう。そして、それを楽しむことを知っている。


一度(週末コンサートで)日本人のピアニストが弾いた時に、ものすごい拍手喝采大声援だったことがある。

そのピアニストは、ずば抜けて上手いというわけではなかった。

だけど、表現力がすばらしく、彼女が弾くと圧倒されるような、グーっと強い力が私全体を包むような、何かがあった。

聴衆が楽しむクラシックは、ただ技術が優れていれば良いわけではない。

私が表現したいことが伝わらなければ、彼らは楽しんでくれないのだ。


だから、私が一度舞台で失敗したときも、多くの人が曲の途中で「ノー!」と頭を抱えたのが見えた。

それというのも、歌っている時にふと「次の歌詞なんだっけ?」と分からなくなってしまい、うっかり素に戻って斜め上を向いた揚句に「あ、そうだ」と思わず変顔をしてしまったのだ。

って、舞台上の変顔。


その時、客席の中央に座っていたマエストロ(私のイタリアでの師匠)がガッデムとばかりに、頭を掻きむしったのもバッチリと見ることができた。

すごい光景だった。



この年、私は首席で修了した。

自分でも「上手くなった」ことを自覚していた。そして、それが「出られない人に失礼にならないように、しっかり歌いなさい」というY先生の言葉と重なり、責任を持って、自分と聴衆をつなぐ音楽を作り出そうとした充実して楽しい時間だった。

あんなふうに、楽しんで聞いてくれた町の人たちがいてくれたから、今もこうして歌えるのだろう。


病気になった中学、ヘタレだった高校・大学、必死に食らいついた大学院、そして温かく私を迎えてくれてたくさんのことを教えてくれたイタリア。

全てが、欠かせない経験だった。


音楽は素晴らしい。

その小さなつながりを、私は今日も子どもたちに伝えることができる。




全てのことに感謝して。




これにて音楽教室は完結です。

長い間おつきあいくださいましてありがとうございました。

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