結末が変わる物語〜夏帆の場合〜
結末が変わる物語、のエピソード2です。
この本の結末は、読むたびに変わってる。でもそれは、私だけの秘密。普通の人生を送り続けてきた私の、たったひとつの特別。
私がその特別に出会ったのは、初めて立ち寄った古本屋だった。土曜恒例の、おひとり様下町電車散歩のついでに寄った先。さっきお団子食べちゃったけど、この辺りで有名なたい焼き屋さんも近いんだよな、なんて悩んでいた時に。目の前に現れた古本屋に、なぜか惹かれて入った。
チリンチリン、と引き戸の呼び鈴を鳴らして入ると、店主のジロリ、と睨む目が出迎えた。そして私が何も言って無いのに、店主がいきなり一冊の本を出してきたのだ。
「100円でいいよ」
「え、えええ?」
とんだ押し売りだ。でも私は、素直に100円を出した。こんなところで断れるような性格は、当然していないもの。
狐につままれたような心持ちで、そのまま店を後にする。そしてたい焼きのことも忘れ、手近なカフェに入った。
香ばしいコーヒーの香りで、ようやく落ち着く。カフェ巡りもそれはそれで最高。さて今回は、一体どんな売れない本を押し付けたのかしら。そう思って冷やかし程度に読み始めた本に、私は引き込まれてしまった。題名は、「もしも、あのとき」。
「『ずっと君に、言わなきゃいけなかったことがあるんだ』
直志は、穏やかな瞳で美也を見つめた。
『君が、ずっと前にサッカー選手とした約束を覚えている?彼がハットトリックを達成したら、君は手術を受けるって。実はあれは僕だったんだ』
『え……、あの時のサッカー選手が、あなた……?』
『うん』
直志は、初めて美也の手をとった。
『手術、受けてみないか』」
涙と鼻水がコーヒーに落ちそうになって、慌ててテーブルのナプキンを手に取る。他にお客さんがいなくて良かった。恥ずかしい思いをするところだった。
私は、そのカフェで一気に本を読み終えてしまった。100円で押し売りされた割には、かなりの得をした気分だった。
でもこの本がその本当の価値を見せたのは、翌日のことだった。またあの感動を味わおうと思って本を手に取った私は、本当にびっくりした。
「『ずっと君に、言わなきゃいけなかったことがあるんだ』
直志は、真剣な眼差しで美也を見つめた。
『実は僕は、エイリアンなんだ』
直志の予想とは裏腹に、美也は驚かなかった。
『ええ、知っていたわ』
『私もエイリアンだもの』
直志と美也は、今まで隠していたタコ状の足を出し合い、熱く抱擁した。もう二人を遮るものは何も無かった」
「え、えええ?」
私は仰け反った。そして、自分の正気を疑いもした。こんな本だったっけ? いや、そんな訳は無い。直志はサッカー選手で、美也は手術を成功させたはず。何、エイリアンって。
私は、その本を放るように本棚にしまった。夜の間、ずっとそのことが気になっていたけれど、月曜の仕事に備えてなんとか眠った。でも夜の二時頃を過ぎた頃。喉が渇いて水を飲みに起きたついでに、また本を確かめに開いてしまったのだ。
タコのエイリアンはいなかった。代わりにいたのは、石油王だった直志と、彼の妹かと思ったら妹じゃ無かったから無事に結ばれた美也だった。……夢中で読み込んでいたら、いつの間にか朝になっていた。
その時に、分かったの。この本は、普通じゃないんだって。
こんな本、普通の私が持っていちゃいけないのかもしれない。でも、下町散歩の時、度々神社に寄ってはお願いしてきたの。何かちょっとだけ、ちょっとだけでいいから、私だけの特別を下さいって。それがきっと、叶ったんだと思った。
それから毎日、私はこの特別を楽しんだ。学園ラブコメの直志と美也。時代劇の直志と美也。ミステリーの直志と美也。
「夏帆さん、最近なんか生き生きしてるね」
毎日の楽しみのおかげか、会社の人にもそう褒められるようになった。「生き生きしてる」なんて言われ方、私のこれまでの人生にはあまり無い。
美也みたいな素敵な格好はできない。決められた制服に、きっちりしたショートの髪型。でも、美也が持っているような可愛い小物くらいは持てる。そして彼女みたいなポニーテールにしようと思って、髪も伸ばし始めた。私の日常は、あの本の世界にどんどん影響されていった。
自分でも小説を書いてみようか、なんて思い始めたのも、この頃だった。毎日、直志と美也の結末を予想してからあの本を読み始めるようになったのが、きっかけだった。自分だったら、彼らをエイリアンになんてしないのに、とか。今日はファンタジーの公爵とお姫様の身分差恋愛だったらいいな、とか。
でも私が書くのも、結末だけ。他は、あの本の通りだもの。
「『ずっと君に、言わなきゃいけなかったことがあるんだ』」
ええと、この後どうすればいいのかしら。とりあえず、直志を素敵にしなきゃね。
「『僕はすごくお金持ちで、実はイケメンなんだ。そして、国際的なスパイ。君が好きだ。結婚しよう』」
なんてね。美也はなんて言うのかしら?
「『知っていたわ』
『私もすごく美人で国際的なスパイ。あなたの敵よ。でもそんな関係も刺激的だわ。結婚しましょう』
そして二人は、ずっと幸せに暮らしたのだった」
うんうん、だいぶいいんじゃないかしら。私は毎日、あの本を開く前に自分の予想した結末を書いてみた。当たったことは一度もない。でも、楽しかった。
もっともっと、楽しみたい。そして、私の直志と美也のことを知ってもらいたい。そんな気持ちから見つけたのが、小説投稿サイトだった。そこにはあの本と同じように、いろんなジャンルの物語がひしめきあっていた。
でも私は、他の人のお話は特に読まなかった。私の直志と美也のように特別なものなんて、ないはずだもの。
ここで本当は、立ち止まらなきゃいけなかったのかもしれない。でもその時の私は、自信に満ち溢れていた。その頃ハマっていた、私の書く日常系なろうこそ正義。そこまで思い込んでいたかもしれない。あの本が特別だからって、私が特別になったと錯覚していた。
私は慣れないながらも、ひとつひとつサイトの項目を埋めていった。私のジャンルは、本当は二次創作にあたるらしかった。でも、私と同じ本を持っている人なんて世界のどこにもいないはず。オリジナルでいいでしょ。そんなことを思いながら進めていく。
ようやく全ての項目を埋めて投稿ボタンを押した時、私は達成感に溢れていた。
母からお見合いの話が来たのは、それからすぐだった。
嫌だ。直感的にそう返事しそうになって、自分でも驚いた。今まで親の言うことに、逆らったことなんてなかったから。
私は、直志と美也のような素敵な恋愛がしたい。その上で直志のようにかっこいい人と結ばれたい。
でも結局私は、そのお見合いを承諾した。今までと何も変わらない自分に、少し落ち込む。他の人と同じように、そこそこの人と結ばれて、家庭を持って親の期待に応える。それが私。本や小説から離れると、急に現実が襲ってくる。
ただ、釣り書きを見せられて、2つびっくりしたことがある。
まずお相手の名前。正さんだった。直志その2、と私は少し失礼なあだ名を心の中でつけてクスクス笑った。何か少しでも心が晴れる理由を見つけたかった。
そして2つ目が、お相手の職業。なんと、たい焼き屋さんの跡継ぎだった。しかも、私が古本屋に行ったあの日に行きそびれた、有名なたい焼き屋さんそのものだった。
直志その2さんは、あんこを包む仕事をしているみたい。美也を、美味しいあんこで口説き落とすのかしら。
こんな偶然あるのかしら。結婚したら、たい焼き食べ放題? そう一瞬思ったの。でも直志その2は、直志じゃない。
そして、あの日たい焼き屋さんに行かずに古本屋に入ったのは正解だった。逆にたい焼き屋さんに行っていたら、私の人生は変わらずパッとしないままで、バッドルートというやつだったんじゃないかしら。
私はその日も、あの本を読み込んだ。
「『ずっと君に、言わなきゃいけなかったことがあるんだ』
『僕の正体が怪盗ピラリさ。そして、君をさらいに来たよ』
直志は赤いバラ吹雪の中、そう言って美也の手を取った」
お見合いには行かないでくれ、と私は直志の台詞に付け足した。あーあ、誰か私をさらいに来てくれないかしら。
お見合い当日、私は美也のように長くなっていた髪を結い上げた。
直志その2さんが聞いてくる。
「休日は、どう過ごしてらっしゃるんですか?」
脳の中で、美也が答える。
「休日は、あなたをさらいにいく練習をしているわ。なかなかあなたから来てくれないから」
現実の私は答える。
「散歩です」
私からも質問しなきゃ。
「……たい焼きの中身って、チョコとかカスタードとかもあるんですか?」
「うちは昔ながらのあんこ一筋だけど、そういうのも面白いね」
脳内の美也がまた答える。
「あなたのあんこに、メロメロよ」
本当は、突飛なことをやって破談にしてもらおうかとも思った。
「私はすごく美人で、そしてタコ型のエイリアン。あなたたち地球人の敵よ。私たちは結ばれない運命なの」
とか言えたら、どんなに良かったか。でもそんなことをしたら、親の顔に泥を塗ってしまう。そして本や小説の中ならまだしも、現実でそんな行動を起こせる私じゃない。なるべく地味に地味に振る舞って、つまらない女性だと振ってもらうしかない。
食事も、「ほほほ、あとは若いお二人で」の時間も滞りなく過ぎた。帰宅した時、私は考えすぎでどっと疲れていた。
私の思惑とは裏腹に、お相手からは交際の希望が来た。私から断ることは当然できず、交際が始まったことになった。さよなら直志。私のヒーロー。私は、他の人と付き合うことになったよ。美也と幸せにね。
私は少しでも気分を上げようと思って、小説投稿サイトを開いた。ふんふん、アクセス解析なんてものがあるのね。私の小説が多くの人に読まれる。現実は上手くいかなくても、それだけでもいいのかもしれない。きっと、多くの人が私の直志と美也に心を奪われているはず。
でも小説投稿の世界も、あの本や小説ほどには甘くなかった。ページビューゼロ。私の小説は、誰にも読まれてすらいなかったのだ。
涙が込み上げてきた。あの本を読んだ時のような感動の涙じゃない、惨めな涙だった。ほんと、踏んだり蹴ったり。
今日も、あの本を読もう。それだけが、私に残された楽しみ。あの本を読んで、毎日たらふくたい焼きを食べながら生きていこう。それが私の運命なんだ。そう思って本棚に手を伸ばしたら。
ない。あの本がない。
私は、混乱した。ないわけがない、だって買った日以来、一度も外に持ち出してなんてないんだから。でもない。ねえ、お願い、見つかって。
でもあの本は、影も形もなくなっていた。
私は急いでまたあの古本屋に行ってみた。もしかしたら、本が戻っているかもしれない、なんて思って。
チリンチリン、と引き戸の鈴が鳴る。その風流な音とは裏腹に、私は血相を変えた顔をしていたと思う。
「あのっ! 結末が変わる物語、戻って来てないですか?」
店のおじさんはジロリ、とこちらを見た。その瞬間、しまったと思った。
「なんだい、結末の変わる本って」
やっぱり、おじさんはあの本の中身を知らないんだ。じゃなきゃ、あんな風に100円で売ったりしないだろう。
「えっと、1ヶ月ほど前にこちらで買った本で……」
おじさんの視線にひるむ自分を感じながら、でも私は勇気を振り絞った。もう一度、もう一度あの本と会わなきゃ。私の特別が無くなってしまう。
「表紙は白くて少し汚れていて。300ページくらいの本で、直志と美也という登場人物の恋愛物語なんですけど……!」
言った。言えた。私はおじさんの反応を待つ。
「……ないねえ」
私はその返答に、また泣きそうになった。がっかりしたまま、どうやって家に着いたのかも覚えていない。
それから私は、塞ぎ込むようになっていた。本を手に入れる前の地味な私よりも、さらに暗くなった。会社でも、上司や同僚に心配されるほどだった。
生き生きとした私はいなくなったんだ。地味以上にこんなに暗いんじゃ、正さんにも振られるのは時間の問題だろう。
でも今日は彼との初デートの日。最低限の身だしなみは整えて、行かなくちゃ。私は髪をセットするのも億劫だった。もう美也に似せたこの髪も、また切ってしまおうか。
デートはやはり、盛り上がらない。
「夏帆さん、どうしたの?今日は疲れてる?」
正さんが聞いてくれる。接客業の人だけあって、気遣いが優しい。
「大切な本を無くしてしまって」
私はポツリ、と口にしてしまっていた。私だけの秘密だったのに。しまった、と思った時にはもう遅かった。
「それは残念だね。どんな本?」
会話が進んでしまっていた。もういいや、変な人だと思われて、振られよう。
「読むたびに結末が変わる本だったんです」
「あー。俺も昔、そういう本持ってたなあ」
えっ!?私はびっくりして彼の顔を見た。その時、今日初めて彼の顔をまともに見たことに気づいた。自分の失礼さに、思わず顔が熱くなる。彼は続けた。
「選択式のやつでしょう? 選ぶルートでいくつかエンディングが変わるやつ」
あ、違う。そりゃそうだ。あんな本、他の人が持っているはずはない。今度は期待した自分が恥ずかしくなって、目を逸らす。
「俺、小さい頃から家業を継ぐことが決まっててさ。子供心に違う未来が欲しくて。だから、ああいう本が昔からすごく好きだった。結局、親の期待に応えて継いじゃったけどね」
私はもう一度、彼の顔を見た。決まっていた未来と、違う自分を望む気持ち。それは痛いほど良く分かる。
この人も私と同じような悩みを抱えていたんだ。初めて彼がたい焼き屋の直志その2さんから、正さん、に見えた気がした。
「本屋に行こうか?」
彼は優しい。いい人なんだ。
「いえもういいんです」
私は初めて彼に、素顔を見せられた気がした。
「私、正さんのたい焼き食べてみたいです」
そうして私は、あの日行かなかったたい焼き屋さんに初めて訪れた。もちろん、その日は休業だったけれど、正さんは火を起こして、一列分だけたい焼きを焼いてくれた。
ホカホカのたい焼きが、手の中で踊る。フーフーとしてから、しっぽから食べる。しっぽの先まであんこがぎっしり入っていた。
「美味しい……!」
「それはよかった。あと……」
正さんは言葉を繋いだ。
「笑顔が見られてよかった」
私は、あんこまみれの口元を隠すように手で覆った。でも本当は、照れていたの。
それから私は、正さんと順調に交際を進めて、結婚に向けて進んでいった。結納も済ませ、式ももう直ぐだ。私の親も正さんの親も、とても喜んでくれている。
何よりも、私自身も正さんも嬉しかった。自分自身で選んだ道でも、周りがこんなにも祝福してくれる。そんなことは、2人とも人生で初めてかもしれなかった。
ただ、初めてたい焼きを焼いてみた日は、大惨事だった。
まず、型に生地を流すところからできないの。縦型のピストルみたいな器でピシュッ、ピシュッとたい焼きの型の中に生地を入れていくんだけど。型には入らず、周りにばかり生地が溜まっていく。いやに背びれや尾ひれが長い、深海魚のようなたい焼きたちが並んでいった。
そして、あんこ。たくさん入れたほうがお客さんが喜ぶと思ったのに、入れすぎたらはみ出しちゃった。内臓が出てるみたいで、ちょっとグロい。でも、失敗作は自分で食べていいからラッキー。なんて思ってる場合じゃない。商売なんだから、費用はちゃんと意識しないと。
その後も、片側だけ表情が浮かないたい焼きやら、あんこを減らしすぎてほぼ皮だけのたい焼きやらがたくさん焼き上がった。
私は、あの本のことを思い出していた。
「『ずっと君に、言わなきゃいけなかったことがあるんだ』」
脳内でまた新しい結末が始まる。
「『実は僕は、たい焼き屋の跡継ぎなんだ。でも、たい焼きが焼けない』
直志は美也に熱い視線を送った。
『君のその、素晴らしいスパイ技術と器用な手先を。たい焼きを焼くのに活かさないか?』」
なんて、ふふふ。たい焼き屋さんになる私なんて、誰が想像できただろう。そして、今日は作るのに失敗しちゃったけど、今度はそれとは違う結末になることだってある。私が、たい焼きマスターと呼ばれるくらい焼くのが上手くなる未来だってあるはず。
「ずっと君に、言わなきゃいけなかったことがあるんだ」
私はいつの間にか、そう口にしていた。
「うん、なんだい?」
正さんが聞いてくる。
「あ……私、小説を書いてるんだ」
「へえ! 初めて聞いたな。どんな話?」
私は、直志と美也の話をしてあげた。直志がどんなにかっこいいか。美也がどんなに勇敢か。2人でたい焼きを焼きながら、正さんはニコニコと話を聞いてくれた。
ページビューゼロの物語が、ようやく日の目を見て成仏した気がした。
「小説家って、かっこいいよね。俺も昔は、宇宙飛行士になりたかったんだ」
「……書いてあげようか、そのお話」
「!読んでみたい!」
その後も練習しながら、2人で新しい商品開発にも力を入れ始めた。私の「斬新な」形のたい焼きたちが、正さんの職人気質を刺激したらしい。
もちろん、カスタード味とチョコレート味は提案した。抹茶白玉味だっていいし、クリームチーズだって入れたら美味しい。
私自身も、何かを作り上げる喜びを感じるようになっていった。
私はまた、小説を書き始めた。今度こそ、誰に見せるでもなく自分のために。でも今度は直志と美也の物語じゃない。新しくキャラクターを作った。
地味な食いしん坊の女性と、宇宙飛行士になりたかったたい焼き屋さんの恋愛小説が出来上がった。……これじゃあ現実と同じじゃない。私はたくさん考えた。でもどんなに頭をひねっても、それ以外の物語が書けないのだった。
やっぱり、私には才能がないのかしら。書くのをやめようかと思ったこともある。でもある時、気づいたの。創作じゃなくて、自伝でもいいんじゃない? たい焼き屋さんの奥さんの話、読みたい人いるんじゃない?
いつの日か、その物語を出版しようと思う。自費出版で、お客さんに配ったっていい。タイトルはもちろん、「もしも、あのとき」。
もしあの時、あの本に出会っていなかったら。それでも私の生活は、同じになっていたかもしれない。でも、心持ちはだいぶ違っていたはずだ。人に言われて選んだ人生と、自分で選んだ人生。
本が出来上がるその日まで、大事に原稿を書き溜めよう。そしてお金と経験を貯めよう。そのために、私は毎日たい焼きを焼いて、笑顔で売る。
読んでいただいて、ありがとうございました!




