結末が変わる物語〜田所の場合〜
結末が変わる物語のエピソード3です。
この本の結末は、読むたびに変わっている。
僕の勘違いじゃないかって? そう思われるならそれで構わない。でも僕の最近の仕事での活躍は、この本のおかげなんだ。
もちろん、まだ上司には認めてもらえていないけれど。僕の企画が斬新すぎるのかもしれない。でもそのうち、きっと僕の企画の魅力に気づくはずさ。
僕がこの本に出会ったのは、偶然なのか必然なのか、それとも誰かが仕掛けたのか。ある日、いつものように大量に送られてきていた出版企画書の中を、あっぷあっぷと泳いでいた僕の前に、この本は突然現れた。
封筒の上から、もう中身が固い本だと分かる。自費出版した本をうちの出版社から出し直したい、なんて企画かなと最初は思った。うちはそういうのは受け付けてないから、即ゴミ箱行きかなあなんて思いながら、封を開けたんだよね。
入っていたのは、本だけ。うちの会社のサイトにある通り、出版企画書を送るときには、個人情報やら章立てやらを送ってもらうことになっている。
本だけを送ってくるなんて、もっての外。奇をてらって読んでもらおうとしたのかな、そういうの逆効果なんだよね、と思いながら、なんとなくパラパラと本をめくった。そして、惹き込まれてしまった。
「『ずっと君に、言わなきゃいけなかったことがあるんだ』
直志は、真剣な眼差しで美也を見つめた。
『実は僕は、格闘りんご農家になりたいんだ』
直志の予想とは裏腹に、美也は驚かなかった。
『ええ、知っていたわ』
『闘技場で闘うあなたを、メッセージで導いていたりんご農家の先輩は、私だもの』」
いやあ、良かったなあ〜。格闘りんご農家になりたいことを隠していたはずの直志。全て知っていて、手のひらで転がしていた美也。闘うりんご農家さんたち。「紅玉! 紅玉!」の声援が止まない闘技場。
大ヒットの予感がした。気づいたら、一時間で読み終えてしまっていた。
僕は、送り主を探して本のページをめくったり、封書を裏返したりした。でも、ヒントが何もない。「もしも、あのとき」という題名で、ネット検索もしてみた。似たような題名の本はあれど、この本は出てこない。ぜひこの本の著者と、次の企画について話してみたいのに。
もったいないなあ、なんて思いながら、僕は本を横によけておいた。もしかしたら、企画書を入れ忘れたことに気づいた著者から、連絡が来ないかななんて思ってね。
そしてその日も僕は、たくさんの夢のカケラたちと格闘した。たくさんの、叶わない夢のカケラたち。でも作家業だってビジネスだからね。
僕みたいな編集者が出世する方法。それは、ヒットを重ねて、発行部数を伸ばして、つまりは会社の収益に貢献することだ。
そのヒットを目指して、既に関係がある作家さんたちと打ち合わせをしたり、こうして未来の作家さんたちから送られてくる企画書に、目を通したりする。その繰り返しが、僕の日常だ。
その日もギリギリ終電に乗れた。さて、携帯小説でも読もうかななんて考えて、カバンに手を入れたら。あの本が入っていたんだ。
ちょっと焦ったよね。送ってもらった企画類は、原則社内でしか扱っちゃいけない。でもまあ、なんでか持って来ちゃったものはしょうがない。明日こっそり社内に戻そうと思って、また本を読み出したんだ。
その時だよ、この本が最初の奇跡を起こしたのは。
僕が最初にこの本を社内で読んだ時の内容は話したよね。でも、電車の中でもう一度この本を読んだ時、中身が全然変わっていたんだ。
「『ずっと君に、言わなきゃいけなかったことがあるんだ』
『僕は実は、僕っ子。女の子さ』
直志の予想とは裏腹に、美也は驚かなかった。
『ええ、知っていたわ』
『あなた、私よりも胸おっきいもの。きいいーっ!』」
感動巨編だったはずなのに、女性同士のキャットファイトになったんだ。この作品も、大ヒットではないかもしれないけれど、一部の層には深くアプローチできるかもしれない。あ、これは決して、僕の個人的な嗜好じゃないよ。
なんてことを言っている場合じゃなかった。本の内容が、変わっていたんだ。
そりゃ僕だって最初は、働きすぎて自分がおかしくなったのかと思ったよ。だから、本を会社に戻さず、家の本棚に放ったんだ。
でも次の日の夜。また日付が変わって帰宅する僕を、この本がテーブルの上で出迎えていた。これだけだと、まるでホラーみたいだけど、違うんだ。確かに、見つけた瞬間ビクッとはしたけど。
そうそう、中身がまた変わっていたんだよ。直志と美也は、ペアのヨガ講師になって全国を巡っていた。終わりに、簡単なヨガのポーズの紹介があった。ちなみに、バキバキの背中にはキャットアンドカウがおすすめみたいだよ。
奇跡は、起こる。無名だった作家さんが、突然売れっ子になるように。無名だった編集者が、突然ヒットを飛ばして編集長になるように。僕にだって、奇跡は起きていいはずだ。
別に、この本をそのまま企画に使える訳じゃない。結末が変わる本だなんて、どうやって量産して出版していいのか分からないし、そんなことはそもそもできないんだろう。この本は、僕だけのワンアンドオンリーさ。
でも毎日毎日、たくさんの企画書を読んで、もう何がいいのか分からなくなっていた僕には、この本の刺激は必要だった。
闘うりんご農家さんたちのように、感動的な何か。僕っ子のように、魅惑的な何か。そしてペアヨガ講師のように、癒しをくれる何か。そんな何かを、僕は探し始めた。
最初に目が留まったタイトルは、こんなものだ。
『親の七光り〜輝きの頂点を目指して』
これは自伝か何かかな、と思ったら違った。親に反発していたアイドルが、業界でのしあがるために泣く泣く親の七光りを使って売れっ子になるという、感動もののお仕事小説だった。
『レーズンに恋して』
これはレーズンばかりのレシピ本かな、と思ったらまた違った。食べ物のレーズンと、人間の恋物語だった。オブジェクトセクシャルというやつかな? 魅惑の一つではあるだろうね。でもレーズンって消費期限あるよな。別れまで考えると、感動ものかな? 魅惑でいいか。
そして癒し。
『干からびた植物図鑑』
日向を他の植物やカーテンに取られて、ちょっと干からびてしまった植物たちのスナップショットだ。かわいいし、愛おしい。
完璧だ。今度の企画会議に出す三つが、これで定まった。僕は上機嫌だった。
だけど、やっぱりダメだったんだ。
「田所くん、何がしたいんだ?」
編集長は、呆れたように僕に問いかけた。
「感動と、魅惑と、癒しを読者に届けたいんです」
ついでに、ヒットを飛ばして出世したいんです、とは言わなかった。でも、バレていたのかもしれない。そんな気がした。
「それが悪いとは言わん。だがもう少し、選球眼を磨け。今回のような企画ばかりだと、全く売れないぞ」
僕の企画は、また斬新すぎたみたいだった。企画会議が終わる。僕が読者に届けてあげられなかった夢のカケラたちが、また砕け散ってしまった。
不甲斐ない。胸がズキンと傷んだ。もっともっと、頑張らないとな。
僕には、あの本がついている。まだまだ、面白い方向性を見出してみせるさ。
直志と美也の物語は、相変わらず可能性で煌めいていた。
「『ずっと君に、言わなきゃいけなかったことがあるんだ』
直志は、弱々しい瞳で美也を見た。
『冷凍庫にものを入れたからといって、永遠にそれが食べられるわけじゃないよ』
彼のお腹はピーピー言っていた。
『信じないわ』
美也は断固として認めなかった」
それから僕は、何度も企画を上げた。やる気に満ちあふれていた。
でもそんな僕でも、流石に五度目の企画会議で全部が没になった時、おかしいなと思い始めた。なんでどれも通らないんだろう。それでも何回も何回もチャレンジする。でも通らない。
僕は次第に、やる気をなくしていった。燃え尽きた、というのかもしれない。
気がつけば、企画会議でもあまり企画を上げないようになっていた。
「田所くん」
編集長が僕を呼ぶ。
「企画はどうした? 最近、上げてこないようだが」
「本当にいいのをいくつか、見繕ってるんです」
僕はそう嘘をついた。本当は、何がいいのかなんてまた分からなくなっていた。
「そのうち、また上げますよ」
そう言ってしまった手前、また企画書を作らなくてはいけなくなった。送られてきている出版企画書の山をまたガサゴソして、宝を探す。
毎日送られてくる出版企画書を読んでは、また終電で帰ってあの本を読む。あの本を読むことだけが、日常の楽しみになっていた。
純文学の直志と美也。時刻表トリックの直志と美也。異世界ラブコメの直志と美也。
正直、こんなにたくさんのジャンルを横断して読んだのは、人生で初めてかもしれなかった。僕は、どんどんあの本にハマっていった。
一方で、企画書を読む目は厳しくなっていった。
「この企画には、愛がない」
「この企画は、どのジャンルにも当てはめられない」
足りないところばかりが目につく。それもそうだ。全てを兼ね備えていて、全ての物語になれる本。そんなものを毎日読んでしまっているんだから。
とうとう僕は、百通の応募があったら百通を全て没にする編集者になってしまった。前はあんなに、色んなものに可能性を見出せていたのに。
そんな僕を見かねたのか、編集長が飲みに誘ってくれた。自分では行けないような洒落たバーに連れていってもらえると聞いて、しっぽを振るかのように二つ返事でお願いした。
そのバーはシックな茶色い床と壁に包まれた、高級そうなのに優しい空間だった。
「何を飲む?」
「あ、と分からないんですけど、おすすめありますか?」
「よし、マスター、この人に合いそうなものを」
そう簡単に注文する編集長が、本当に大人に見えた。僕ももう社会に出てしばらく経っていたけれど。大人って、年齢を重ねただけじゃなれないもんなんだな。
もしかすると、ヒットを飛ばして編集長になろうだなんて、まだまだ僕には早いのかもしれなかった。四角い氷の入ったウイスキーみたいなものが二杯運ばれてきた。グラスの持ち方だけは大人っぽくしてみたつもり。二人で軽くグラスを合わせて乾杯する。
熱い喉越しにキューッとなっていると、編集長が切り出した。
「最近どうだ?」
お酒のせいか、僕はなんだか泣き上戸と謝り上戸になっていた。
「しくしく……企画が全然出せなくて……ごめんなさい。くううー、ごめんなウイスキー、こんな僕に飲まれちゃって……でもうまいです」
「いや……それは良かった……」
後から思うと、編集長はそんな僕にちょっと引いていたかもしれない。でも、その時の僕はそんなことは全く感じ取れない状態だった。
「田所くん、企画を見るときに、何を重視して見ている?」
編集長は僕に聞いた。
「前は、楽しいかどうかで決めてたんです。どの企画も夢があって。読んでる僕も、楽しかったんです」
「でも今は……」
僕は言葉を繋げる。
「完璧な企画かどうか。それを見ています。でもそうしたら、何も上げられなくなっちゃったんです。くううーごめんな、企画たちよ」
「なるほどな」
編集長は言った。
「この先、もっともっと企画を読み続けたら、完璧な企画が見つかると思うか?」
その言葉に、僕は衝撃を受けた。見つかるわけがない。自分で言ったじゃないか、あの本は僕だけのワンアンドオンリーだって。
「……見つからないと思います」
僕は急にしおしおのぱーになった気分だった。
「分かってるんだな」
「はい……というか、今聞かれて分かりました」
じゃあ、でもどうすればいいんだろう。楽しい企画でもダメ。完璧な企画はない。
編集長は、慎重に言葉を選んでいるようだった。
「……もちろん、編集者が読んで楽しいことは重要だ。だが結局のところ、出版された本は誰が読むものだ?」
「読者の皆さんです……」
「そうだ。だから俺たち編集者は、自分が情熱をかけられる本の中から更に、読者さんたちにも楽しんでもらえる本を探さないといけない。それが選球眼だ」
「分かっている、と思います……でも、俺が選ぶと何かが違うらしいんです」
「そうだな……」
編集長は、更に慎重に言葉を重ねた。
「君の嗜好と、世間の楽しめるものが合っていないんだろうな」
頭がガーンと何かにぶつかったような気になったのは、編集長の言葉のショックか、ウイスキーのせいか。もちろん、言葉のほうだった。
「……ううう、ごめんなさい、会社もこんな僕に就職されてしまって」
「落ち着け。選球眼は、磨くことができる。今、世間で売れている本を読んでいるか?」
そう聞かれると、読んでいなかった。自分が好きな、一冊の本だけをずっと読んでいたから。でもそれは答えられなかった。
「一応、いろんなジャンルの本は読むようになってきました」
「そうか、じゃあそれを続けてみることだ」
編集長は、僕の努力を認めて励ましてくれた。それが、とても嬉しかった。
「もう一杯飲むか?」
「いえ」
僕は断った。
「今から、本屋に行きたい気分です。今、売れている本を見に」
「そうか」
編集長は、ご機嫌に笑った。彼も、少し酔っていたのかもしれなかった。
バーを飛び出して、僕は本屋へと走った。不思議ともう、酔いは覚めていた。本屋に着き、カゴを持って大量の本を買い込む。
実用書。異世界転生。ラブコメ。ミステリー。歴史小説。ちょっと怖いけど、一冊だけはホラーも。
その日初めて僕は、あの本を読まなかったんだ。読みたかったよ。でも編集者としてやっていくために、自分が慣れ親しんだものだけを読んでちゃダメなんだって教わったから。
そして意外な発見。買ったどの本も、面白かったんだ。実用書では、バキバキの背中に効くヨガのポーズをもっと仕入れられたし。異世界転生では、世界観の設定に感心した。他の本も、新しい発見がたくさんあったんだ。
……ホラーだけは、夜中に読んで後悔したけど。それだけいいホラーだってことだよね。この本は本棚の隅っこの、あまり目につかないところに置かせてもらった。
翌日僕は、送られてきていた出版企画書たちと新たな気持ちで向き合った。僕が楽しめる企画。でも読者さんも楽しめるもの。そして何より、完璧じゃなくてもいい。
一つ一つ、大切に読んでいく。これはタイトルが地味だけど、設定が面白い。これは文章は荒削りだけど、主人公が魅力的だなあ。そんな風に。
そして、三つの企画を選び取った。ドキドキした。直志に色々と告白される時の美也って、こんな心持ちだったのかなって思ったよね。
そしてその次の企画会議で、そのうち一つが通ったんだ!
「田所くん、今回の企画はちゃんと読者さんが楽しめるかの視点が入ってたぞ。頑張ったな」
編集長も、そう言って労ってくれた。
僕は有頂天だった。やっぱり僕は、できるやつだったんだってね。
もちろんこれは、あの本のおかげでもある。忙しい中でも、毎日読みたくなるような本。そんな本と出会えたからこそ、色んなジャンルを読む力が育っていたんだから。
企画が通った日、僕はささやかにお祝いをした。編集長に奢ってもらったウイスキーと同じものを自分で買って、家で飲みながらあの本を読む。至福の時間だった。
「『ずっと君に、言わなきゃいけなかったことがあるんだ』
直志は美也をまっすぐ見つめて言った。
『好きです。付き合ってください」
夜景が煌めく。だが美也の目はそれよりも煌めいていた。
『……遅いよ。でも……嬉しい』」
いいなあ、ラブロマンス。僕にも、素敵な恋人が現れないかな。そんなことを思いながらあの本を読んだ、最後の時。
なんで最後かって? 実はその後、本の結末が変わらなくなっちゃったんだ。
最初は焦ったよ。魔法が解けちゃったのかもって。僕だけのワンアンドオンリーがなくなっちゃったんだって。今までのことが僕の妄想だったんじゃないかって、自分の正気を疑いもした。
もう一度でいいから、変わってくれ。そう思ったよ。でも時間がたつにつれ、変わらなくてもいいかなって思い始めたんだ。
あの本はきっと、僕のために変わる役割を終えたんだ。
あの本を通じて色んなジャンルを読み続けた経験は、確かに僕の中に積み重なっている。だから妄想でも、夢でも無かったって分かるんだ。
きっとシンデレラの物語みたいに、魔法自体は十二時で解けちゃうんだね。でも、その後の現実で王子様がやってくるように、僕も相変わらず編集者として腕をふるえてる。
だからいいんだ。
あの本はどうしたかって? しばらくは大事にとっておいたんだ。でも、そのうち古本屋に持っていったよ。まさか買い取り価格が十円だなんて思わなかったけれど。まあ古本屋さんから見たら、普通の本だもんね。
大切な本だから、もっと価値を認めてもらいたい気持ちもあったけど。こちらをジロリと睨む怖い古本屋さんを前に、価格交渉なんてできっこないよ。お手上げさ。
きっとあの本は、他の誰かのためにまた結末を変える。そんな予感がしたから、僕とは涙と感動のお別れ。でもきっとどこかで、誰かの、新しい物語が始まってるはずさ。少なくとも、僕はそう思ってる。
読んでいただいて、ありがとうございました!




