第一話 親指の疼き
朝、目を覚ますと、右足の親指だけが寒かった。
布団の中で足を動かすと、かさりと乾いた音がした。
葉っぱを踏んだような、薄い陶器が割れたような音だった。
私は眠気を抱えたまま布団をめくり、自分の足元を見た。
履いていたはずの五本指ソックスが、右足だけ破れていた。
それも、ただ穴があいたのではない。
親指の先だけが裂け、その裂け目から小さな白い破片がこぼれていた。
爪ほどの大きさで、表面はなめらか、裏側はざらついている。
拾い上げると、ひどく冷たかった。
昨夜、こんなものはなかった。
私は一人暮らしをしている。
部屋は六畳、台所は狭く、玄関には靴が二足だけ。
誰かが忍び込んだ気配もない。窓の鍵もかかっている。
なのに、布団の中に破片がある。
しかも、その破片には、細い線が刻まれていた。
目を凝らすと、それは地図のようにも見えた。
川のような曲線、門のような四角。
そして中央に、小さな城の絵。
私は笑った。
寝ぼけているのだと思った。
夢の続きだ。
昨日の夜に食べたせんべいの欠片か?
そう思って破片を机の上に置き、コーヒーを淹れようと立ち上がった。
その瞬間、足元が傾いた。
部屋の床が海の上の板切れみたいにぐらりと揺れた。
壁のカレンダーがふくらみ、天井の蛍光灯が遠ざかっていく。
私はバランスを崩し、思わず机の上に手をついた。
指先が、破片に触れた。
冷たさが腕を駆け上がった。
次に目を開けたとき、私は城の前に立っていた。
灰色の空。
垂れ込めた雲は低く、まるで石でできているように動かない。
目の前には巨大な城がそびえていた。
塔が五つ。細長い塔が、指のように並んでいる。
親指のように太い塔。
人差し指のようにまっすぐな塔。
中指のように高い塔。
薬指のように少し傾いた塔。
小指のように小さく鋭い塔。
足元を見ると、私はまだパジャマのままだった。
そして右足には、破れた五本指ソックス。
親指だけがむき出しになっている。
「……寒い」
私はそうつぶやいた。
ここがどこなのか、どうして来たのか、まったく分からなかった。
ただ一つ確かなのは、夢にしては風が冷たすぎた。
城門は閉ざされていた。
門の前には誰もいない。
旗もない。鳥も飛んでいない。
城の壁には無数のひびが入り、そのひびの一部が白く光っている。
近づいてみると、白い部分は欠けた跡だった。
まるで、何かの破片が抜け落ちたような。
私はポケットを探った。
――パジャマにポケットはなかった。
机の上に置いたはずの破片も、手の中にない。
だが、足元に一つ落ちていた。
布団の中で見つけたものと同じ白い破片。
私はそれを拾い、城門のひびに近づけた。
すると破片が震え、門の中央に吸い寄せられるように貼りついた。
重い音がした。
ご、と城が喉を鳴らしたような音。
門が少しだけ開いた。
中は暗かった。
私は戻ろうと振り返った。
けれど、背後にあったはずの道は消えていた。
灰色の霧だけが、音もなく広がっている。
裸の親指が、石の上でひどく冷えた。
私は城に入るしかなかった。




