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第18話:『迷子の消しゴム ――小さな捜査網――』


「……あれ?」


一時間目の数学が始まる直前。

窓から差し込む朝の光の中、高橋くんが筆箱の中を覗き込み、不思議そうに首を傾げた。


「どうした?」

隣の席の佐藤が、教科書を机に放り投げながら聞く。

「消しゴムが見当たらないんだ。昨日までは確かにあったんだけど……」

「消しゴムぅ? そんなもんその辺に落ちてんだろ」


佐藤は気楽にゲラゲラと笑った。



だが――。

高橋くんの机の内部では、その瞬間、未曾有の緊急事態が発生していた。


『大変だァァァ――っ!!』

筆箱の小人が短い足をフル回転させ、机の中を大パニックで駆け回る。


『高橋様の消しゴムさんが行方不明です!!』

『何だって!?』


ガタッと音を立てて、定規の小人が厳めしい顔で立ち上がった。

『最後に確認されたのは昨日の六時間目だ!!』

『全員、直ちに捜索体制へ移行!!』


高橋くんの持ち物たちは一斉に動き始めた。

主人譲りの真面目さで。

主人譲りの大袈裟さで。

まるで国家存亡の危機に直面したかのように。





『机内部、異常なし!』

『筆箱内部、異常なし!』

『教科書の下も確認済みです!』


次々と緊迫した報告の通信が飛び交う。だが、肝心の消しゴムは見つからない。


『そんな……』

筆箱の小人がガク然と青ざめた。


『高橋様は今日、小テストがあるんですよ!?』

『消しゴムなしでどうやって戦えというんだ!』

『これは由々しき事態です。我が班の防衛線が崩壊する……!』


周囲の小人たちも一斉にざわつく。


その時だった。

隣の机から、野太い声が飛んできた。


『情報提供だァァ!!』


佐藤のノートの小人たちだった。

『昨日の放課後! 消しゴムさんが机から転落するのを見た奴がいる!!』

『本当か!?』

『証言者をここに呼べ!!』


緊迫した空気の中、おずおずと現れたのは床タイルの小人だった。

『確かに見たよ。消しゴムさんは重力に従って落下した』

『その後は!? どっちへ行った!?』

『……そこまでは分からない』


一同にピリッとした緊張が走る。事件は思ったよりも根が深かった。





二時間目が終了した休み時間。

教室全体の小人ネットワークは、すでに最大稼働を始めていた。


『窓際方面に移動した可能性あり!』

『いや、清掃用具入れ方面だ!』

『待て! 新たな目撃証言だ!』

『何!?』

『昨日、佐藤の肘が、高橋の机を強打した!!』



一瞬の沈黙。そして。


『『『犯人は佐藤だァァァ――っ!!』』』

『やっぱり!!』

『あいつの雑な歩き方のせいか!!』


『待て待て待て!!』


佐藤のノートの小人たちが、主人譲りの猪突猛進な大雑把さで必死に抗議の声を上げた。

『証拠はあるのか!!』

『主人は確かに雑だし、歩き方もデリカシーがないが、悪気はない!!』

『それは認めるんだな!?』

『認める!!』


『『『じゃあやっぱり佐藤のせいじゃねえか!!』』』


教室中の小人たちがひっくり返って大騒ぎになる。

一方その頃、人間側の世界では。


「佐藤くん、昨日また僕の机に体ぶつけてたよね」

「え? ぶつけたっけ?」

「ぶつけてたよ。結構大きな音したし」

「覚えてねぇ!」


ただそれだけの、いつも通りの呑気な会話が交わされていた。


忠敬は自分の席で感想文を書くフリをしながら、脳内に響き渡る小人たちの”佐藤裁判”の狂騒を完璧なスルースキルで聞き流していた。左手首のクロノが、気を利かせて何も喋らない代わりに、呆れたようにトントンと小さな振動を返してくる。



昼休み。

捜査は完全に迷宮入りし、行き詰まっていた。


『消しゴムさん……どこへ行ってしまったんですか……』

筆箱の小人が完全に涙ぐんでいた。


高橋くんの消しゴムは、この中では最古参の相棒だった。入学時からずっと一緒に使われている。

何度も削れながら。

何度も文字を消しながら。

主人の地道な努力を、一番近くでずっと見守ってきたのだ。


『無事だといいんですが……』


その時。

教室の遥か後方から、鼓膜を突き破らんばかりの叫び声が響き渡った。



『発見―――っ!!』



全員がハッとして振り返る。

掃除ロッカーのフチに立つ小人が、拡声器を片手に叫んでいた。


『発見しました!!』

『どこだ!?』

『机列最後尾! 窓際二列目のデッドスペースだ!』

『生きているのか!? 摩耗レベルは!?』

『元気です!!』


『『『おおおおおっ!!』』』

教室中の物たちが、一斉にバンザイをして大歓声を上げた。





現場。そこは机と壁の、ほんのわずかな隙間だった。

埃まみれになった白い消しゴムが、ぽつんと挟まっている。


『皆さん……』


消しゴムの小人は、全身の土汚れを少し照れ臭そうに払いながら笑った。

『ご心配をおかけしました』


『無事だったかぁぁ!!』

『生きてた!!』

『よかったぁぁ!!』


集まってきた仲間たちが涙を流して抱き合う。消しゴムの小人も、その様子に目を潤ませた。

『昨日、佐藤くんの肘が当たって、勢いよく転がりまして』

『ほら見ろ、やっぱり佐藤の仕業だ!!』

『だから待てって! 悪気はなかったんだって!』


佐藤のノートの小人たちが再び必死に擁護し、周囲の小人たちから一斉に突っ込まれて爆笑の渦が巻き起こっていた。







そして放課後。

クラスメイトたちが下校し、静かになった教室で、忠敬は何気なく床へと視線を落とした。


机と壁の隙間。

そこには、小人たちの情報通り、白い消しゴムがぽつんと落ちていた。


『潜木くん!!』

高橋くんの筆箱の小人が、机の上でピョンピョンと飛び上がる。

『見つかったんです! ここなんです!!』

「……ああ、ここな」


忠敬は周囲に誰もいないことを確かめ、小さく呟いてしゃがみ込み、その消しゴムをそっと拾い上げた。


『長かった……』

『本当に長い大捜査線だった……』

『これでようやく、高橋くんの元へ帰れますね……』


掌の上で、そして机の周囲で、無機物の仲間たちが一斉に感涙にむせび泣いている。

忠敬はそれを見つめ、少しだけ苦笑した。


たった一個の、どこにでもある消しゴム。

人間から見れば、失くしたら新しいものを買えばいい、ただの文房具だ。

だが、この小さくもうるさい小人たちにとっては違う。それは代わりのきかない、かけがえのない大切な仲間なのだ。


忠敬は何も言わず、埃を指先で軽く払うと、高橋くんの空っぽの机の上へ、その消しゴムをそっと置いて教室を後にした。





翌朝。


「あっ!」


登校してきた高橋くんが、自分の机の上を見て嬉しそうな声を上げる。

「見つかった! よかった……!」


心底安心したように優しく微笑む主人の姿を見て。

机の上では、すっかり綺麗になった消しゴムの小人が、小さな胸をこれ以上ないほど誇らしげに張っていた。


『おはようございます、高橋くん。今日もお勉強、一緒に頑張りましょうね!』


もちろん、その声が人間の耳に届くことはない。

けれど。

彼らにとっては、それで十分だった。




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