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『緋色の傭兵団の物語』「ブリタニア編」  作者: 嵗(sai)
第十五部:連合の胎動

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第6章:極致の双影、あるいはクリィ・アランの継承

1. 戦場の合理、剣技の超越


「これからは、俺の攻めの番だ」


独りごちた俺の声は、激しい呼気とともに白く消えた。


俺は両手の双刃をだらりと下げ、脱力する。右足を半歩引き、重心を深く落とした。嵐の前の静寂。その均衡を破ったのは、ドゥーガルだった。


「おおおおおっ!」


ドゥーガルが脇構えから地を這うような加速で肉薄する。神速の踏み込み。だが、俺の目はその「起こり」を捉えていた。


今だ!


俺は右手の刀を、渾身の力で相手の顔面へ投げつけた。


「ぬっ……!」


ドゥーガルが反射的に刀を振るい、飛来する鉄塊を弾き飛ばす。だが、その刹那、彼の完璧な体勢に微かな揺らぎが生じた。


「ここだッ!」


俺は残った左の一刀を両手で握り締め、全体重を乗せて叩きつけた。


――ぎぃぃぃぃん!!


硬質な衝撃が腕を伝い、脳を揺らす。捕らえた。


火花が散る至近距離での鍔迫り合い。俺は獣のような咆哮とともに、泥を蹴ってドゥーガルを押し込んでいく。ドゥーガルは後退を余儀なくされる。だが、俺は一寸の隙も与えない。


強引に刀をかち上げ、その勢いのまま斜め上から袈裟に斬り下ろす。


「ぎんっ!」


捌かれる。だが、止まらない。


首! 胴! こめかみ! 腿!


鋼が噛み合い、火花が夜の闇を焦がす。


真っ向斬り、逆袈裟、水平の一文字。突き、払い、そして再び左からの逆袈裟!


ぎんっ! ぎゃりん! ぎんっ!


斬撃の雨。俺の意識は加速し、世界がスローモーションに沈んでいく。


「うおぉぉぉぉぉ!!」


渾身の力で再び鍔が競り合う。その密着した距離から、ドゥーガルが神速の突きを放った。


死の予感。


咄嗟に首を捻るが、鋭い切先が俺の頬を裂いた。


「――っ!」


一筋の鮮血が宙を舞う。だが、その痛みこそが俺の求めた「隙」だった。


俺は刀から右手を放すと、ドゥーガルの襟を掴み、その慣性を利用して地面へと投げ落とした。


ドゥゥゥンッ!


大石が落ちたような衝撃音が広場に響く。俺はそのままドゥーガルの上に覆いかぶさり、鳩尾へ鋭い肘打ちを叩き込んだ。


「がはっ……!」


呼吸の止まったドゥーガルの喉元へ、左手の刃を静かに、しかし確実に突き立てる。


「そこまで! そこまでじゃ!!」


テツザンの野太い声が、熱狂の渦を切り裂いた。


勝利の天秤は、泥に塗れた俺の方へと、静かに、しかし決定的に傾いた。


________________________________________


2. “果たし合い”と“戦場”の境界線


俺は首筋から刃を引き抜くと、そのまま仰向けに転がり、大の字になって大気を貪った。


「はー……はー……っ、ふぅ……」


肺が焼ける。空を見上げれば、無数の星が冷たく輝いている。かろうじて、死の淵から勝ちをもぎ取った。


周囲を見渡せば、ガーブが満足げに何度も頷いている。対照的に、ダン・ネスの住人たちは、古の長が「外様」に組み伏せられた光景に、驚愕と動揺を隠せない。ざわざわとした囁きが波のように広がっていく。


俺の隣で、ドゥーガルが力なく起き上がった。彼は無言で刀を鞘に納めると、立ち上がろうとして膝を折った。


「……老いには勝てん、ということか」


その自嘲気味な呟きに、俺も身体を起こして首を振った。


「ドゥーガルさん、それは違います」


彼が不思議そうに俺を見る。


「違う? 何がだ。私は負けたのだぞ」


「純粋な“果たし合い”なら、貴方は俺より遥かに強い。あの抜刀をまともに受ければ、俺の命はいくつあっても足りない。……俺は、果たし合いというルールから逃げたんです」


俺は自分の汚れた手を見つめた。


「俺がしたのは“戦場の戦い”だ。手段を選ばず、隙を作り、泥に塗れてでも相手を仕留める。その違いが勝敗を分けたに過ぎません。所詮は初見殺しの策です。再戦すれば、俺は一秒も持たずに斬られるでしょう」


「……再戦などあり得ん」


ドゥーガルは遠くを見つめ、静かに言った。


「戦場での負けは“死”そのものだ。君は私を殺せた。そして生き残った。それがすべてだ」


彼はそれだけ言い残すと、足を引きずりながらムシンの元へ歩み寄った。何事かを耳打ちする。


俺は放り投げた双刃の片割れを拾い上げ、鞘に収めた。仲間たちの元へ戻ると、ガーブがいつも通りの調子で出迎えてくれる。


「シン、おつかれー。すごかったねー」


「ああ……寿命が縮まったよ」


俺は、隣で静かに闘志を研ぎ澄ませている男――ハンスを見た。


彼の視線は、初めから一度もオ・ブライアンから逸れていない。


「ハンス。……お前の“すべて”を出してこい。勝っちまえ」


ハンスは目だけを俺に向け、短く、重厚な意思を込めて頷いた。


「……分かっている」


彼が一歩前へ出る。


応じるように、眼帯の男、オ・ブライアンが歩み出た。


二人の距離は、わずか五歩。そこで、世界が止まった。


「小僧。俺は、先ほどの二人とは違うぞ?」


ハンスはその挑発に揺らがず、静かに、氷のような言葉を放った。


「……『しのび』。ですね」


オ・ブライアンの右目が、驚愕に大きく見開かれた。


「……知っていたのか?」


「諜報の任に就いていた頃、その特異な存在を耳にしたことがあります。影に潜み、理を外れる者たち」


オ・ブライアンが、喉の奥でくぐもった笑い声を上げた。


「……そうか。ならば、もはや遠慮はいらんな」


彼は左目の眼帯を乱暴に引きちぎった。


眼帯の下には、死んでいない、鋭い眼光を放つ左眼があった。


「師匠が眼帯を外した……!」「本気だ、本気の師匠の技が出るぞ!」


観衆のざわめきが最高潮に達する。


空気が一変した。テツザンの剛気やドゥーガルの神速とは違う。気配が霧のように拡散し、希薄になっていくような、奇妙な感覚。


「用意はいいか?」


テツザンの声。


オ・ブライアンは刀を抜き、あえて鞘を地面に捨てた。ハンスも愛用の小刀を抜き、重心を低く構える。


「――“武威を示せ”!」


________________________________________


3. 霧の暗闘、クリィ・アランの真実


ゆらり、と。


オ・ブライアンが揺れる陽炎のように近づいていく。刀を構えるでもなく、無造作にぶら下げたまま。


一足一刀の間。二人は至近距離で見つめ合う。


だが、そこにあるはずの殺気が、闘気が、まるで感じられない。ごく自然に、ただそこに立っているだけのような。


「ほう。その境地にまで達しているか。大したものだ」


オ・ブライアンの声と同時に、光景が爆ぜた。


「ぎんっ!」


下からの鋭い斬り上げ。ハンスが小刀でそれを受け止める。


(……見えない!?)


速いのではない。予備動作が、筋肉の動きが、一切知覚できないのだ。


オ・ブライアンは再び、ゆらりと後退して距離を置く。


「あれ……? あのじいちゃん、消えていく?」


隣にいたガーブの呟きに、俺の背筋が凍った。俺だけじゃない。観衆の誰もが、彼の「存在感」を見失いかけている。


ふっ、と空気が動いた。


咄嗟にハンスが小刀を首筋へ走らせる。


ぎぃん! どがっ!


「ぐはっ……!」


ハンスの身体が後方へ吹き飛ばされる。


首への斬撃をガードした瞬間、ガラ空きの腹部に拳を叩き込まれたのだ。


「何だ、今の技は……! 全然見えねぇ!」


俺の叫びも虚しく、ハンスは一回転して膝をつく。彼は必死に視線を泳がせ、消えた敵を探している。


「ほえー、すごいねー」


ガーブが呑気に感心している。


「ガーブ、お前には見えているのか?」


「うーん……見えないよ? でも、どこにいるかは『分かる』。ほら、そこ」


彼女の指差す先には、何もない空間。……いや、そこから刃が飛び出した!


がきんっ!!


刃が交差する金属音だけが響く。ハンスが大きく飛び退き、小刀を横一文字に振るうが、手応えはない。


「ひゅんっ!」


目に見えぬ投擲。ハンスはさらに後退し、投げナイフで応戦するが、それも虚空を貫く。


「……ふぅーっ」


ハンスが、深く、長く呼吸を吐いた。


「そうか。……そういうことか」


彼は静かに、その構えを解いた。そして――。


――ゆっくりと、両目を閉じた。


ゆらり。


ハンスの身体が、意志を持たぬ柳のように傾く。


ざんっ!


虚空から放たれた一撃を、目を閉じたまま回避した。


くるりと向きを変え、再び ざんっ!


飛び退き、翻る刃。目に見えぬ死神とのダンス。


ぎんっ! ぎゃりりりっ!


激しく打ち合う刃鳴り。ハンスは回転しながら攻撃を受け流し、一瞬の隙を突いた。


ぎんっ! どがっ!!


小刀で刃を受け止め、その懐に潜り込んで渾身の突きを繰り出す。


「うおぉっ!?」


虚空から、オ・ブライアンの姿が弾き出された。胸を押さえ、苦悶の表情でよろめく。


ハンスの「視えない一撃」が、その胸板を捕らえたのだ。


「貴様……なぜ、その技を使える!?」


オ・ブライアンの驚愕の声。


「へー、これが本物なんだ。でもハンスも負けてないね」


ガーブの言葉に、俺は確信した。


そうだ、あれが……『クリィ・アラン(Cridhe-lann)』。


かつてハンスが語っていた、虚実を転換させる謎の戦闘術。


――視えず、匂わず、触れず。無形にして有形。ただ死体のみがその痕跡を語る。


知覚されることなくどこへでも忍び寄る、伝説の暗殺剣。


「なぜ、お前がこの技を知っている?」


オ・ブライアンの問いに、俺の脳裏にある男の顔が浮かんだ。


憂国の騎士団時代、ハンスの師匠だった片目の男。あのおっさんのルーツも、このクリシュ・アランにあったのか。


「……ドナルの親父に教わりました」


「ドナル……? そうか、ドナル・マク・リアムか! あいつ、里を出て傭兵になっておったのか……」


オ・ブライアンは驚いたように呟き、どこか遠い目をした。


「あいつはどうしている? 達者か」


「……もう、死にました」


「そうか……」


ハンスの短い答えに、老剣士は天を仰ぎ、静かに目を閉じた。


「……では、孫弟子の出来を、この身で確かめさせてもらおうか!」


再び目を開いた時、彼の双眸には先ほど以上の峻烈な光が宿っていた。


「仕切り直しだ。手加減なしで行くぞ!」


「……望むところ」


二人の間の空気が、凍てつくように張り詰める。


じり、じり……と、ミリ単位で間合いを詰める二人。一足一刀。


静寂。一秒、二秒――。


がきィィィンッ!!


刀と小刀が正面から衝突し、火花が夜の広場を照らす。


すれ違いざま、オ・ブライアンが反転しながら投げナイフを二本放つ。ハンスは地面に伏せてそれを回避し、バネのように跳ね起きる。


だが、その視線の先には、すでに横薙ぎの刃が迫っていた。


しゅんっ!


ハンスは左手のナイフで直刀の側面を滑らせ、上体を限界まで反らす。


前髪が数本切り飛ばされるほどの紙一重。だが、ハンスはその勢いを殺さず、回転しながら足を蹴り上げた。


「ぐっ……!」


オ・ブライアンが首を振って回避するが、その頬に鮮やかな一筋の跡が刻まれる。


ハンスはさらに勢いを活かして後方へ一回転。低く構えたまま、足払いを仕掛ける。


オ・ブライアンは真上へ跳び上がり、着地と同時に強烈な踵落としを見舞う!


「っ!!」


ハンスは右手の小刀を逆手に構え、間一髪でそれを防ぐ。だが、ただ防いだのではない。刃の返しが、オ・ブライアンの足に深い傷を刻んでいた。


オ・ブライアンが飛び退き、自分の足首を見る。そこからは鮮血が噴き出していた。


「……足を潰した程度では、止まらんぞ」


彼は不敵に笑い、再びゆっくりとハンスへ歩み寄る。


「あと一分か。……続きをやろう」


(いや、まずい! ハンス、もう限界だ、止めろ!)


俺が叫ぼうとした瞬間。


「そこまで! そこまでじゃあ!!」


テツザンが再び二人の間に割って入った。


二人の視線が火花を散らしながら交差する。


「……ちっ、クリィ・アランの遣い手に出す技じゃなかったな。焼きが回ったか」


オ・ブライアンが、ふっと力を抜いた。


「認めるぜ。小僧……お前は、紛れもなくドナルの弟子だ」


その言葉を最後に、老剣士の身体が崩れ落ちた。


「ローカン!!」


「師匠!」「オヤジっ!!」


里の者たちが一斉に駆け寄り、彼を介抱し始める。


俺はまだ激しく肩で息をしているハンスに歩み寄り、その肩に手を置いた。


「ハンス。……大丈夫か?」


「あ……ああ……」


ハンスは自分の小刀を、まるで初めて見るもののように見つめていた。


「……まだ、未熟だ」


「違う」


俺はハンスの肩に腕を回し、力強く言った。


「違うぞ、ハンス。……俺たち、強くなったんだ。あの化け物じみた長たちと渡り合えるくらいにな」


「……! ああ……。そう、だな」


ハンスの口元に、微かな、だが確かな誇りの色が浮かんだ。


俺は、オ・ブライアンが運ばれていった屋敷を見つめた。


これだけ暴れたんだ。……ようやく、まともな「話し合い」のテーブルにつけそうだな。


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