第2章:女王の雷鳴、あるいは不退転の憲章
1. 氷の糾弾、腐敗の断罪
アルバ・ロンダ城の重厚な扉が閉ざされ、円卓を囲む閣僚たちの間に、逃げ場のない沈黙が降りていた。
その沈謀を切り裂いたのは、玉座に座す若き女王イライザの、低く、しかし芯の通った声だった。
「――嘆かわしいことです」
その一言で、議場の温度が数度下がったかのように錯覚させた。イライザの瞳は、まるで曇りのない鏡のように、目の前の閣僚たちを冷徹に映し出している。
「国民の範たるべき閣僚の中から、あろうことか武器商人と結託し、あさましい収賄に手を染めて捕縛される者が出たこと。……私は、これを王国の恥辱であると断じます」
居並ぶ閣僚たちが、蜘蛛の子を散らすように視線を逸らす。イライザは畳み掛けるように言葉を継いだ。
「横領、収賄、取引詐欺。戦争の熱気が、彼らの良心を狂わせたのでしょう。ですが、狂っているのは彼らだけではありません。戦争という熱病は、往々にして人々を、そして国家そのものを狂わせるのです。私は、これ以上我が民が、名もなき人々が戦場で無益に血を流すことを……断じて許しません」
「で、ですが女王陛下!」
沈黙を破り、椅子を鳴らして立ち上がったのは、財務卿アーサー・シェフィールドだった。その肥満した顔は、焦りと憤怒で赤黒く染まっている。
「ブリタニアの再統一は、建国以来わがエンガードの悲願ではございませんか! 今ここで歩みを止めるなど、先祖への冒涜に他なりません!」
イライザは、その激情を柳に風と受け流し、静かに問い返した。
「その悲願のために……。数多の民に血を流させ、武力という暴力で他国の民を押さえつけることが、王道の歩みだとおっしゃるのですか?」
「国家安寧のため、多少の犠牲はやむを得ぬものでございます!」
「力で押さえつけることはできるでしょう。ですが、無理にねじ伏せた大地には、必ずや反作用の歪みが蓄積する。反発の火種が燃え上がったとき、ブリタニアは未曾有の混乱……自壊の炎に包まれるでしょう」
「そのようなこと、わが軍が起きさせはしません!」
「そして、その内乱の隙を突き、諸外国が飢えた獣のように侵攻してくる。内と外から食い荒らされ、ブリタニア王権国は歴史の藻屑と消えるでしょう。それが、あなたの望む『国家安寧』の結末ですか?」
「陛下! 何故そのように悲観的にお考えになるのか!」
シェフィールドは机を叩いた。
「それは未だ起きるかどうかも分からぬ不確かな未来の話! 臣は、今、この瞬間の勝利の話をしております!」
「過去の積み重ねの上に今があり、今の行いが未来を決定づけるのです」
イライザの視線が鋭さを増す。
「逆に問いましょう。何故、あなたはそこまで盲目的に楽観視できるのですか?」
「わが軍の力を信じてくだされ! 既にウルステア、ガレシアはエンガードの軍威に従っている。後は北のスカイウェールのみ! あそこの利権さえ手にすれば、ブリタニアは西方一の強国へと返り咲くのです!」
「……ウルステアの工業力、ガレシアの食料生産と労働力。それを『抑えている』と? あなた方は、政治という名の力尽くで、国という“殻”を支配しているに過ぎない」
「何をおっしゃる! 仕組みで、権力で支配することこそが政治そのものではないですか!」
「それで手に入るのは、中身のない空虚な殻です。民という“実”を守り、育むための殻。その中身である人心を集めずして、何が真の統一ですか」
「国あっての民! 陛下あっての民にございます!」
「違います」
イライザは断固として言い放った。
「民あっての国です。民あっての、私なのです。ブリタニアは一つ。王権とは、この大地に住むすべての民を守るために天から預かった権能に過ぎない。それを、同じ血を分けた同胞同士で相争う道具に使うなど……言語道断です!」
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2. 不退転の『憲章』
「もうよい。そなたらは一方の側面からしか世界を見ていない」
イライザはシェフィールドを射抜くような眼差しで見据えた。
「今後、ブリタニア内で同胞同士が戦火を交えることを厳禁する。これに背く者は、王権に対する反逆……“国賊”と断ずる」
「陛下ッ!」
「私は、戦い以外の方法でブリタニアを統一する。力でねじ伏せるのではなく、私は『宥和』をもってこの国を一つにする」
議場に嘲笑に近いざわめきが広がった。
「ははは! お戯れを! そのような弱腰で、ウルステアやガレシアの餓狼どもを御せるとお思いか!」
「勘違いしないでください」
イライザは冷然と言い放つ。
「私は、腐りきった政治家どもと宥和すると言っているのではない。私は、“民”と宥和すると言っているのです」
イライザは、背後に控えるグレヴィル軍務卿に手を差し出した。グレヴィルは恭しく、一本の古めかしい、しかし重厚な巻物を女王の掌に託した。
イライザは一度目を閉じ、深く、重く呼吸を整える。
「ここに、私が構想したブリタニア再編のための具体策を認めた。私はこれを、国境を超え、ブリタニア全土の民へ向けて開示する。これは私の不退転の決意である。特と見よ!」
彼女は議場の長いテーブルに、その「真実」を広げた。
『ブリタニア四国連合王権国憲章』
――ブリタニアを新たに『ブリタニア四国連合王権国』に再編する。
一、ブリタニア四国連合王権国の対外折衝、外交は、エンガードが担当する。
一、統治形態を、エンガード王権家の絶対支配から、四国代表(王または首長)による合議制に移行する。
一、合議の議長はエンガード、もしくは他三国より選出された者が担当する。
一、ブリタニア全土に関わる重要議事は四国代表の合意により決定する。
一、合意に至らぬ場合は、議長の裁決を最終判断とする。
一、国内外を問わず、あらゆる通行税を撤廃する。
一、理由を問わず、四国間の移動・移住の自由を完全に保障する。
一、個人の職業選択の自由を保障する。
一、宗教、文化、習慣、思想の自由を不可侵のものとして保障する。
一、度量衡(単位)を全土で統一する。
一、複雑な諸税を廃止し、透明性の高い『収入税』を導入する。
一、独自の四国軍を解体・統合し、『ブリタニア連合軍』を創設する。
一、国内で武装蜂起する者は、大義の如何を問わず賊として処断する。
エンガード並びにブリタニア四国連合王権国女王イライザ・エンガード
『八百万の神々と共に清明心で生きる』者として、ブリタニアの繁栄を願いこれを記す。
閣僚たちが身を乗り出し、その文字を追う。
「これは……!」「なんという無茶を!」「しかし、通行税の撤廃は経済に……」「いや待て、軍を解体だと!?」
怒号と驚愕が入り混じる中、シェフィールドが再び叫んだ。
「何を考えている! これではエンガードの特権が消滅する! 我が国の国力を自ら削ぎ、滅ぼす気か!」
「支配? 違います、これは国力の底上げです。民が自由に動き、商い、文化が混ざり合うことで、ブリタニアは真の巨人と化す」
「おのれ……! この、政治を知らぬ小娘め! エンガードを滅ぼそうとする売国奴め! 貴様などに王を名乗る資格はない!」
シェフィールドの敬語が剥落した。その瞬間、グレヴィル軍務卿が腰の剣を鳴らそうとするが、イライザは片手でそれを制した。
「……気に入らないか?」
「世迷いごとだ! 下層の民が抱く絵空事だ! ここにいる閣僚の誰一人として、こんな与太話に同調するものか!」
議場が、死を待つ森のように静まり返った。
イライザは静かに、獲物を追い詰める猟師のような冷徹さで問いかける。
「……シェフィールド財務卿。それは、この憲章が現実になれば、あなたの『私利私欲』が脅かされるからではありませんか?」
「は? ……何のことだ」
「エンガード商工組合、通商互助会、ガレシアの食品卸組合。あなたが裏で操り、法外な手数料を跳ね上げている組織のリストです。ウルステアの工業振興会からも、多額の献金が流れていますね?」
シェフィールドの顔から、一気に血の気が引いた。口を金魚のようにぱくぱくと動かし、言葉にならない呻きを漏らす。
「ラングフォード商務卿と結託し、戦時物資の流通を掌握して私腹を肥やす。……その便宜が図れなくなるのが、それほどまでに恐ろしいのですか?」
「なっ、貴様……!」
「召喚状は既に司法局から発行されています。……罷免の汚名を着たくないのであれば、今この場で辞表を出しなさい」
「……っ! この、小娘がぁっ! このまま済むと思うなよ!」
シェフィールドは椅子を蹴り飛ばし、議場から逃げ出そうとした。だが、その退路をグレヴィル軍務卿が瞬時に塞ぐ。
「どけ! 邪魔だッ!」
シェフィールドが腕を振り上げるが、グレヴィルはその太い腕を電光石火の早業で掴み取り、背後に捻り上げた。
「ぐあっ!? な、何をするッ!」
壁に叩きつけられたシェフィールドの顔が、苦悶に歪む。
「……ブリタニア女王陛下に対し、数々の暴言、不遜。これを見過ごせるとでも思っていたのか、シェフィールド」
グレヴィルは冷酷に腕を締め上げる。骨が軋む音が議場に響いた。
「がっ……! 馬鹿か、お前は! あんな子供の世迷い事に付き合って、エンガードが……!」
「まだ抜かすか!」
グレヴィルは容赦なくシェフィールドの脚を払い、冷たい大理石の床へ顔面から叩き伏せた。
「衛兵ッ! 衛兵を呼べ!」
グレヴィルの鋭い声に応じ、重装備の衛兵たちがなだれ込んでくる。
「逆賊シェフィールドを捕縛せよ! 女王陛下に対し反逆の意志を示したこの男を、即刻地下牢へ放り込め! 司法局への引き渡しまでは一歩も出すな!」
「離せッ! 儂は財務卿だぞ! こんな無体な真似が許されるかぁーッ!」
かつての権力者は、引きずられるようにして議場から連行されていった。その絶叫が遠ざかるのを待って、グレヴィルはゆっくりと議場の扉を閉じ、イライザへ一礼した。
「見苦しいものをお見せいたしました、女王陛下」
「……いいえ、助かりました。グレヴィル卿、席へ」
イライザは、凍りついたままの他の閣僚たちを一人ひとり、ゆっくりと見渡した。
「さて、皆さん。余計な雑音は消えました。“公”の立場で討議すべきこの場で、“私”の欲を語る者はもうおりません」
彼女の唇に、微かな、しかし揺るぎない自信に満ちた微笑が浮かぶ。
「今からは、前向きな話し合いができるものと期待しています。……では、改めて始めましょう。ブリタニアの、新しい朝のために」




