第1章:鉄理の終焉と、女王の静かなる開戦
1. 狂乱の殉教、あるいは絶望の突撃
カシウス・ライル団長の首が宙を舞い、シンの咆哮が戦場を支配したその瞬間、世界の動きは一度止まったかに見えた。しかし、それは束の間の静寂に過ぎなかった。
「……団長の仇ィッ!!」
「賊軍に報いを! 鉄理の誇りを示せッ!!」
主を失ったことで絶望に染まるかと思われた騎士団は、皮肉にもその絶望を狂気へと変質させた。統制を失った彼らは、もはや軍隊ではなく、死に場所を求める猛獣の群れと化して襲いかかってきたのだ。その攻撃は、団長が存命であった時以上の苛烈さをもって、グラス・ガレスの防衛線を削りにかかる。
だが、その狂瀾も、集結した「本物の怪物たち」の前では虚しい足掻きに過ぎなかった。
「往生際が悪いね……!」
ガーブの大刀が、突進してくる三騎の馬の脚をまとめて薙ぎ払う。転倒し、泥に塗れた騎士たちの首を、シンの双刃が音もなく刈り取っていく。ハンスの戦斧が鉄兜ごと脳天を砕き、クリシュ・アランの戦士たちが流れるような連携で、死に物狂いの騎士たちを次々と沈めていった。
それは戦いというより、ライル団長に殉じようとする者たちへの、残酷なまでの引導だった。
「……馬鹿げている」
俺は、返り血を拭いながらその光景を冷めた目で見ていた。
“生き残るために戦う”ことを信条とする我ら傭兵や、“戦うために生きる”クリシュ・アランの戦士たちにとって、目の前の光景は理解の範疇を超えていた。彼らは勝つために戦っているのではない。死ぬために戦っているのだ。
死に場所を求める亡霊を相手にするほど、骨の折れる仕事はない。
ガーブも、そして戦士たちも、次第にその不毛な殺戮に嫌気がさし始めていた。殺すまでもないと判断した相手には、剣の腹で叩き伏せ、あるいは拳で意識を刈り取って無力化しようとする。だが、敵の数は依然として多い。
「いい加減にしろ……! しつこいんだよッ!」
沸き立つ苛立ち。うんざりとした虚無感。
いっそ、望み通りに全員の息の根を止めてやろうか――そう、誰もが暗い誘惑に駆られたその時だった。
「止めろぉおおおーーーッ!!!!」
南の方角から、一騎の騎士が猛然と馬を駆って戦場の中心へと突っ込んできた。
「止めろぉおお!! 戦闘を――止めろぉおおおお!!!」
土煙を上げ、血生臭い乱戦のど真ん中に割って入ったその男は、狂ったように叫び続ける。
「鉄理の規矩騎士団ッ!! 戦闘を停止せよ! 停止だぁぁあああ!!」
なおも武器を振るおうとする味方の騎士を、彼は馬ごと体当たりして突き飛ばし、あるいは拳で殴り飛ばして制止させる。
「俺はエドワードだ! 四番隊隊長権限をもって、戦闘停止を命じる! もうやめろ!」
「……エドワード隊長?」
「なぜ、貴方がここに……!?」
「もう、これ以上ライル団長の妄想に付き合う必要はない! 狂気は終わった! 戦闘はもう終わりだッ!」
エドワードの必死の形相と、その言葉に含まれた重みに、騎士たちの動きが次々と止まっていく。
エドワードは馬上で大きく両手を上げ、グラス・ガレスの陣営に向かって声を張り上げた。
「俺は鉄理の規矩騎士団四番隊隊長、エドワード・ヘイスティングス! 正式に戦闘停止を申し入れる! 責任者との協議を要求する!」
その声に応えたのは、戦場の中心に力なく座り込んでいたゼン・ムッサーシだった。
「……俺だ」
ゼンは傷ついた身体を引きずり、毅然と立ち上がる。
「グラス・ガレスの代表、ゼン・ムッサーシだ。……話を聞く前に、まずは全軍の武装を解除しろ。話はそれからだ」
エドワードは躊躇うことなく、周囲の騎士たちに命じた。
「当然の要求だ。全員、武器を置け!」
一人、また一人と、血に汚れた剣が地に置かれる。金属が重なり合う乾いた音が、戦いの終焉を告げる鐘の音のように響き渡った。
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2. 戦士の哀悼、後悔の残り火
「ふん。ここまでか」
クリシュ・アランの戦士が、満足げでもあり、どこか物足りなげな様子で大剣を鞘に収めた。
「おっちゃん、やり足りない?」
ガーブが、顔についた血を拭いながら茶化すように尋ねる。
「……ふん。また今度な、嬢ちゃん」
男は鼻を鳴らし、静かに戦列から下がっていった。
俺はそのやり取りに、不謹慎にも僅かに口角を上げたが、すぐに表情を強張らせた。
戦場を見渡せば、そこには凄惨な現実が広がっていた。
騎士団の死体はもちろん、グラス・ガレスの民兵たち、そして――緋色の傭兵団の仲間たちも、あちこちで動かなくなっていた。
(……間に合わなかった)
その思いが、毒のように胸を刺す。
もし、あともう一日、いや、半日早く戻ることができていれば。もし自分の読みが正確であれば、失われずに済んだ命があったはずだ。エディン・バーグからの増援も、結局姿を現さなかった。
俺は拳を握りしめ、自分自身の「遅れ」を呪った。
ふと見ると、ガーブがアインツの元へと歩み寄っていた。
アインツは、冷たくなったフィーアの横で跪き、肩を震わせていた。フィーアの背中には、袈裟切りにされた無惨な傷跡がある。
ガーブの接近に気づいたアインツが、涙に濡れた顔を上げた。
「あ、あぁ……ガーブ隊長……フィーアが……フィーアが……ッ!」
慟哭する部下を前にして、ガーブは何も言わなかった。
ただ静かに、物言わぬフィーアの亡骸を見つめ、ゆっくりと瞳を閉じる。しばらくの沈黙の後、ガーブは目を開け、アインツの肩にそっと手を置いた。
「……アインツは、生きろ」
それだけを告げ、彼女は背を向けた。
「うわぁぁぁぁぁぁあああッ!!」
背後でアインツの絶叫が響く中、ガーブは歩き続けた。倒れた別の仲間の傍らに寄り添い、同じように瞳を閉じ、また次の亡骸へ。
それが、言葉を持たぬ「破壊の聖女」ガーブなりの、死者に対する唯一の哀悼の儀式だった。
俺もまた、重い足取りで歩き始めた。
悔やんでいる暇はない。両軍の犠牲はあまりに大きいが、戦いは終わったのだ。
俺はこれからの「戦後処理」という名の泥沼に向け、ゼン・ムッサーシの元へと向かった。
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3. 惨劇の記録、そして歴史の転換点
グラス・ガレスの戦いは、こうして幕を閉じた。
のちに編纂される戦史において、この二日間の記録は極めて凄惨なものとして刻まれることになる。
勢力:初期兵力/死者/重傷者/損傷率
グラス・ガレス連合:263名/107名/49名/59.3%
鉄理の規矩騎士団:800名/428名/221名/81.1%
※最終局面にてガーブ、シン、ハンス、クリシュ・アラン兵50名が参戦。
※グラス・ガレス側死者の内訳:民兵89名、緋色の傭兵団18名。
数字だけを見れば、圧倒的な劣勢を覆したグラス・ガレス側の勝利である。しかし、死傷者数は両軍合わせて八百名を超え、全体の損傷率は七割に達した。それは勝利と呼ぶにはあまりに重く、血塗られた記録であった。
そして、この惨劇が終結したまさにその日の午後。
遥か南、エンガード・ロンデニールのアルバ・ロンダ城において、もう一つの歴史が動こうとしていた。
エンガード国王にしてブリタニア王権を担うイライザ女王は、王城前広場に埋め尽くされた民衆を前に、凛とした声で宣言した。
――『ブリタニア四国連合王権国憲章』。
それは、永きにわたる分裂と抗争の歴史を終焉させるための、女王の宣戦布告でもあった。
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4. 女王の孤独なる戦い
時間を少し巻き戻す。
緋色の傭兵団副団長シンと四阿で密談を交わした、あの日に。
イライザ女王は執務机に向かい、書き上げられた『憲章』の草案を、穴が開くほど見つめていた。この革命的な内容を発表したとき、エンガード国内、そして他三国はどのような反応を示すか。
現在、この内容を知るのは軍務卿ロデリック・グレヴィル伯爵と、外交担当のヨーク子爵のみ。二人は女王の腹心であり、協力者だ。だが、他の閣僚や保守的な宰相がこれをすんなり受け入れるとは到底思えない。
『発表のタイミングを間違えるな』
シンの警告が耳に残っている。
『鉄理の規矩騎士団は俺たちが止める。だが、発表が早すぎれば奴らはそれを口実に軍を北侵させるだろう。逆に遅すぎて戦端が開かれた後に発表すれば、スカイウェールへの弱腰交渉と見なされ、王権は失墜する』
シンの提示した目安は二ヶ月。その間に、国内の不純物を排除し、体制を整えろという。
『ただし、俺たちが“均し”を完了するまでは、具体的な行動は起こすな。この計画を漏らすな。準備は、騎士団の足止めが完了してからだ』
女王は顔を上げ、前に控えるグレヴィルとヨークに問いかけた。
「軍務卿、子爵。この内容は、発表前に閣僚たちの賛同を得る必要があります。ですが、彼らが素直に頷くとは思えません。……“均し”が終了するまでの間、私に時間を貸してください。彼らをどう説得すべきか、あるいはどう抑え込むべきか、助言を」
「「御意に」」
こうして、イライザ女王の「静かなる戦い」が始まった。
彼女はブリタニアの歴史、政治、経済を徹底的に洗い直した。閣僚会議のたびに、四国の分裂がいかに国力を削ぎ、大陸西方諸国との関係において不利に働いているかという情報を、戦略的に、しかし自然な形で浸透させていった。
政府内の共通認識として「統一」の必要性は高まっていたが、主流派の意見は依然として「武力による他三国の併呑」であった。商務省大臣ラングフォード伯爵と、軍部の後ろ盾であるガンツ伯爵は、その急先鋒として女王を突き上げる。
しかし、彼らの野望は、緋色の傭兵団と裏の組織『銅貨の天秤』による暗躍によって、水面下で粉砕されていった。汚職、不法な武器取引、犯罪行為の数々が白日の下に晒され、強硬派の重鎮たちは次々と更迭されていったのである。
女王の手元に、一枚の短いメモが届いた。
『“均し”は終わった。次の段階へ』
その瞬間、イライザ女王の瞳に鋭い光が宿った。
「グレヴィル軍務卿。内務大臣を通じ、緊急の閣僚会議を招集してください」
「開催日は、いつになさいますか?」
「三日後。……そこで、すべての決着をつけます」
三日後。
アルバ・ロンダ城の会議室には、重苦しい緊張感が漂っていた。
運命の閣僚会議が、今、始まろうとしていた。




