第9章:赤髪の戦神、あるいは鉄理の終焉
1. 震天動地の咆哮
戦場は、混迷を極めていた。
数に勝る鉄理の規矩騎士団による包囲網が狭まり、グラス・ガレスの義勇兵たちが死の淵へと追い詰められたその瞬間――。
「――貴様らぁぁぁッ!! 何してくれとるんじゃぁぁぁあああッッ!!!!」
天を衝くような咆哮が、戦場を物理的に支配した。
それはもはや人間の発する声ではなかった。大気が目に見えるほど激しく振動し、兵士たちの心臓を直接握り潰すかのような衝撃波となって、グラス・ガレスの草原を駆け抜ける。
あまりの圧力に、剣を振り上げようとしていた騎士も、死を覚悟した義勇兵も、等しく金縛りにあったかのように動きを止めた。全神経が、本能的な恐怖の源泉――グラス・ガレスの右奥へと釘付けになる。
「なんだ……!? 何が起きたというのだ!」
カシウス・ライル団長が、引き攣った顔で咆哮の主を睨みつける。
そこには、燃えるような紅い髪を夕闇にたなびかせる一人の女性を先頭に、五十人ほどの異様な集団が陣取っていた。
夕日を背負い、憤怒の炎を全身から立ち昇らせるその姿は、軍勢というより、地上に降臨した荒ぶる神々の顕現のようだった。中央に立つ紅髪の女――ガーブの背後からは、立ち昇る殺気が物理的な熱量となり、大気を陽炎のように歪ませている。
「……やっと来たか、大将」
ヤミルが、滴る返り血を乱暴に拭いながら、狂おしいほどの笑みを浮かべた。
「来たね。……待たせすぎだよ、本当に」
クリスは静かに弓を下ろすと、手近な騎士の眉間を無造作に射貫き、親友の到着を確信した。
「来て……くれ……たか……ッ!」
満身創痍となり、膝を突きかけていたゼン・ムッサーシが、天を仰いで力なく、しかし歓喜に震えて笑う。
ガーブは背負った巨大な大刀を、岩を削るような音を立てて引き抜いた。その無骨で凶悪な刃が、死にゆく陽光を浴びて鈍い、赤い輝きを放つ。
「覚悟せぇぇぇええやぁぁああああッ!!」
ドォォォォンッ!!
地面が爆ぜた。
彼女は単身、騎士団の強固な戦列に向かって、大砲の弾丸のごとき勢いで突進を開始した。
「「「「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!!!」」」」
彼女の背後から、狂戦士の如き咆哮を上げて五十名の精鋭が続く。
シン、ハンス、そしてクリシュ・アランの戦士たち。彼らの駆ける勢いは、それだけで大地を揺らし、騎士団の包囲網を外側から食い破る津波となった。
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2. 蹂躙の旋風、血塗れの舞踏
「っ! 迎え撃て! 怯むな、たかだか数十人の賊に過ぎん、殺せッ!!」
一瞬の気後れを振り払うようにライルが叫んだが、その命令が騎士たちの脳に届くよりも早く、赤髪の死神が最前線へと到達した。
ドォォォォォォォンッ!!
凄まじい衝突音。
先頭にいた重装騎士が、馬ごと、そして盾ごと「袈裟切り」に両断された。一振り。ただの一振りだ。分厚い鉄の装甲も、強靭な馬の骨格も、ガーブの振るう大刀の前では濡れた紙にも等しかった。
「邪魔だぁぁぁッ!!」
ガーブは騎士の密集地帯へと飛び込むと、暴力の旋風と化した。
右へ振れば三人の騎士が馬から叩き落とされ、左へ薙げば重装歩兵の胴体が文字通り消し飛ぶ。騎士たちは防御の型を組むことすら、一合の剣を交えることすら許されない。ただの紙屑のように切り飛ばされ、粉砕され、血の霧へと変えられていく。
その直後を走るシンが、双刃の剣を稲妻のごとく閃かせた。
「道を開けるぞ!」
シンの動きは、ガーブの剛力とは対照的な「神速」の極致。
彼が駆け抜けた後には、一瞬遅れて鮮血の噴水が立ち昇る。斬られたことに気づかぬまま、腕が、首が、宙を舞う。シンの双刃は騎士団の戦列を縫い合わせるように走り、瞬く間に楔を深々と穿っていった。
さらに、ハンスが大斧を豪快に振り回して騎士の頭蓋を砕き、クリシュ・アランの戦士たちが執拗なまでの連携で、騎士団の包囲陣を内側から食い破っていく。
それは、もはや「戦闘」と呼べる代物ではなかった。
圧倒的な個の武力が、組織された軍隊を紙細工のように蹂躙する。一方的な「処刑」であり、逃れようのない「天災」の顕現であった。
「なんだ……何なんだ、これはッ! 何なのだ、この化け物どもはッ!!」
ライル団長は、目の前で自慢の精鋭たちが、屠殺場の家畜のように切り殺されていく異常な光景を前に、歯を鳴らして震えた。
「馬鹿な……あり得ん……鉄理の規矩が、大陸屈指の騎士団が、このような無名の賊に……ッ!」
その時、血の雨が降る戦場に、シンの鋭い声が響き渡った。
「――ガーブッ!!」
血の霧の中で大刀を振るい、騎士の残骸を積み上げていたガーブが、ピタリと動きを止めた。彼女は獲物を屠る獣のような鋭い仕草で、シンを振り返る。
「首狩りだ!」
シンの指が、戦場の後方で一人、青褪めて立ち尽くす男を指し示した。
その先にいるのは、鉄理の規矩騎士団長、カシウス・ライル。
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3. 終焉の宣告、地に堕ちた首
「お・ま・え・かぁぁぁあああッッ!!!!」
ガーブの叫びが、ライルの鼓膜を突き破らんばかりに響き渡る。
夕闇の中、紅い髪を炎のように逆立て、怒りに燃え滾る朱色の瞳に見据えられた瞬間、ライル団長はそれまでの野心も、王国への妄執も、すべてを忘れて凍りついた。
彼が感じたのは、絶対的な死の気配だった。
「ひっ……あ、ああ……っ!」
大陸に名を馳せた名将は、喉の奥から情けない悲鳴を漏らし、震える手で剣を抜こうとした。だが、指先が柄に触れることさえ叶わない。
ガーブの足が地を蹴った。
その速度は、重装の鎧を纏っているとは信じがたい、縮地にも似た加速。
ライルの視界には、迫り来る紅い閃光と、振り上げられた黒鉄の大刃しか映らなかった。
シュイィィィン――。
ガーブが馬上のライルと交錯した瞬間、戦場の喧騒を切り裂くような、あまりに澄んだ金属音だけが響いた。
一瞬の静寂。
トン。
ト、ト、トン……。
乾いた音を立てて草原を転がったのは、カシウス・ライルの首だった。
その表情は、今際の際に見た絶望と恐怖に引き攣ったまま、醜く固まっている。
ボシュッッ!!
一拍置いて、主を失った首筋から、鮮烈な赤の噴水が夜の帳を濡らした。
誇り高き「鉄理の規矩」を象徴する豪華な甲冑が、無惨な肉の塊となって落馬し、泥の中に沈む。
ガーブの後を追ってきたシンが、転がった首を迷いなく掴み取った。彼は血濡れたライルの髪を掴み、天に向かって、全軍に聞こえる声でそれを掲げた。
「――鉄理の規矩騎士団、団長カシウス・ライルの首、このシンが確かに受け取ったぁぁぁあああッッ!!!!」
シンの宣告が、夕闇に包まれた戦場の隅々まで、死の宣告となって支配した。
絶対的な指導者を失い、その無惨な最期を見せつけられた騎士たち。彼らの中に残っていた「規律」という名の誇りは、音を立てて崩壊した。
もはや戦いではなかった。
指揮系統を失い、恐怖に染まった騎士団の崩落は、止めることのできない連鎖となって草原に広がっていった。




