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『緋色の傭兵団の物語』「ブリタニア編」  作者: 嵗(sai)
第十四部:硝煙のグラス・ガレス

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第7章:泥濘の死闘、あるいは一射三殺の神技

1. 鈍色の進軍と、背水の鼓舞


その日、鉄理の規矩騎士団が再びグラス・ガレスの防衛線の前にその傲慢な姿を現したのは、朝日が天高く昇り、草原の露が乾ききってからしばらく後のことだった。


前夜の「祭り」によって軍馬の半数を失った騎士団は、その進軍形態を劇的に変えざるを得なかった。残された騎兵の速度を、徒歩で進まざるを得なくなった「元・騎兵」たちの歩みに合わせる。この屈辱的な鈍足行進は、常に電撃的な機動戦を誇りとしてきたライル団長の神経を逆なでし、その形相を醜く歪ませていた。わずか5kmの距離が、今の彼には果てしなく遠く感じられた。


しかし、たとえ脚を奪われたとはいえ、依然として彼らは精鋭である。


馬上にある騎士が三百八十、そして重武装のまま歩兵と化した騎士が三百三十。対峙するグラス・ガレス混成軍にとって、その暴力的な脅威が劇的に減じたとは言い難かった。


防壁の上、ゼン・ムッサーシが声を張り上げる。その声には、領主としての全責任と、一縷の希望が込められていた。


「皆、聞け! 明日にはエディン・バーグからの援軍が、そしてシン殿らが必ずここに到着するはずだ!」


「……おお、やっと来てくれるのか!」


「助かる、助かるぞ!」


絶望に沈みかけていた義勇兵たちの間に、さざ波のような活気が戻る。ゼンは逃さず、拳を突き出した。


「だから今日だ! 今日、この一日を……死力を尽くして凌ぎ切るぞ!」


「「「「おおおーーーッ!!」」」」


「誰一人欠けることなく、明日を迎え、生き残るぞッ!」


「「「「おおおーーーッ!!」」」」


地を震わせる咆哮と共に、グラス・ガレス防衛戦の「第三幕」が切って落とされた。


ライル団長は騎士団を細分化し、柔軟な波状攻撃へとシフトしていた。騎兵を九騎一組とした四十個小隊。歩兵を三十人一組とした十一個小隊。中央に歩兵を据え、左右に騎兵を展開させる。前日の大集団による突撃がバリスタの格好の的となった反省から、小集団による散開突撃で的を絞らせず、次弾装填の隙を突く構えだ。


対するグラス・ガレス側の陣容は、高さ1m強の急造の土壁を第一防衛線とし、その背後に四基のバリスタを据えていた。後方にはクリス率いる弓兵隊が並び、壁の前には大盾を構えた義勇兵二百名が小集団で作戦を展開している。さらにその前方には、三重に及ぶ堅牢な馬防柵ばぼうさくと、草に隠された「馬除けの綱」が張り巡らされていた。


ライルは遠目からその光景を眺め、冷笑を浮かべる。


(何やら小癧な仕掛けを弄しているようだが、所詮は装備もバラバラな烏合の衆よ。ひと当てすれば、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑うに決まっている)


歩兵が罠を排除し、道を作れば、あとは騎兵が蹂躙するだけだ。馬を失ったことは痛手だが、むしろ「歩兵による工作」が可能になったのは、彼にとって不幸中の幸いとすら思えた。


ライルの右手が、天を衝くように上がる。そして――。


(殲滅してやる! 忌々しい蛮族どもめ!)


その手が、断頭台の刃のように振り下ろされた。


「誇りある鉄理の規矩騎士団! 前進ッ!!」


扇状に広がった歩兵十一個小隊が、一斉に大地を蹴った。


ゼンのこめかみを、一筋の冷や汗が流れ落ちる。倍の兵力、それも大陸屈指の練度を誇るプロの殺人集団を相手に、生き残りを懸けた地獄の時間が始まった。


________________________________________


2. 野営地の邂逅、銅貨の囁き


戦場から5km後方。昨夜の騒乱の余韻が残る騎士団の野営地。


そこには、依然として杭に縛り付けられたエドワードと、彼を監視する二名の騎士がいた。


エドワードは重い瞼を持ち上げ、北の空を見上げる。微かに風に乗って聞こえる怒号と鉄の音。


(……始まったか。死ぬなよ、お前たち)


見張りの騎士たちは、不当に拘束された元上官に対し、同情的な眼差しを向けていた。


「隊長……エドワード隊長。申し訳ございません。我々の権限ではこの綱を解くことは叶いませんが、せめて何か入用のものがございましたらお申し付けください」


「……気にするな。お前たちも、自分の職務を全うしろ」


「ですが……ライル団長のやり方はあまりに強引です。貴方はただ、団の犠牲を減らそうと諫言しただけではありませんか」


「……団長の悪口を言うな」


エドワードは絞り出すように言った。


「あの人にはあの人なりの考えがある。夢があるのだ」


「団長の夢、ですか……。それは、一体?」


「さあな……俺にも、本当のところは分からんよ……」


(『俺の王国』……団長、貴方は本当に、そのために部下たちを使い捨ての駒にするつもりなのですか?)


虚空を見つめるエドワードの意識は、不意に遮られた。


気づけば、先ほどまでいたはずの見張りたちの姿が消えている。静寂が、不自然なほど重く垂れ込めた。


「あんたさんは、これからどうするつもりや?」


背後から、不意に女の声がした。それも、戦場の緊張感とはおよそ無縁な、軽やかで艶のある響き。エドワードが驚愕と共に首を巡らせると、そこには見慣れぬ旅装の女性が立っていた。


「あんたさん、鉄理の規矩騎士団の隊長さんやろ? 謂れもなく拘束された……それも、ライル団長に。何があったん?」


「……あんた、何者だ? どうやってここまで……」


「うちは『銅貨の天秤』のシルカ。ここまで来たのは……まあ、馬車やね?」


「いや、そういう意味を聞いているんじゃなくてだな……」


「あんたさん、このままやったら殺されますよ? ライル団長は、自分の秘密を知る人間を生かしておくほど甘くない。……それでもええの?」


エドワードは絶句した。何者かも知れぬ女の言葉に、剥き出しの真実が混じっているのを感じたからだ。


「……何が言いたい。あんたは、何を知っているんだ」


シルカの薄い唇が、妖しく弧を描く。


「知りたい……? ――なら、取引ビジネスの話をしましょうか」


________________________________________


3. クリスの真骨頂、一射三殺


再び、最前線。


不本意ながら徒歩での進軍を余儀なくされた騎士団の歩兵三百三十名は、泥を跳ね上げながら前進していた。彼らは盾を構え、剣を握り締め、一歩一歩足元を確認しながら進む。


昨日の「見えない綱」の恐怖が、彼らの足取りを慎重にさせていた。


だが、そこは既にバリスタの有効射程内だった。


「――ブォォォォンッ!!」


空気を引き裂く重低音。


「避けろッ!」


「伏せろぉッ!!」


騎士たちは叫びながら、泥に塗れるのも厭わずに左右へ身を投げ出した。幸いにも初弾は誰にも当たらず、巨矢は無人の草原を抉って突き刺さった。


しかし、その屈辱が彼らの導火線に火をつけた。


(平民のように泥にまみれ、無様に這い蹲るだと……!)


誇り高い騎士としての矜持が、怒りへと変換される。


「うおぉぉぉぉッ!!」


一人の騎士が咆哮を上げ、盾を捨てて突撃を開始した。それに釣られるように、他の騎士たちも怒涛の勢いで走り出す。


バリスタの操手たちが、慌てて後退していくのが見える。代わりに壁の上に姿を現したのは、二十名ほどの弓兵隊。


(馬鹿め! この距離から弓矢などが通じるか!)


馬防柵まであとわずか。あれを破壊し、足場を固めれば、後方の騎兵が流れ込み、勝負は決する。


だがその時、弓兵隊の中心に立つ一人の男――クリスが、静かに弓を引き絞った。


(何をしている、届くはずが――)


シュンッ! という短い風切り音。


次の瞬間、隣を走っていた騎士が、声を上げる暇もなく前のめりに転倒した。


「なっ……!?」


後ろにいた者が目撃したのは、倒れた同僚の眉間に、羽の先まで深々と突き刺さった一本の矢だった。


シュンッ!


「あがっ……!?」


今度は、エドワードの知己でもあった精鋭の首に衝撃が走る。彼が必死に横目で自分の首筋を確認すると、そこには信じがたいことに矢羽根が見えた。


(矢……? 首を、射抜かれた……?)


喉から溢れる血が肺に入り、彼の意識は唐突にブラックアウトした。


「盾を構えろ! 防御陣形ィッ!!」


小隊長の悲鳴のような号令により、騎士たちは足を止めて盾の陰に身を潜めた。


だが、クリスの神技は止まらない。


彼の手から放たれた矢は、一度の風切り音で三本、それぞれの軌道を描いて飛来した。


ト、ト、トッ!!


それは、一射で三つの命を刈り取る、ゲルマニアで伝説とまで言われた“技”――『一射三殺』。


一発は眉間に、一発は盾の隙間を縫って太ももに、最後の一発は鎧の繋ぎ目の脇腹に。たった一度の放矢で、三人の重装騎士が戦闘不能へと追い込まれた。


「密集隊形だ! 盾を重ねろ! 突き進めッ!」


小隊長は焦燥に駆られ、さらなる悪手を打った。騎士たちが亀の甲羅のように盾を並べ、一塊となって突進する。


それを見たクリスは、冷徹に呟いた。


「……それは、悪手だよ」


彼が別の集団に向けて放った矢と同時に、先頭を走っていた騎士の足が「何か」に絡まった。


前日の綱だ。


密集していたがゆえに、先頭の転倒は連鎖的な大惨事を引き起こした。勢い余った後続が次々と重なり、重装鎧の重みで下の者が圧死する。逃げ場のない鉄の塊が、自らの重さで崩壊していく。


「足を高く上げろ! 綱を跨げッ!」


他の小隊長たちは、必死に部下を鼓舞しながら盾を掲げて突進する。


だが。


「……え?」


突如として、騎士たちの足元から大地が消えた。


一瞬の浮遊感の後、凄まじい衝撃。


「ぐわぁぁッ!」「ぎゃああッ!」


そこには、緋色の傭兵団工兵隊が夜通しで掘り抜いた、深さ3m、横5mに及ぶ巨大な落とし穴が待ち構えていた。それが計八箇所。


密集して突撃していた三つの小隊が、文字通り芋を洗うようになだれ落ちる。穴の底では重なり合った騎士たちが骨を砕き、身動きを封じられた。


這い出そうとする者には、上空からクリスの矢が正確に急所を射抜いていく。


「ぐぬぬぬぬ……ッ!!」


後方でその惨劇を目の当たりにしていたライル団長は、馬上で歯が折れんばかりに食いしばった。


「何たる無様! 何たる醜態かッ!! 何をしている、早く馬防柵を壊さんかぁぁッ!!」


団長の咆哮に突き動かされたのか、落とし穴を免れた残りの小隊のうち、二組が肉の壁となって矢を浴び、その隙に残りの四組が馬防柵へと辿り着いた。


彼らは血を流しながらも、持ち前の怪力で柵をなぎ倒し、引き抜き、ついに騎馬が通れる「道」をこじ開けた。


この時点で、騎士団の歩兵戦力は、既に三割に近い八十三名が脱落していた。


「よしッ、道は開いた! 三隊、突撃ィィッ!!」


ライルの剣が、こじ開けられた二箇所の突破口を指し示す。


待機していた九騎四十組の騎馬が、地響きを立てて動き出した。


「……上手く嵌まったが、敵の損害が予想より少ないな」


ゼンが唇を噛む。


「上出来です、男爵! 次が来ます、備えてッ!!」


ノインの鋭い声が、義勇兵たちを鼓舞した。


騎馬集団は落とし穴の残骸を巧みに避け、開かれた二つの「穴」へと殺到する。


ド ド ド ド ドッ!!


土壁の切れ目を通り抜けた鉄の奔流が、グラス・ガレスの街門へと迫る。生き残った歩兵騎士たちも、怨嗟の声を上げながらそれに続く。


街の手前。騎馬の通り道に対し、義勇兵たちが大きな盾を集めようとするが、その速度に間に合わない。


突破口の先には、もはや盾の壁はない。あるのは、頼りない1m強の土壁のみ。


(この程度の壁、馬の跳躍で超えられぬはずがない! 中に入りさえすれば、我らの勝ちだ!)


先頭を駆る騎馬小隊長が、狂喜の叫びを上げた。


抜剣ばっけんーーーッ!!」


陽光を反射する白刃が抜かれ、突撃の速度は頂点に達する。


「壁を超えろ! 蛮族どもを、一匹残らず蹴散らせェッ!!」


鉄の蹄が土壁を蹴り、空を舞おうとしたその瞬間。


騎士たちは、まだ知らなかった。


その土壁の向こう側に、ノインが仕掛けた「本当の絶望」が待ち構えていることを。


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