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『緋色の傭兵団の物語』「ブリタニア編」  作者: 嵗(sai)
第十四部:硝煙のグラス・ガレス

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第5章:独裁者の狂熱、あるいは崩落する鉄の規律

1. 天幕の獣、静かなる崩壊の序曲


グラス・ガレス混成軍と鉄理の規矩騎士団による初戦は、防衛側の文字通り一方的な勝利によって、わずか一時間足らずで決着した。


その代償は、攻撃側にとってあまりに重かった。死者二十六名、重傷者四十一名、そして八十二頭もの誇り高き軍馬。それらは主と共に戦場に打ち捨てられ、引き揚げられることすら叶わなかった。


野営地の最奥、騎士団長ライルの私用テント。


中へ入り、垂れ幕が閉まった瞬間、ライルはそれまでの「冷静な名将」という仮面を凄まじい勢いでかなぐり捨てた。


「おのれ……ッ! おのれぇぇえッ! 北の蛮族どもがぁぁッ!!」


怒号と共に、装飾の施された兜が地面に叩きつけられる。金属の擦れる嫌な音が響く中、彼は傍らにあった椅子を力任せに蹴り上げ、重厚な作戦机をひっくり返した。書類が舞い、インクが飛び散る。


「なぜ跪かん! なぜ死なん! 聞いていないぞ、あんな卑怯……卑劣な戦い方をしおって! 騎士道も知らぬ下衆どもが……! それに、なんだあの体たらくは! 隊長どもめ、何も考えずに突っ込みおって! 揃いも揃って猪突者ちょとつものめがッ!」


激しい怒りに肩を上下させ、荒い息を吐くライル。血走った目が棚の上のワイン瓶を捉えた。彼はそれをひ掴むと、栓を抜く間もなく叩き割り、剥き出しの瓶口を直接口にねじ込んだ。


ごくり、ごくりと喉を鳴らし、火のつくような酒を胃に流し込む。


強引に感情を抑え込み、自らの手で蹴り倒した椅子を強引に引き戻して腰を下ろした。


ライルは奥歯を噛み締めながら、これまでの行軍を回想する。


グラス・ガレスに到達するまでは、すべてが王道ロードだった。逆らう村も町もなく、ただ威圧するだけで民は這いつくばった。自らの覇道を阻むものなど存在しないと確信していた。


それが、ここに来て無様な「ケチ」がついた。


当初の目算では、初戦で圧倒的な武力を示し、絶望させた後に寛容さを見せて懐柔するはずだった。この街を橋頭堡として一帯を版図に収め、その威をもってエンガード本国に絶縁を突きつける。己が王となる新国家の建国――その青写真が、わずか一時間で歪んだのだ。


「……容赦はせん。もはや懐柔など不要だ。騎士団の総武力をもって、グラス・ガレスを、あの蛮族どもを根絶やしにしてくれる!」


その殺意に満ちた独白を破るように、外から声がした。


「団長、失礼いたします。四番隊隊長、エドワードです。報告に上がりました」


思考を邪魔された不快感がライルの顔を歪めたが、彼はすぐさま冷徹な指揮官の声を絞り出した。


「……入れ!」


幕を潜って現れたのは、四番隊を率いるエドワードだった。かつて四人いた隊長格も、今や彼一人。たった一時間の戦闘で気心の知れた同僚たちを失ったという事実を突きつけられたようで、ライルはエドワードを苦々しく睨みつけた。


対するエドワードは、常に自信に満ちていたはずの団長が纏う、隠しきれない不機嫌さと荒廃した部屋の様子に、初戦の敗北に対する痛切な悔恨を感じ取っていた。


「申し訳ございません……被害状況がまとまりました。未帰還兵六十七名、騎馬八十二頭。これには隊長格三名が含まれます。帰還者のうち、負傷者二十二名。負傷した馬は十八頭……以上です」


「……ぬうッ」


ライルは返事の代わりに、再びワインの瓶を掴んだ。


沈黙が流れる中、エドワードが意を決したように口を開く。


「……団長、意見具申をよろしいでしょうか」


「なんだ。言ってみろ」


「はい。既にご理解されているとは存じますが、先の戦闘で、どうしても看過できない不可解な点が二つございます」


「……続けろ」


エドワードは姿勢を正し、冷静に分析を述べ始めた。


「一つは、相手が極めて高度な『対騎馬戦闘』を熟知していたこと。そしてもう一つは、それを完遂し得る人材と兵器が相手側に存在することです」


ライルの目が細まる。


「初戦の冒頭、一番隊の突撃を阻んだのは、地表に伏せられた綱でした。彼我の距離と馬の速度を逆算した時、我々が最大加速ギャロップに移り、もはや制動が効かなくなる絶妙な地点にその罠は張られていました。蛮族の勘で測れるものではありません」


さらに、エドワードの言葉は熱を帯びる。


「続く二番隊、三番隊の迂回。これを迎撃したのは、城壁ではなく地上に隠されたバリスタでした。大陸で攻城用として現れ始めたばかりの最新兵器を、文献すら読めぬはずの民草がなぜ持っているのか。しかも、騎馬の速度を完全に見切り、一点を射抜く熟練の操り手がいる……。これらから導き出される結論は一つです」


「……エンガードの何某かが、介入している。そう言いたいのか?」


ライルの眼光が、獣のような凶暴さを帯びて光った。


「推測の域を出ませんが、これはライル団長を狙った策謀ではないかと思われます。その何某は、団長の北侵の意思を事前に察知し、それを阻止するために、後ろ盾であったガンツ侯爵を貶め、失脚させた。それでもなお進軍を止めぬ団長に対抗すべく、グラス・ガレス側に知識と武器、そして人材を供給したのではないかと」


エドワードの言葉は、恐ろしい精度で真実に肉薄していた。彼は一息つくと、最も危険な()を口にした。


「……その黒幕ですが、ガンツ侯爵の政敵筆頭であり、軍部において絶対的な影響力を持つ男――ロデリック・グレヴィル軍務卿である可能性が高いと愚考します」


「グレヴィル……軍務卿だと……ッ!」


ライルの昏い瞳が、憎悪に燃え上がった。


________________________________________


2. 断絶する信頼、狂気の宣告


ライルは激しく思考を巡らせた。エドワードの推理は、過程こそ誤りを含んでいたが、結論――「外部の介入(緋色の傭兵団とシンの存在)」という点では正解を射抜いていた。


しかし、ライルにとって不都合だったのは、エドワードが「ライルが積極的に北侵を望んでいた」という自らの野心に気づき始めていることだった。


「……はい、確証はございません。ですが、このままでは……」


言い淀むエドワードを、ライルが苛烈に急かす。


「なんだ! 言え!」


「……一度、本拠マンプトンに軍を返し、体制を立て直すべきかと存じます。同時に本国へ探りを入れ、誰がスカイウェールに手を貸したかを突き止め、正式に糾弾するのです。準備を万全に整えた上で、改めて団長が指揮を執り、正当な北伐を――」


「な・ん・だ・と……? 軍を、反すだと……ッ!?」


ライルが見開いた眼には、もはや理性の色はなかった。だが、エドワードはその危うさに気づかず、主君への忠義心から言葉を重ねてしまう。


「左様です! 軍を返し、エンガードに巣食う売国奴どもの証拠を掴むのです。我が国の悲願であるブリタニア統一を阻む愚か者どもを糾弾し、改めて――」


「黙れッ!!」


突如として天幕を震わせたライルの咆哮に、エドワードは言葉を失った。


「黙れ、黙れ! 黙れぇぇぇッ!!」


「だ、団長……?」


「貴様ッ! 俺の邪魔をするなと言っているのだ! 俺はエンガードを手に入れ、俺の王国を……ッ!」


「王国……? 団長、何を仰って――」


その瞬間、ライルは自らの失言に気づき、表情を凍りつかせた。だが、狂気に侵された彼の脳細胞は、その過ちを「敵の陰謀」へと強引に変換した。


「……そうか。お前か! お前がグレヴィルと繋がっているのかッ! 俺の邪魔ばかりするあの老いぼれと! お前が密偵だったのか。だから先の戦いでも、お前だけが無傷で生き残っているのだな!? この……裏切り者めがぁッ!」


「え……密偵? 団長、何を仰っているのですか! 私は……!」


「黙れ! 誰かッ! 誰かあるッ! ここに裏切者がいる、捕らえろォッ!!」


ライルの叫びを聞きつけ、四人の騎士が天幕に雪崩れ込んできた。


「こいつは敵の密偵だ! 捕らえろ! 縛り上げておけ!」


「団長! 誤解です! 私は……私はただ騎士団のために……!」


ライルはもはや聞く耳を持たなかった。「口を塞げ! 連れて行け!」と狂ったように命じる。騎士たちは困惑しながらも、上官であるエドワードの武装を取り上げ、猿轡を噛ませて、縄で縛り上げた。引きずり出されるエドワードの目には、絶望と、かつての主君への憐憫が浮かんでいた。


(……そうか、あいつだったのか!)


一人残された天幕で、ライルは思考の深淵へと沈んでいく。


(あいつらが、俺を邪魔する敵なんだな? ならばいい……スカイウェールを血の海に変えた後は、南下してロンデニールを焼き払ってやる! 俺の覇道を阻むものすべてを灰にしてやる!)


だが、そのためにはまず目の前の障害を取り除かねばならない。


(明日だ……明日こそ、グラス・ガレスを落とす。初戦の敗北? 糞食らえだ。たかだか百人にも満たぬ損失など、かすり傷に過ぎん!)


彼は歪んだ笑みを浮かべ、兜をひっ掴むと天幕の外へと飛び出した。


________________________________________


3. 鉄の咆哮、偽りの栄光


「誰かある! 総員、整列させろ! 直ちにだッ!」


「は、はっ!」


野営地に号令が響き渡る。「整列! 総員整列せよッ!」という悲鳴に近い叫びに応じ、疲弊した騎士たちがバタバタと広場へ集まってくる。


整列した騎士たちの前に、ライルは立った。夕闇の中、松明の火に照らされた彼の顔は、鬼気迫るものがあった。


「傾聴せよッ!!」


ライルは声を張り上げた。


「今朝、初戦において我が騎士団はわずかばかりの被害を出した! だが、なぜ被害が出たか。それは指揮官の判断ミスではない!」


騎士たちの間に緊張が走る。


「原因は二つ! 一つは、貴様らが相手を侮ったからだッ! 北の蛮族、兵法も知らぬ烏合の衆と高を括ったからだ! お前たちは何者だ! 誇り高き『鉄理の規矩騎士団』ではないのかッ! 気合を入れ直せ!」


さらに、ライルは声を一段と高く、扇情的に響かせた。


「そしてもう一つの原因……。それは、エンガードでぬくぬくと椅子に座っている、戦争反対派の卑怯な文官どもだッ! 奴らは自らの利権を守るため、我ら騎士団を貶めようとした! 兵糧を滞らせ、我らの進軍を阻もうとしたのだ!」


騎士たちの間に、ざわめきと、それ以上に重苦しい憎悪が広がり始める。


「あまつさえッ! 奴らは我らの中に密偵を送り込み、我らの邪魔をさせた! 先ほど捕らえた裏切り者は、俺に向かって『マンプトンへ帰れ』と耳打ちしおった! 許されざる暴挙! 国家に対する反逆行為であるッ!」


ライルは腰の剣をすらりと抜き放ち、それを頭上へと掲げた。刀身が赤く燃える火を反射し、不吉な輝きを放つ。


「だが! 我々は『鉄理の規矩騎士団』であるッ! 我らの前には、約束された栄光のみが待っている! 立ち止まることなど許されぬ! 我らは、我らの覇道を進むのみだッ!」


「明日だ! 明日、再び北の蛮族を攻める! 次こそが殲滅の時だッ! 奴らを塵に帰し、この肥沃な領地を我らの手に収めるのだッ!!」


ライルは全霊を込めて吠えた。


「我らは何者か! 我らは、誰だッ!」


「我らはッ! 誉れ高き! 約束された鉄理の規矩騎士団ッ!!」


「我らはッ! 栄光を! 約束された鉄理の規矩騎士団ッ!!」


「いざ行かんッ! 栄光に向かって、我らが道を切り拓くのだッ!!」


その狂気を孕んだカリスマ性に当てられたのか、あるいは恐怖に支配されたのか。騎士たちは狂ったように拳を突き上げ、地鳴りのような叫びを上げた。


「「「「「「「おう!! おう!! おう!! おうッ!!」」」」」」」


夕闇の平原に響き渡る、騎士たちの絶唱。


それは、かつて誇り高かった騎士団が、一人の男の狂気と共に、戻れぬ地獄へと足を踏み入れた瞬間の音であった。


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