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『緋色の傭兵団の物語』「ブリタニア編」  作者: 嵗(sai)
第十四部:硝煙のグラス・ガレス

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第4章:八百万の祈り、あるいは勝利の天秤

1. 荒野に捧ぐ鎮魂


グラス・ガレス混成軍と、鉄理てつり規矩きく騎士団による初戦。それは、開戦から一時間に満たぬうちに、防衛側の圧倒的な勝利という形で幕を閉じた。


戦場に刻まれた数字は酷薄だった。グラス・ガレス側の人的損害は、文字通り「ゼロ」。対する騎士団側は、死者二十六名、重傷者四十一名。そして、八十二頭もの軍馬が、主を失い、あるいは脚を折って草原に討ち捨てられた。


引き揚げてゆく騎士団の背中には、先刻までの傲慢さは微塵もなかった。ゼン・ムッサーシ男爵はその光景を城壁から見届け、重い足取りで屋敷へと戻った。


「こちらの被害状況を再度報告せよ」


「……軽傷者すらおりません。皆、無事です」


「そうか。まずは凌いだ、か。だが……」


ゼンは一度、凄惨な跡が残る戦場を振り返った。動かなくなった人馬が、点々と草原を汚している。彼は毅然とした口調で指示を飛ばした。


()()を、そのままにしてはおけん。街の者に協力を仰げ。死者からは身元が分かる形見を回収し、丁重にローブで包め。埋葬の手配を急ぐのだ。重傷者は屋敷横の救護テントへ運び込め。症状を見極め、治療か、あるいは()()を……。馬もだ。走れぬものは安楽死を、手当てが済むものは全力を尽くせ」


その指示に、周囲の者たちは迷いなく動いた。


このテイル・ウィドラ北部には、独特の精神風土がある。


文化や習慣、宗教が異なろうとも、それらを否定せず受け入れ、融合させる。この地に古くから伝わる『八百万やおよろずの神々は何にでも宿る』という信念は、単なる宗教的儀礼ではない。心の拠り所は多様であり、多種多様に存在して然るべきだという、共生の知恵であった。


南部に比べ、自然環境が極めて厳しいこの北部。かつて魔獣が跋扈し、未開の荒野であった土地を切り拓いてきた先達たちは、身に沁みて理解していたのだ。相争っていては、過酷な自然の前に滅びるだけだと。互いに手を取り合わねば、今日という日を生き抜けないのだと。


それは人族同士の関わりに留まらない。かつて、ある特定の動物を狩り尽くし、絶滅させかけた際、一帯の生態系が狂い、破滅の一歩手前まで追い込まれた歴史がある。その時、人々は思い至った。自然は絶妙な均衡バランスの上に成り立っており、人の我欲を押し付ければ、その調和は容易く崩壊する。


神聖十字教の信徒たちは、これを「稚拙で野蛮な多神教」と蔑むかもしれない。だが、この地の民にとって、これは生き方そのものだ。


ようやく人並みの生活が営めるようになり、村が町へ、町が街へと成長した今も、彼らは自然を愛し、時にその荒々しささえ受け入れてきた。


だからこそ、彼らは攻めてきた敵――自分たちを滅ぼそうとした者たちであっても、その魂の尊厳を認め、祈りを捧げ、埋葬の儀を執り行う。可能性のある生者を、敵味方の区別なく救おうとする。


ゼン・ムッサーシは、黙々と作業にあたる民の姿を見て、この慈愛に満ちた平穏を、何としても守り抜かねばならないと強く誓うのだった。


________________________________________


2. 軍師たちの謀議と、シンの影


救護の指揮を終えたゼンは、屋敷二階の執務室へと上がった。


そこには、初戦の功労者たちが待ち構えていた。ゲルド、ノイン、ヤミル、クリス、イエーガー。緋色の傭兵団の面々に加え、漆も地図を覗き込んでいる。


(……もはやグラス・ガレスの軍というより、緋色の傭兵団そのものだな)


自嘲気味にそう思うゼン。外部の力に頼らねば立ち行かない現実は、領主としての彼を苦悩させた。


「戻ったか、男爵」


ゲルドが声をかける。


「ああ、ゲルド殿。見事な采配だった。感謝する。緋色の傭兵団の真価を、この目で見させていただいた」


「よせやい……。だが男爵、あんなものは所詮『初見殺し』よ。種が割れれば二度は通じん」


「……左様か」


「まあ、本音を言えばもう少し数を減らしておきたかったがな」


ゼンの顔に影が落ちる。


「いや、あれでいい。敵の被害は少ないに越したことはない。話は通じずとも、同じエンガードの民なのだ。それに、死者が増えれば事後処理もそれだけ困難になる……」


「……援軍は、まだ到着しませんか?」


重苦しい空気を察し、ノインが話題を変えた。ゼンは苦虫を噛み潰したような表情で首を振る。


「まだだ。エディン・バーグの援軍も、シン殿らも姿は見えない。予定より早く開戦した旨は使者に伝えたが、到着は早くて明日の夕刻。戦列に加われるのは明後日の朝だろう」


「ということは、明日もここにいる面々だけで対応せねばならん、ということですね」


ノインが呟き、その視線は既に地図上の等高線をなぞっていた。


しばしの沈黙。


やがて、ノインが顔を上げ、断定するように言った。


「――とりあえず、明日は総力戦で行きましょう。作戦は、こうです」


ノインが立て板に水のごとく説明を終えると、ゼンは眉を潜めて問うた。


「……確かに、上手く嵌まれば明日の日の入りを拝めるだろう。だが、貴殿らの負担が大きすぎはしないか?」


その問いに応えたのは、ヤミルだった。


「戦いは、刃を交える前から始まっている……。十分に考えて準備をし、それで戦場を支配する。相手を調べ、強みと弱みを比較しろ。敵の敵は味方になる。利を探れ」


「……?」


「物理的な弱みだけでなく、精神的な弱みも突く。戦って勝つよりも、『勝てない』と思わせろ。『利がない』と思わせろ。百回負けても、百一回目に勝てばいい。生き残ることこそが、俺たちの勝利だ――」


ヤミルは遠い目をして、かつて聞いた言葉を反芻するように続けた。


「……これはすべて、『戦場の天秤』。シンさんの言葉です。俺たちは、彼にそう教わってきた」


「ヤミルさん、クリスさん、ゲルドさん。異論は?」


ノインの確認に、三人は不敵に笑う。


「いいぜ。やっと本職の出番だ」


「問題ありません。やりましょう」


「何とするさ。やれやれ、もう少し年寄りを労わってほしいもんじゃがな」


「――とのことです、男爵。我々は『雇われた傭兵』だ。相応の働き、お見せしますよ」


ゼン・ムッサーシは、彼らの会話の「軽さ」に驚愕した。それは軽薄さではなく、地獄を幾度も潜り抜けてきた者だけが持つ、絶対的な自信に裏打ちされた余裕だ。


同時に、彼はムッサーシ家の始祖が残した教えを想起していた。


『物事を成すには準備が八割』

『実力を過信するな。己と敵の実力を冷静に見極めろ』

『戦場で相手を倒すだけが勝利ではない。勝てないと思わせる状況を作れ』

『最後に立っている者が勝利者だ』


そして、あの一語――『常在戦場』。


目の前の彼らは、まさにムッサーシの始祖が説いた極意を体現しているではないか。


「シンさんは当初、騎士団が動けなくなる状況を整えたと言っていましたが、残念ながらそれは失敗に終わりました。計算違いは戦の常です。ですが、実際に戦ってみて弱点も見えました。敵の無知、情報不足。作戦の硬直性、そして将と兵の心の乖離。これらを徹底的に突きます」


「分かった……。すべて頼む」


ゼンは深く頭を下げた。


________________________________________


3. 剥がれゆく大義、ライルの野望


「さて、と」


ゲルドが腕をぐるぐると回しながら席を立つ。


「仕掛けをもう一工夫、用意してくるわい」


続いてヤミル、クリス、イエーガーも立ち上がろうとしたが、そこで漆が「待った」をかけた。


「明日のー作戦ん、もう少し有利にぃ進める手があるけどぉー。やってみるぅ?」


「……どんな方法でも検討したい。教えてくれ」


漆が「にぃ」と艶然たる、しかし冷徹な笑みを浮かべて策を告げる。それを聞いたイエーガーが、思わずといった風に呟いた。


「……悪辣だな」


「卑怯な手です。ですが、効果的だ。確実に奴らの『心』を削ぐことができる」


「どぅおぅ? やってみるぅー?」


漆の問いに、ヤミルが頷く。


「了承した。お願いする」


「了解ぃー。じゃあ、イエーガーさん。行きましょうぅー」


漆は拒否権を与えずイエーガーの腕を引っ張り、部屋を出て行った。階下から「特務隊のみんなぁー、お仕事ですよぉー」という伸びやかな声が響いてくる。


ゼンは苦笑しつつ、残ったノインに向き直った。


「ノイン殿。一つ、教えてほしい。そもそも鉄理の規矩騎士団の目的は何なのだ。何が、彼らをここまで突き動かしている?」


ノインは少し考え、ゆっくりと口を開いた。


「……騎士団長ライルは、このグラス・ガレスを橋頭堡として、スカイウェール一帯を征服・支配しようと考えていると思われます。当初、これはエンガードのラングフォード侯爵とガンツ侯爵の共謀による計画でした。彼らは騎士団をその『実行部隊』として選んだのです」


「シン殿は、それを看過しなかったのですね」


「はい。シンさんは二人の侯爵の地盤を崩して失脚させ、計画そのものを頓挫させようとしました。武器商人や輜重隊を叩き、兵器と兵糧の供給を断った。普通なら、これで騎士団は足止めを食らい、動けなくなるはずだったのです」


「しかし、彼らは動いた」


「そうです。そこにシンさんの計算違いがありました。……ライル団長は、極めて上昇志向が強く、傲慢なまでに誇り高い男です。後ろ盾の侯爵たちが消えたことを、彼は累が及ぶ『危機』ではなく、自分を抑える者がいなくなった『好機』と捉えたのです」


「迷惑な話だな……」


「ええ。エンガード中央が事態に気づいた時には、既に騎士団は暴走を始めていました。ライルはもはや、エンガード政府の指示など聞いていないでしょう。彼は、自分の手で『新天地』を切り取る選択をしたのです」


「切り取る?」


ゼンが問い返すと、ノインは静かに、しかし確信を持って答えた。


「はい。エンガードという国家から離れ、この地に『自分の国』を建国しようと考えているのではないかと」


それは、単なる侵略以上の、執念と野望に塗れた狂気であった。


明日の戦いは、もはや正規軍同士の衝突ではない。野望に燃える獣と、平穏を守らんとする人々の、生存を賭けた泥沼の抗争になろうとしていた。


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