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『緋色の傭兵団の物語』「ブリタニア編」  作者: 嵗(sai)
第十四部:硝煙のグラス・ガレス

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第3章:絡みつく罠、あるいは鉄の断末魔

1. 嵐の前の静寂と「嫌がらせ」の謀議


時を遡ること、決戦前日の夕刻。


グラス・ガレスの南方わずか5kmの地点に、鉄理てつり規矩きく騎士団八百騎が現れたという一報が届いたとき、ゼン・ムッサーシ男爵の全身を激しい震えが襲った。それは決して恐怖によるものではない。先祖代々の土地を汚さんとする不遜な輩を迎え撃つ、武者震いという名の高揚だった。


「……来たか」


ゼンは執務室を飛び出し、階下へと急いだ。広間には、泥と汗に塗れたノインとゲルドがちょうど戻ってきたところだった。


「ふーっ……。死ぬかと思ったけど、なんとか間に合ったよー」


ノインが肩を落として吐息をつくと、隣の巨漢、ゲルドが烈火のごとく言い返した。


「それは儂のセリフじゃい! きさまは安全な場所で指図しておっただけじゃろうがッ!」


「えー、でも今の仕掛けを考えたのは僕だよ? 凄くない?」


「ああ、理屈は凄いが、実際に形にしたのは儂ら工兵隊じゃ! 泥にまみれた職人をもっと敬わんか、この若造が!」


二人の漫才のようなやり取りを遮り、ゼンが声をかける。


「ノイン殿、ゲルド殿! 首尾はどうだ」


「おう、男爵」


ゲルドが顔の煤を拭い、ニカッと不敵な笑みを浮かべた。


「間に合ったぞい。準備は万端じゃ」


「感謝する……。それで、騎士団の様子は?」


問いに応じたのは、傍らに控えていた特務隊の隊員だった。


「敵は南方5kmの平原で進軍を停止。どうやらそこで野営を張り、夜を明かすつもりのようです……」


「そうか……」


ゼンは腕を組み、思考の海に沈んだ。今夜中に奇襲を仕掛けてくる可能性はあるか、それとも――。


「夜襲はないですよー」


その背後に、いつの間にかななが音もなく立っていた。


「確かか、漆殿」


「はいー。彼らは何日も馬を飛ばし続けて、疲労の色が見えますー。ここは明朝を決戦と定め、英気を養うのが定石と判断しますー」


「なるほど……ならば、こちらも今夜は作戦の最終確認に充てられるな。ノイン殿、もう一度作戦室へ」


「ええーっ? またぁー?」


泣き言を漏らす軍師役を、ゼンは有無を言わさず連行していった。


その去り際、漆が楽しげに声をかけた。


「ゼン・ムッサーシ様ー。敵の数を直接減らすのは難しくても、『嫌がらせ』くらいなら緋色の傭兵団の特務隊に任せてみてはー?」


「嫌がらせ……だと?」


ゼンが足を止めると、漆は唇に指を当てて微笑んだ。


「はいー。例えば、兵糧を焼くとかー。明日向かってくる騎士団が、空腹と苛立ちで万全でないようにするくらいなら、彼らの得意分野ですー」


背後にいた特務隊員たちが、顔を見合わせてヒソヒソと囁き合う。


(おい、なんかあの女の人に勝手に指図されてないか?)


(……まあ、ハンスさんからは協力しろと言われてるし、いいんじゃないか?)


(相手の戦力を削げるなら、やり甲斐はあるな。よし、やるか)


「いいっすよ。偵察ついでに派手に火遊びしてきます」


隊員の返答に、ゼンではなく漆が満足そうに手を振った。


(……俺たちの隊長、ハンスさんだよな? なんだか誰がボスか分からなくなってきたぞ)


ぼやきながらも、特務隊の精鋭たちは夜の帳へと消えていった。


「果報は寝て待ちましょー」


漆の言葉通り、その数時間後。漆黒の闇に包まれた南方の空が、微かに赤く染まった。騎士団の野営地で「不審火」が起きたことは、5km離れたグラス・ガレスの物見塔からもはっきりと確認できたのである。


________________________________________


2. 鋼の奔流と「見えない壁」


翌朝、東の空が白み始める前。


グラス・ガレスの防壁前では、ゲルド率いる工兵隊が最後の仕上げに追われていた。ゼンはその様子を不安げに見守り、ゲルドに問いかけた。


「ゲルド殿、本当に我らの兵には手伝わせなくてよいのか?」


「男爵。『あれ』の調整と操作は、儂ら専門家に任せておけ。今日はあんたらの出番はないと、ノインも言っておったろう。あんたは防壁の上で、高みの見物でもしておればいい。ノインを信じろ。それが無理なら、あのアホを高く買っているシンを信じるんじゃな」


「……分かった。この街の運命、貴殿らに預ける」


ゼンが離れるのを見送ると、ゲルドは工兵たちに向き直り、腹の底から響く声で怒鳴った。


「最後の仕上げじゃ! 気合を入れろッ!」


「「「応ッ!」」」


職人たちの力強い返声が、朝の静寂を震わせた。


太陽が地平線に顔を出し、草原が黄金色に輝き始めた頃。


地平線の彼方から、鉄の輝きが溢れ出した。鉄理の規矩騎士団、八百騎。その威容は圧巻であり、大地を揺るがす蹄の音は、防壁の上に並ぶ志願兵たちの肝を冷やすに十分だった。


「現れたか。昨夜の火事で凝りて引き返せばよいものを」


ゼンの呟きに、ゲルドが鼻を鳴らす。


「ご苦労なこった。だが手加減はしねえ。……来るなら来やがれ。馬が無敵の生き物ではないことを、骨の髄まで教えてやるわい」


騎士団が四つの集団に分かれ、そのうちの一隊、百騎が前進を開始した。


初めは緩やかな並足。だが、徐々に速度を上げ、ついには草原を切り裂くような襲歩しゅうほへと移る。騎士道精神に基づく口上も、交渉の余地もない。ただ圧倒的な質量をもって、眼前の有象無象を粉砕せんとする意志の塊。


「おい、おい……本当に大丈夫なのか!?」


「あんなのに当たったら、ひとたまりもないぞ!」


守備隊の兵たちの間に、動揺が走る。


ブリタニアの先住民にとって、騎馬による突撃は未知の恐怖だった。大陸から持ち込まれたこの「暴力の結晶」を前に、腰が引けるのは当然の反応といえる。


だが、緋色の傭兵団の工兵たちは、動じない。


彼らは知っている。大陸の戦場で、あの黒狼傭兵団が如何にして騎馬を操り、如何にしてそれを打ち破ってきたかを。シンは、騎馬の圧倒的な突破力を認めつつも、その致命的な弱点を見抜いていた。そして、その弱点を突く術をノインに授けていたのだ。


「慌てるなッ! 正面から来る分には、勝手に自滅するだけだ。お前らの出番はまだ先じゃ!」


ゲルドの怒声に、工兵たちはただ黙々と、準備した仕掛けの引き金を見つめて時を待つ。


距離、三十歩。二十歩――。


ゲルドの拳が、汗で滲む。


そして。


「――ヒヒィィィンッ!!」


先頭の一頭が、何もないはずの空間で突如として前脚を折った。


凄まじい勢いのまま、馬の巨体が頭から地面に叩きつけられる。鞍上の騎士は木の葉のように放り出され、地面に叩きつけられて絶命した。


後続も止まれない。仕掛けに足を絡め取られる者、前倒した死骸に乗り上げる者。


突撃のエネルギーがそのまま破壊のエネルギーへと変換され、一番隊は自壊していった。


それは、地面の数カ所に頑強に縫い付けられた、極細かつ強靭な「縄(綱)」の仕掛けだった。


『馬の強みは何か。“脚”だ。ならば馬の弱みは何か? “脚”だ。』


かつてシンが説いた言葉が、無惨な現実となって草原を埋め尽くす。


「……凄まじいな。ただの縄一本で、これほどの損害を」


防壁の上で、ゼンが戦慄を禁じ得ない様子で呟いた。


「ああ。騎馬の勢いをそのまま利用した、残酷なほど単純な仕掛けじゃ。初見でしか通用せんがな……。だが、本当の地獄はこれからだ」


________________________________________


3. 巨矢の咆哮と、逃れ得ぬ絶望


第一幕は、グラス・ガレス側の圧倒的な勝利に終わった。


十数騎の骸を草原に残し、生き残りは命からがら引き上げていく。


だが、敵も馬鹿ではない。


第二幕。


今度は二つの隊、計二百騎が左右に大きく展開した。中央に張られた罠を警戒し、大きく迂回して陣の側面を突こうという腹づもりだ。


「側面へ回り込もうとしているのか?」


「いいや、男爵。騎士団ってのは、正面からかち合うのを誉れとする傲慢な連中だ。しかも、こちらを『数で劣る雑魚』と見下している。後ろに回るなんてのは、彼らにとっては『逃げ』と同じ屈辱なのさ。だから――」


ゲルドの言葉が終わるより早く、左右に分かれた騎馬隊が急旋回した。


彼らの狙いは、陣の端に設置された二枚の巨大な盾。


罠を避け、防御の手薄な(と彼らには見える)箇所を食い破らんと、猛然と加速する。


(来た……。まだだ、まだだ……。引き付けろ。もっと、あと一歩……。今だッ!)


ゲルドが工兵に鋭い合図を送った。


「盾を放せッ!」


盾を支えていた工兵たちが、一斉に支えを外して後方へと飛び退く。


重厚な木盾が、ゆっくりと手前へ向かって倒れ込んでいく。


突撃する騎士たちからは、兵たちが恐怖に耐えかねて防御を放棄し、逃げ出したように見えただろう。先頭の隊長の唇に、勝利を確信した醜悪な笑みが浮かぶ。


だが、その笑みは一瞬で凍りついた。


倒れた盾の後ろに鎮座していたのは、逃げ惑う歩兵ではなく――。


月光のごとき鈍い光を放つ、巨大な鋼の顎だった。


「撃てッ!!」


「――ブォォォォンッ!!」


バリスタが空気を引き裂き、凶悪なまでの重低音を響かせた。


超至近距離から放たれた巨矢は、回避の余地すら与えない。


「どどどっ!」と鈍い衝撃音が続き、先頭の騎士は馬もろとも腹部を貫かれ、肉片となって四散した。矢の勢いは衰えず、背後にいた騎士の胸に巨大な風穴を開け、さらに三番目の男の頭部を粉砕した末に、遥か後方の地面に突き刺さった。


左右二箇所で、全く同じ惨劇が繰り広げられる。


一瞬にして「柱」を失った騎馬の集団は、その場で凍りついた。


何が起きたのか、理解が追いつかない。目の前にあったはずの勝利が、一瞬で地獄へと塗り替えられたのだ。


「次ッ! 装填急げ!」


ゲルドが吠える。さらに別の盾が倒れ、二基目のバリスタがその銃口あぎとを晒す。


それを見た騎士たちは、もはや一刻の猶予もないとばかりに馬首を返し、我先にと退却を開始した。


草原の向こう、騎士団の本陣と思われる場所で、何やら慌ただしい動きがあった。


やがて、彼らは屈辱にまみれながらも、陣を引き払って後退していく。


「……ふう」


ゲルドが大きく息を吐き、ゼン・ムッサーシを振り返った。


「終わったようですぜ、男爵様。初戦としては上出来だ」


防壁の上から去りゆく敵の背中を見つめるゼンは、いまだに心臓の鼓動が収まらない。


第二幕、終了。


計画通り。こちらに人的被害は皆無。


だが、これが騎士団の誇りを傷つけ、彼らをより残酷な獣へと変えることを、ゼンは予感していた。


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